82話
王宮の高い天井には白い漆喰が滑らかに広がり、足元には真っ赤な絨毯がまっすぐに伸びている。
――王宮議場。
中央廊下に面した議場の扉は、黒檀の板に金の装飾が施され、王家の紋章が深く刻まれていた。
その重厚な扉が、内側からゆっくりと開く。
エドワードの後ろにリアノーラの姿も見える。
廊下で待っていたブルーノは、颯爽と二人へ近寄った。
「待っていたのか」
エドワードが少しだけ片眉をあげて、副官に視線を投げた。
にこやかな笑みを貼り付けたブルーノが、エドワードに質問で返す。
「中はいかがでしたか?」
二人の後ろからぞくぞくと評議員が退出してくる。その中に自分の上官の姿も見えた。
カールはブルーノの姿に気が付くと、こちらに身体を向けた。
「ここまで想定の範囲内といったところか。賛否が拮抗している――。リアノーラ、君は?」
「場の空気に、妙に静かな一点がありました」
エドワードの言葉にリアノーラが静かに応える。
概ね予想通りの流れで進んだ議会は、現在次の動きを探っていた。
魔族という存在への強い拒絶が根深い中、今後の人類の防衛は、現状維持が最善なのか、再考すべきなのか?
こちら側が仄めかしているのは『再考』なのだが――。
「では。次の手ですね」
ブルーノは三人へニッコリ微笑んだ。
◇◇◇
「番というのは、他の種族にはないだろう?」
シオルが私の髪を指に巻きつけながら、言葉をこぼす。
「我々の感情は……なかなか、相手には理解しがたいようだ」
少しだけ言葉を探しながら――
「……だから『発信』と『受信』の違いだと考えられてきた」
「発信と受信?」……電話みたいな感じ?
「ああ。『発信』は……。例えば、私からナギへ、想いや願いを伝えようとする。これはあふれ出てしまうもので、止められない。一方的だ。話したい、声が聞きたい、手を繋ぎたい……一緒にいたい」
「うん」
「番の衝動なんだ。結魂をしていなくても、番に対する想いは強い」
「そうなんだ。その相手が自分の番だと認識してしまったら、止められないってこと?」
「ああ。だから難しい」
相手が、自分に少しでも好意を持ってもらうまでは――
「相手にはこの衝動がない。だから受け止めてもらうしかない」
「だから『受信』なのね?」
「そうだ。この『受信』が拒絶されたら……」
「拒絶とかあるの?」
私を抱き込んでいたシオルの右腕に力が入った。
「その時。相手に、他の好意を向ける異性がいたら、無理だろう?」
ああ。それはきっと人間でも同じだ。
想いの強さが桁違いなだけで。
「シオルはずっと私に『発信』してたんだね」
シオルの背中に、ゆるく辿るように手を回す。
「初めて私の前に姿を現した時……」
「この村に住むと来た時か?」
「そう。あれ転移魔法だったよね?」
「そうだ」
「転移って、来たことある場所しか無理なんだよね?」
「ああ」
「なら。あの時が初めてじゃないよね?」
ちょっとだけシオルの身体が固くなった。
「何度も私に会おうとしてたの?」
首を上げて彼の顔を見つめると、片手で顔を覆っていた。
「何回もあそこまで来てて、でも躊躇って。やっと私に声かけたって感じ?」
シオルの顔が徐々に赤く染まっていく。
「私はシオルが『番』だとは認識できないし、何なら魔王の敵の勇者だし。警戒されるだろうから、慎重にしてたってことかな?」
少しだけ指の隙間から青い目が見えた。
「いや……」
「違うの?」
「何度も来ていた。何度も何度もナギの姿を見に来て。ナギがそこにいる、それだけで幸せで」
「うん」
「だが。村の男と話しているのも、何度も見て」
顔から動いた手がこぶしを作り、シオルの口元を隠す様に添えられる。
「恐怖だった」
「ナギが他の異性に惹かれてしまうんじゃないかと」
「だから、あの日――ナギの前に、姿を見せた」
私に触れているシオルの鼓動が少し早い。
「本当は慎重にいかなければいけなかった。ナギは人間で、異世界から来た勇者で、魔王を、魔族を敵としていたから」
初めて私に会ったシオルは、
『会いに来た。勇者』
『私もここに住む』
挨拶とか、気遣いとか何にもなかったな、と思い出す。
「それなのに。あんな……」
シオルが項垂れている。どんよりした雲まで出てきそうだ。部屋の中なのに。
あの時シオルはこう続けていた。
『もし、ここにいられないなら……』
そう言って魔力が揺らいだのは、拒絶されるかもって恐怖だったんだ。
「私の『受信』は嬉しかった?」
そう言ってシオルの顔を隠している手を、引っ張ってみる。
手を下ろした夫の顔は相変わらず真っ赤で、ひどく照れながら、目尻を下げていた。
ずっとずっとシオルは私の側で『発信』をして。
じっと待っていてくれたんだろう。
『受信』するのを。
少しづつ、混じり合うように。お互いの信号がつながるのを、側でずっと。
シオルは私にすごく優しい。
私だけをいつも見つめてくれる。
もし、もしこれが誰にでもそうだったら。
考えたこともなかったけど。
シオルが私以外の女性に、優しくしたり微笑んだり、手を繋いだりするのは――
いや。
それはちょっとダメだろう。
さっきまでニコニコしていた私から、いきなり変なオーラが出始めたからか、シオルの焦った声が聞こえた。
「ナギ?どうした?やっぱり、その……私は気持ち悪かっただろうか?」
検討違いをしている。
「何か。ちょっと、むかついただけ」
私の低い声に、シオルの身体が固まった。
「ナギ、やり直そう。最初から全部やり直すから。だから」
すごく無茶苦茶な事を言い始めた。
やり直す……?やり直して、もし、シオルが他の女性と仲良くなったら?
「はらたつ」
「!?」
「シオル」
ベッドの上で仲良く寝転がっていた私が、突然起き上がり、シオルの両手をガシッと掴んだ。
私の身体の下で、硬直している愛しい夫。
「私からの『発信』はどうしたら良いの?」
これ以上ないだろう、最大級の笑顔で告げる。私の目は笑っていない。
この状態を傍目から見たら……凄くおかしいだろうな、と頭の中で思いつつ。
けれど。
私のその言葉に、シオルはまるで雷に打たれたように、両目を見開いた。
そして――
シオルのまぶたがわずかに震え、強張っていた肩の力がふっと抜ける。
驚いた余韻を残したまま、彼はゆっくりと目を細め、その言葉の意味を噛みしめるように微笑んだ。
「『受信』を……望まれるのは、たまらないな……」
確かにそこに“嬉しい”が灯っている。
シオルがあまりにも無垢に喜ぶから、ちょっとモヤモヤして釘をさすことにした。
「もし、私以外の他の人からの『発信』を『受信』したら」
シオルの上にゆっくりと重なりながら耳元で囁く。
「絶対に許さないからね」
けれど、その言葉でさえも、シオルには糖度の高い『発信』だったようで。
いつの間にか、私の手から抜け出したシオルの両腕が、しっかりと私の身体に巻き付いていた。
「ああ。凄まじい………こんなにも振り切れるとは。頭が追いつかない」
そのままゆっくりと身体を起こすと、私を見つめたまま静かに体の向きを変える。
布団がわずかに沈み、その動きに合わせて空気がふわりと揺れた。
シオルが上から私を見つめてくる。
その視線の奥に渦巻く感情が。
彼の世界が、目の前にいる自分という存在だけで満たされれているかのように。
深くて、静かで、どうしようもなく熱くて――
「ナギ、私の『番』。それならもう、余計な雑音は全て排除しよう」
「ん?」
「ナギが不快になるものは、全てこの世から消し去ろう」
超絶に美しい『魔王』が降臨してしまった。




