81話
その日。
カイルとリルの風魔法の練習につきあって、村長の家に戻り扉を開くと。
魔王オーラ全開のシオルと。真っ青なレオンハルトとゼノスがいた。
え?
異様な空気にカイルとリルも私の後ろに隠れている。
「どうしたの?」と声に出そうと口を開いた瞬間、凄まじい速さでシオルが私を抱き上げた。
「……シオル?レオンハルトさんの訓練は終わったの?」
「終わった」
「そ、そう?私、歩けるよ?シオル?」
「ナギに聞きたい事がある」
「な、なに?」
「私が先日屋敷に戻った時、どこにいた?」
「……」
「その日、ナギは村長の家に行くと私に言っていたな?」
レオンハルトの義手本体を作りに、シオルが不在だった日。
私は第一部隊の様子を見に行った。
ゆっくりレオンハルトとゼノスの方へ顔を向ける。
二人が全力でこちらを拝んでいた。
「あーーーーー。シオル。あのね」
「ナギは言っていた。過去、第一部隊の者たちから暴力や暴言を受けていたと」
シオルの言葉に部屋の温度が下がった。
「それは本当か?」
レオンハルトの目つきが変わっている。
「ナギ、それは私たちは知りませんよ?いつの事ですか?」
ゼノスがこちらに近づいてきた。
「いや。あの。この世界に来た頃だよ。まだ皆に会う前で」
シオルに抱き上げられ、逃げ場が全くないまま何とか言葉を出すと、
「ナギにそんな態度をとった愚かな第一部隊など、なぜ気に掛ける?」
暴風の魔王シオルを筆頭に、全員がこちらをじっと見つめている。
とてつもなく怖い。
思わずシオルの上着を両手で握ってしまった。
「切り刻む。一人残らず」
――まずいことになった。
シオルが私を抱えたまま長老の家から自宅まで歩いていく。
村人の皆がそれを見て、目を見開いているのを横目に見ながら。
一切無言で、家に着いても喋らない。
私の部屋に直行し、ベッドの上に私を下ろすと、その前に立ちふさがった。
「ナギ」
「はい」
「あの時、ナギから過去に『何があった』という話は聞いた。正直その時点で第一部隊の連中は滅するべき輩だと思っていた」
「……はい」
「だが。ナギの中ですでに『過去のこと』と処理している気がした。だから私はあの時触れなかった」
「……うん」
「触れなかったが。それと、第一部隊をナギの内側に入れることを容認するのは別だ」
目の前のシオルの手が震えている。
「私は自分の『番』がそのような目にあっていたと知って、そのまま普通にすごせるような男ではない」
「シオル……」
「切り刻んで、この世から消したいほど憎い」
「シオル……まって。あのね」
「だが。ナギは」
そこでシオルの目が……声を出さずに泣いているような、光を失ったように沈んだ眼差しになっているのに気が付いた。
「庇うのだな。それを」
違う。でも何かを伝えようとすると、それより先に、シオルが壊れてしまいそうだと思ってしまった。
ゆっくりとシオルの手を握る。小刻みに震えるその手を。
そして。
「ごめん」
一言だけ呟いて。視線を床に落とした。
逆だったらどうだろう。
シオルに過去辛いことを強いる人たちがいて。
今は……少なくとも表面上は酷いことはしていないからと、シオルがその人たちと仲良くしていたら。
私はどう思うだろうか。
きっと心配する。
またシオルが酷い目にあうんじゃないかと。
そして多分。
その人たちと距離を置くようにお願いするんじゃないかな。
私は、自分が我慢すれば何とかなるのなら、頑張って事が上手くいくのであれば、それでいいと思っていた。
あの時の被害者は私だけで、周囲が凄いスピードで対処してくれたから、どちらかというと私の感情は置いてきぼりな感じだった。
それに、正直その後の魔王討伐の旅の方が、キツイ事が多かった。
色々なことがあったから、感覚が麻痺してる?
――ううん。
多分そうじゃなくて。根本的に違うんだ。
私がシオルに頂くこの感情と。シオルが『番』である私に対して頂く想いが。
伝わればいいと思っていた。
私がシオルを愛していることと、唯一だと感じていることが。
でも。
『番』になっても、時々シオルは目を伏せる。
『番』を得たから――自分はもう充分だと。
それは。何かを耐えて耐えて……諦めることになれた人の目だった。
気付いてしまうと、どうしようもなく心の中に締め付けるような、鈍いものが広がって。
私は思わずシオルから手を離してしまった。
「……っ」シオルの息を呑む音が響く。
シオルが私を諦めてしまう?
……そんな日が、来る?
そう思ったら。
「ナギ!?」
慌てた声が、すぐ傍で響いた。
「ナギ、違う、すまない、泣くな……泣かないでくれ」
強い腕が私の身体をさらうように抱き上げた。
胸の奥の不安が波のように押し寄せていた。
どうしようもなかった。
シオルが側にいない未来が鮮明に浮かんでしまったせいだった。
その恐怖が、静かに、しかし確実に涙を押し出していく。
「ナギ、ナギ……!」
涙を指先で拭いながら、シオルが首を横に振っている。
「違う、ナギ、私を見てくれ。ナギ!」
シオルの声がかすれている。
その青い目に映り込んでいる私は。
とても虚ろな目をしていた――。
「違うんだ……っ、ナギ!」
シオルはこらえ切れないように腕を回し、私をぎゅっと抱きしめた。
「離れない。絶対に。ナギから離れるなんて、絶対にありえない」
顔に押し当てられた二つの鼓動が、激しく主張している。
「だから……だから、そんな絶望に染まった目をしないでくれ……!」
――ぜつぼう……?
「あの時も、ナギはそんな目をして……」
あのとき……?
「ナギ、私はナギを手放せない。それだけは諦めてくれ」
あきらめる?あきらめるのは、それは……
「私から離れるなんて絶対にだめだ。それだけは⋯⋯それだけは許せない。許さない」
シオルの私を抱きしめる力が、更に強くなった。
「ナギ⋯⋯。私はもう……多分、狂っている」
……え?
「ナギを傷つけるものは、世界のどこにも残したくない⋯⋯ナギが愛しすぎて、それ以外は邪魔なんだっ…!ナギを奪われるくらいなら、世界ごと消してしまいたい⋯⋯!!」
「ナギがいないなら、こんな世界はいらない!!」
――ああ。そうなのか。
もしかしたら、私は。
そっと詰めていた息を吐くと、シオルが恐る恐る私の顔を覗き込んだ。
「ナギ?」
「……シオルの」
「ああ」
「愛、は……。深すぎて……胸が苦しい」
「ナギ……」
シオルの両目が揺れた。
「でも」
「……」
「きっと……。私も同じに、なる」
「ナギ?」
「いつかきっと。シオルに、同じことを……私も言う気がする」
意味が頭に届くまで、ほんの数秒――。
ゆっくりと、じわりと、シオルの目に温かさが広がっていく。
今回は私の行動でシオルを傷つけてしまったけれど。
重さも、深さも――いつかきっと追いつく。
シオルが優しく涙をぬぐってくれた。
「ナギ」
名を呼びながら、額に、頬に何度も口づけを落とす。
ちょっとだけ、くすぐったくて。凄く嬉しくて。
「ふふ」
私が小さく笑うと、シオルがやっと安心したように頬を擦り合わせてきた。
「ふーーーー」
凄く深く息を吐いている。珍しいな、と目を見つめると
「ナギに泣かれるのは本当に駄目だ。頭がおかしくなる」
疲れたように笑った。
「涙が駄目なの?」
「『番』が泣くという事が耐えられない。『番』の性なのかもしれないが」
「そうなの……」
そう言われてみたら。
私もシオルが泣きそうだ、と感じた瞬間。何度も腕の中に彼を抱きしめていた気がする。
「あ」
私が唐突に声をあげたので、シオルが少しだけ驚いた顔をした。
「世界を滅ぼすって?だめよ?」
絶対。という顔をしてシオルを見つめると、一瞬キョトンとした後、
「我が妻は、世界を救う最強の勇者だな」
嬉しそうに笑いながら、私の口をそっと塞いだ。
その頃、王都では――
辺境の扱いを巡り、それぞれの思惑を抱えたまま、静かに歯車が回り始めていた。




