78話
騎士団長率いる王国騎士団第一部隊を中心とした、三つの拠点を回る現地視察と被害調査は、予定よりも時間を要していた。
かつて鬱蒼と木々が生い茂っていたはずの森は、いまや見る影もなかった。
魔物に踏み荒らされ、地面は深くえぐれ、無残な山肌がむき出しになっている。
そして一歩、防御壁の内側に足を踏み入れると。
瓦礫を運ぶ魔族たちの向こうで、第一部隊の騎士たちが立ち尽くしていた。
彼らは副官から、今回の戦いが共闘であったと聞かされてはいた。
しかし、魔族は人間の敵――という古くからの常識と、しがらみがある中で簡単に信じられる訳もなく……。
実際に自分たちの目で、スタンピードを抑えるため必死で戦っていた嘘偽りのない姿を見てやっと、目の前の状況が……逃げ場のない現実が、じわりと脳に沈んでいっていた。
そして中央では。
「おい、そこ踏むな!また折れるぞ!」
「はいはい、わかってますって!」
相変わらず元気な第三部隊がブルーノの前で活き活きと作業していた。部隊のほとんどがケガを負っていたのに。
瓦礫の山を、ポイポイとバケツリレーしている。
「……お前ら、ケガはどこ行った?」
思わず漏れたブルーノの呟きに、兵士の一人が振り返って笑う。
「これくらい、いつもの延長ですよ。死ななきゃ安いもんです」
「安くはない」
ブルーノはため息を吐きながら、視線を巡らせる。
今頃右陣の第一部隊の兵士たちは、どんな顔をしているだろう。
仮設の炊き出し場、多くの怪我人、女、子供も戦闘に参加していた現実。
(以前、勇者に悪意を向けた者はもういない)
ブルーノは踵を返した。
復興状況の確認、代表者との詰め、報告書の整理。
やることは山ほどある。
◇◇◇
かつて濃い緑で覆われていた斜面――。
森だった場所には、もう森と呼べるものは何一つ残っていない。
その先の小高い丘に、シオルとカイル、リルとともに私は訪れていた。
シオルが立っているその場所から、穏やかに光が広がる。
虹色に輝く魔方陣が地面に反射して、土の隙間から淡い光が漏れ始めると……。
その光はやがて脈打つように広がり、地面の下で何かが動く気配が満ちていった。
ぼこん
ひとつ。可愛らしい芽が、顔を出す。
続いて、二つ、三つ。
まるで大地から押し出されるように、次々と芽が飛び出して。
そして――花弁が開いていく。
私たちはその光景を目を輝かせて見ていた。
何も無くなってしまった大地に、可愛らしい花々が咲き誇ってゆく。
その花畑の真ん中で、シオルが子供たち二人に何か手ほどきを受けていた。
珍しい光景で気になったけど、「ナギ姉ちゃんはここにいて」と二人に言われてしまったので、私は丘を見渡せる岩に腰かけて三人を見守ることにした。
「は?何ここ?」
丘を登ってきたブルーノが、荒れ果てていた大地に出現した花畑に唖然としている。
「ブルーノさん?どうしたの?」
私の側に来たブルーノは、子供たちと一緒にいるシオルに、少しだけ驚いた表情を見せた。
「ナギちゃんの旦那、魔術師なんだってね?」
「うん」
「あのゼノスが大絶賛しててさ。話を聞いてる間、ひたすらテンション高くて。ちょっと引いた」
ブルーノの言葉に小さく笑った。
「辺境伯と代官代理からの報告書だけどさ」
魔族からの情報提供、シュタインベルクの悲劇を再び起こさないために三拠点での迎撃を計画して、魔族との共闘をした。その中で。
「ナギちゃんと旦那、魔族の代表者の三人でダンジョンコアを破壊。勇者不在の隙を突く形で、400年前の魔王襲撃だったと」
私の側に佇んだブルーノに、シオルが一瞬視線を留めた。
「復活して襲撃してきたのは400年前の魔王……直近の『魔王シオル』ではなく、なぜ400年前だったんだろうね?」
ブルーノの細い目が何かを探るように、シオルを見つめている。
「村人に聞いたら、彼はナギちゃんを追って、ある日村に現れたと。で、数か月後に村で結婚式を挙げたって?魔王討伐後に知り合ったのなら、一緒に村に来るでしょ?でも違った。じゃあ、いつ知り合った?魔王討伐の間?でもレオンたちに聞いても揃って口を閉ざすんだよね」
シオルたちを見守る私の横顔に、ブルーノの視線が張り付いた。
「極めつけは、『魔王』と同じ名だってことだ。これ、本当にたまたま?」
沈黙が肯定だと思ったのか、ブルーノが緩くため息を吐いた。
「魔王が討伐されると、聖王国の大神殿に神託がおりる。無事討伐が完了したとね。だから今世の魔王も討伐後神託がおりた。でも本物の彼はここにいる。これはどう解釈すべきだろうね?」
ブルーノの目が何かを探るように、こちらを見ている。
「あとさ、ナギちゃんの雰囲気が一年前とだいぶ違うよね?髪の長さだけじゃなくて。いつから?勇者の剣はどうしたの?ここで会ってから一度も見てないんだよね」
立て続けの質問に沈黙で返す私に、ブルーノの目つきが一段と険しくなった。
「何か重大な情報を隠されている気がするんだよねぇ」
「……」
「防衛ラインの陣で起こったことは情報操作しようがない。複数の目があるからね。だから魔王襲撃は隠せない」
二人の間を、ひとすじの風がそっと抜けていった。
「ダンジョンコアでも何かがあった、と俺は見ているんだよね」
魔族との共闘でスタンピードを乗り越えたものの、予想外だった魔王の復活があり。今後は再度の襲撃に備えた防衛拠点の構築が要。辺境伯と代官代理からの話は――筋道は通っているように見える。
だが。もし目の前にいるのが今世の魔王なら。彼がこちら側なら、再び襲撃があったとしても、そこまで被害が拡大するだろうか?
「敵に400年前の勇者がいるんじゃないか?」
ブルーノのその言葉に、私はゆっくりと瞬きをする。
「彼は勇者の剣を持っており、魔王は絶対的強者ではない、という状況なら。ナギちゃんの勇者の剣が何らかの理由で失われているとしたら――。再びの襲撃があった時、とてつもない被害がでる可能性がある……。でも人類の勇者が、人類の敵だと証明するものがない。だから一旦そこは伏せた、と俺は予想してるんだけど。どう?」
投げかけているようで、その言葉はすでに彼の中で確定情報のようだった。
私は思わず苦笑いしてしまう。
「相変わらずだなぁ……ブルーノさん」
「ナギちゃんの中で着地点はなに?」
「私も、はっきりとしたことは言えないんだけど」
「うん」
「魔族は滅ぼしてはいけない」
ブルーノを見つめる。
ベオルは……魔族はシオルを守ろうとしていた。『魔王』という役割から逃そうとしていた。
神託や人類側の常識では、魔族は『魔王』だから守ると思われていた。そもそも前提が違うのだ。
シオルは最後の竜族で。
少なくともベオルが生きていた時代の魔族は、それを知っていて守っていた可能性がある。
もしそうだと仮定すると、彼らは人間よりも遥かに、この世界の真実を知っていた。
そしてそれを知っていたからこそ、滅びの一途を辿っている――のだとしたら。
「それが、ナギちゃんの答え?」
「うん」
ブルーノは暫く私をじっと見つめた後、ゆっくりと目元を和らげた。
「分かったよ。ならお兄さんはそれで頑張るかぁ」
うーーんと両手を上げて伸びをするブルーノを下から見ていると、視界の端にこちらに近づいてくるシオルが映った。
リルに手を引かれて、カイルに背中を押されながら。
「シオル?」
「やっぱり、やめよう」
「もーーーシオル兄ちゃん、大丈夫だってば!」とリル。
「何でそこでヘタレになるの?シオル兄ちゃん」と少し呆れているのがカイル。
二人に促されるように、シオルがおずおずと差し出したのは花冠。
真っ白な鈴のようなふっくらとした花と、淡い水色の小さな花が輪を描き、その間に挟まれた緑の葉が柔らかい影を落とす。
ひとつひとつの花が、その表情をアピールするように丁寧に編み込まれていた。
「シオルが編んだの?」
びっくりしてシオルを見上げると、目尻を少しだけ下げて躊躇っている。
「上手く作れなかった。もう一度作るから……」
花冠を後ろに隠すように身体を動かしたシオルを見て、横のブルーノの目がほんの少しだけ開く。
普段のシオルは、ブルーノに対していつも無言で剣呑な眼差しを向けていた。
そのシオルが、ひどく自信がない不器用な様子をさらしている。その姿に驚いているようだった。
「この丘はナギにとって大事な場所だろう?……だが何も無くなった。二人に相談して花を咲かせてみたんだが」
そう言って地面に視線を落とすシオルに、ブルーノは今度はフリーズしていた。
この村に住むようになってから、私はいつもここで泣いていた。シオルはそれを知っている。
「なるべく……あの白い花を選んで。二人に教えてもらいながら作った。でも、綺麗には作れなかった」
立っている彼は、ほんの一歩分の距離を前に出られずにいる。
「初めて作ったの?」
私は静かに、シオルの手で握られていた花冠に両手を差し伸ばす。
そっと触れた瞬間、シオルの指がぴくりと震えた。
「⋯⋯私にくれるの?」
私の質問にシオルが少しだけ目元を赤くした。
――私のために。この花冠をシオルが作ってくれた?
胸の奥で弾けた喜びが、波紋のように全身へ広がっていく。
嬉しさがあふれて止まらず、顔全体に熱が広がっていった。
私の顔は今とても見られないほどに、だらしないだろう。
「すごく……すごく嬉しい。ありがとうシオル。大切にする」
「ナギ」
シオルから受け取ったスノードロップと水色の小花でできた花冠。
それに優しく《界域》をかける。
「ナギ姉ちゃん?何したの?」
リルが何かに気づいたようだった。
「魔法だよ。これが枯れないように」
「え!そんな事できるの!?」
目を輝かせて私の方を見るカイルとリルに、頷きながら微笑む。
その花冠を。
シオルがそっと受け取って私の頭に飾った。
目を合わせたまま照れたように微笑み合う私たちを、ブルーノが優しい目で見つめている。
魔法で咲いた花々の間を、柔らかな風がそっと吹き抜けた。
その風は、どこか遠くの……心地よい、甘くて優しい香りを運んできていて。
花びらがふわりと揺れる、何も無くなってしまった丘に現れた花畑は、そこだけまるで春を描いた絵画のようだった。




