7話
「シオル兄ちゃんって、ナギ姉ちゃんを追いかけてきたって本当?」
リルはその純朴な目をシオルにむけながら尋ねていた。
あれから村の周囲を私とシオルとで時々巡回するようになっていた。
そのたびにシオルは、草原をうっかり焼野原にしかけたり、
巨大な岩をあっさりと砕いてしまったり、
「木材が欲しい」という村人に、丸ごとの大木をそのまま持ってきたりと、
とにかく何をしても規格外だった。
だが意外なことに、そんな規格外の隣人を、村人たちはどこか面白がりながら受け入れていた。
――好意的、というより“興味津々”といったほうが近いかもしれない。
もっともその分、私の苦労は増える一方だった。
何かあるたびにシオルに説明し、注意し、片時も目が離せない日々が続いている。
そんなある日、ケガの回復具合を見せに来たリルが、あの爆弾のような一言を放った。
「その通りだ」と、シオルは少し誇らしげに即答する。
……私は言葉にできない脱力感に包まれた。
「えっほんとに!?すごい!シオル兄ちゃん、ナギ姉ちゃんのこと、だいすきなんだー!」
リルが興奮した声をあげて、ピョンピョンとその場で跳ねる。
「じゃあ結婚するの!?もうしてるの!?あ、ナギ姉ちゃん、奥さんなの!?」
「ち、ちが――っ!」
慌てて否定しかけた横で、
「……空を飛ぶなんて……賢者様でもそんな魔法、使わなかった…」
カイルは、かつて勇者一行がこの村に立ち寄った際に目にした、あの賢者の姿を思い出しながら、じっとシオルを見つめた。
「……やっぱりシオル兄ちゃん、只者じゃないと思うんだけど……」
「賢者?ああ、あの者か。そうだな、これは風と重力場一緒に――」
「説明しなくていいから!!」
私は慌ててシオルの口をふさぐ。
子ども達相手に、賢者でも使えない飛行魔法をぺらぺら喋られたら、ますます怪しくなる。
「っていうかね、リルも、変なふうに受け取らないで。追いかけてきたって言っても、別にそういう――」
「そういう?」
リルの目がきらきら光った。
「……いや…まあ、誤解っていうか…」
「えー、じゃあ違うの?でも“追いかけてきた”って、シオル兄ちゃんが自分で言ってたよ?」
「……うん、言ってたね……」
私は思わず額を押さえた。
一方、カイルはじっとシオルを見たままぽつりとつぶやく。
「……シオル兄ちゃんって何者……?」
シオルはというと、リルに向かって何やら満足そうに頷いていた。
私は深く、深くため息をついた。
この村で暫く静かに暮らすつもりだったはずなのに――
(お願いだから、これ以上変なことだけはしないで欲しい)
……遠い空を見上げていた。
魔王城から持ち帰ったベッドや棚を、シオルの小屋に何とか設置しようと奮闘し、
(凪海が興奮していた浴室も組み立ててみたものの……凪海の小屋にも、もちろん入らなかった。)
何とか時間を見つけては、二人でせっせと小屋を改造する日々が続いた。
そして――その様子は、ばっちり村人たちに目撃されていた。
しかも、とても、とても好意的に。
「……新婚生活……?」
遊びに来たカイルに、そうぽつりと呟かれていたことに、二人は気づいていなかった。
――そして村長をはじめとした村人たちは、気づかれないように……ひそやかに“祝いの準備”を始めていた。
細工が得意な老人は、白い樹木を丁寧に削りながら、祝宴用のスプーンを彫り始め、
編み物が得意な女性は「やっぱりベールにはレースがないとね」と呟きながら。
「ふたりとも、やっぱりそうらしいよ」
「いつも一緒に小屋いじってるってことは……まあ、そういうことだろうなぁ」
日が落ちた村のかたすみでは、そんな囁きが交わされていた。
――だが、当の本人はというと。
「……トマト、まだ採れるな」
赤く熟した実をバスケットに詰めながら、唸っていた。
そのままでも、煮ても美味しいけど――正直、レパートリーに限界が。
「ドライトマトとか……乾かすのにどれだけ時間かかるんだろ」
相変わらず異世界の食事情に疎い私の食卓は、どうしても同じ名前で同じ見た目の“トマト率”が高くなりがちだった。
村の人々は笑ってもらってくれるが、もう少し自分で工夫したくなっていた。
(次はソースにしてみようかな……ケチャップ的な?)
などと考えていたそのとき、通りすがりの村人がにっこり笑って声をかけてきた。
「おう、ナギさん。祝いの席には、やっぱ赤がめでたいよな!」
「……?え、えぇ、??……」
何の“祝い”の話なのかはわからなかったが…
私はなんとなく居心地の悪さを覚えたのだった。
その日の夕食。
湯気の立つスープをすくいながら、向かいに座るシオルを見つめて、しみじみと呟いた。
「シオル、あの浴室……本当に助かってるわ」
シオルはパンをちぎりながら、のんびりとした声で応える。
「それは良かった。魔道具の調子も問題ないか?」
私は微笑みながら、
「大丈夫!温水も問題ないし。なんならミストも出てくれるし。水魔法の適正がない私でも使えるから助かってるよ」
そう――魔王城からシオルが持ち帰ってきた猫足バスタブと、パネル付きの温水シャワー。魔力さえ供給できれば、たっぷりのお湯を自在に使える優れもの。
日本の女子高生だった私にとって、この異世界で「しっかりお風呂に浸かれる」というのはとても重要だった。
なかでも、ミストがとても良い。
猫足バスタブにゆったりと身を沈め、その日の疲れをじんわりと癒すミストの時間――
それは、最近のお気に入りだった。
「シオルが来てくれて本当に良かったよ。ありがとう!」
心からの笑みにシオルが若干固まった。
まっすぐな感謝の言葉を受け取るのは、彼にとってかなり久々で…少し不慣れなことだった。
突然会ったことのない相手――魔王としての“分身体”ならある――が押しかけてきたのにも関わらず、ナギは警戒しつつも受け入れてくれた。
それだけでなく、今ではこうして彼女の好意で食事の世話にもなっている。(もっとも、魔王城からバスタブとシャワー一式を持ってきた“お礼”という名目ではあるが)
シオルはやっぱりナギを追いかけて来てよかったとしみじみと感じた。
こうしてそばにいて、彼女の笑顔を見られることが
どうしようもなく、嬉しくて。
思わず、その笑顔に釣られるように、自分も柔らかく微笑んでいた。
「……こんな物でよければ、いくらでも。
また何か欲しいものがあれば、遠慮なく言ってくれ」
二人はそのまま、小屋の改造の話で笑い合いながら、夕暮れの村に穏やかな時間が流れていった。
シオル・エン=オルディム。
彼にとってナギは――まぶしいほどの光だった。
彼には、《魂鎖》というスキルがある。
その能力のひとつとして、契約で繋がった魔族の視界を、自分のもののように覗くことができるのだ。
その力を通して見る勇者は、いつも――
悲しみをたたえた瞳で、それでも前を向き、戦っていた。
初めはただ、彼女の戦い方が自分の知る戦術とまるで違うことに気づいたのがきっかけだった。
仲間の援護の中、いつも深く集中し、一瞬の隙を逃さず振り払う一閃。
その光を纏う美しさ。
短く切りそろえられた黒髪の隙間からのぞく、漆黒の瞳。
不意に、その目と目が合った気がして――
そのたびに、シオルの胸は妙にざわめいた。
(会ってみたい)
いつの間にか、そう思うようになっていた。
よりによって、自分の分身体が先に出会うことになろうとは。
分身体とナギが会話している――
その様子をこの耳が捉えた瞬間、思わず、魔力供給を断っていた。
その無意識の行動に自分でも戸惑った。
分身体が消失したことに気づいても、何もできなかった。
(――会いに行こう)
そう決めた時には、もう足は動いていた。
若干ながらも残っていた好戦的な魔族たちは、“魔王”が倒された後もなお、勇者を標的にし続けていた。
シオルは、ナギをその目に映すのは―― 自分だけでありたかった。
だからこそ、
ナギに牙を剥く魔族は、一体残らず葬った。
関わらない魔族達は、
魔族領の片隅へと――静かに、追いやった。
そして、シオルはナギを追ったのだ。
――この世界で、彼女の瞳に映るのも、自分だけでありたい。
そう願いながら。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。