66話
世界樹の最上階、『白緑』の部屋は静まり返っていた。
結魂の儀式を終え、中央の泉から出たシオルは、ナギを抱いたまま、リュミエルに静かに指示を出した。
「儀式は無事終えた。ナギが目覚めるまでもう暫くかかる。着替えを」
「ッ!」
感情をひどく抑えたシオルの言葉に、リュミエルの両目から涙が溢れ出す。
それは皆が待ち焦がれたしらせ。
ナギが無事であること、そして何より――
自分たちの主人に、永久に『番』が誕生したという、揺るぎない証であった。
「承知いたしました!…奥様をお部屋へお連れくださいませ。すぐお着換えもお持ちいたします」
姿勢を一度正すと、静かにリュミエルは一礼する。
そのリュミエルの前を通り過ぎ、扉を抜けた先に、オルタとルネが所在無げに佇んでいた。
心配気にナギの顔を見つめる二人に、シオルはしっかりと目を見つめ短く頷く。
感極まった二人は、後ろに続くリュミエルと顔を合わせ、はち切れぬ喜びを抑え、ともに静かに喜んだ。
ナギの部屋――『白緑』に入ると、シオルは自分の『番』を、ゆっくりと……噛みしめるように、ベッドへ横たえた。
そのままナギに張り付いていた濡れた衣服を魔力で乾かす。
「……」
横たわるナギの胸は、規則正しく上下している。
呼吸も、脈も、体温も、何ひとつ問題はない。
それでも。
シオルは、ナギの傍を離れなかった。
「……」
声をかけることも――
名を呼ぶことも、揺さぶることもせず。
《魂のゆりかご》から降りたナギの魂が、ゆっくりと身体に着床し、今まさに竜族へと生まれ変わるのを、ただ静かに……この瞬間を記録するかのように見つめ続けた。
自分の『番』が生まれ変わる瞬間を――この目に焼き付けたかった。
慣れない手つきでナギの髪を整え、血に汚れていた衣服を脱がせ、リュミエルの用意したゆったりとした部屋着を丁寧に着せる。
自らも着替えるとベッドにそっと上がり、ナギの左手を取って、顔がよく見える位置に座り込んだ。
温かい。
生きている。
この程度の時間は待てる――
ナギの魂を探している時の時間に比べたら、それはこの上なく、限りなく幸せな時間だった。
やがて、ナギの身体の輪郭が仄かに光を纏う。
身体が創り変えられる……。
ナギの。まるで蛹から蝶へ孵化するかのような、その変化に、視線が留まる。
「……」
やがて、シオルの『番』は、彼の色を纏ってこの世界に誕生した。
その姿を。
その美しさを。
その奇跡を――
シオルは生涯忘れないと誓った。
ナギの長くて繊細なまつ毛がゆっくりと持ち上がる。
黒水晶のように透き通った瞳は、最初何かを探しているかのように、左右に少しだけ動いた後、ゆっくり瞬きを繰り返した。
そして――自分を見つめる愛しい夫の姿に気づく。
「……しおる……?」
少しだけ舌足らずな自分の妻に、シオルは優しく微笑んだ。
「おはよう。ナギ。私の妻」
「……おはよう?……えー、、と、おまたせ、しました?」
ナギの手を柔らかく包むと、その細い指先を、確かめるように何度も撫でた。
「いや。とても幸せな時間を過ごしていた。ありがとう、ナギ」
「?そう?……しおるが、しあわせなら、うれしいな」
目を細めて笑うナギを見て、シオルは笑みを深くする。
そのままゆっくり横に並んで寝そべりながら、
「まだ、眠いだろう?もうしばらく休め」そう言ってナギの指を軽く叩く。
うん、と言いながらシオルの『番』は、幸せそうな笑みを浮かべながらまどろんでいった。
◇◇◇
私が再び目を覚ました時、側でシオルがこちらを覗き込むように横たわっていた。
至近距離で目に入ったその美しい顔は、寝起きには刺激が強すぎて一瞬呼吸が止まる。
「……お、ぉ……?」
「おはよう。ナギ。身体の具合はどうだ?」
「だ、だいじょうぶ……」
何だか、とても恥ずかしいことをしていた記憶がある。
シオルが更に顔を近づけ、額をすり合わせてきた。
「竜族になった感想は?」
その声は穏やかだったが、私の反応を少しだけ楽しんでいるようで。
「感想?」
自分の身体を見渡してみる。
手の平を見ても、手の甲を見ても、腕を見ても変わった感じがない。
身体も以前と変わった所はないように感じる。
「?」
あれ?と思いながらシオルと目線を再び合わせると、シオルが私の髪の毛を手にとって梳いていた。
長い黒髪の――
……長い?
「え!?伸びてる!!!」
思わず起き上がって、自分の首の横で髪を束ねてみる。そこには6年前の長さに戻った自分の髪があった。
更に。
「毛先が白い!!」
毛先が二十センチほど、グラデーションカラーのように、シオルの色に染まっている。
白が良いなと思っていたけど、まさか髪の長さも変わって、途中から染まるとは。
「その色はずっとナギの髪と共にある。髪を切っても、再び同じ位置まで伸び、私の色と揃いになるぞ」
シオルがまた髪の毛を手に取って、愛しそうに毛先を撫でた。
「角とか生えるかと思った」
私のセリフにシオルが可笑しそうに笑う。
「ナギに角が生えたら、きっと凄く可愛いだろうな」
さり気なく何を言うんだろう、この人は。
思わずベッドに突っ伏してしまった。
「ナギ?」
そう言って相変わらず私の髪を梳くシオルは、目を細めて穏やかな笑みを浮かべている。
私はそれを横目で見ながら、恥ずかしさと戦いつつ、確かに胸に広がる幸せを実感していた。
すると、シオルが少しだけ身体を起こし、私との距離を詰めるように半身を重ねながら、
「たとえこの身体が滅びても、魂になっても。側にいる」
そう言って首の付け根に優しく口づけを落とした。
「永遠に――」
そこには七色に輝く逆鱗が密かに輝いていた。
◇◇◇
――中央の陣。
レオンハルト、ドルガン、ゼノスの三人は、シオルが中央に立ち寄った時、王国の第三部隊の面々と魔物の群れを迎え撃っていた。
ナギが危ない――そう、カイルという少年が予言したと聞いた時、その時点では、正直なところ、レオンハルトは事の重大さを理解していなかった。
信じられなかったと言っても良い。
だが、血に濡れたシオルがナギを伴わず中央に現れたと聞いて――
「なぜ!?ナギに何があったんだ!?」
レオンハルトは、シオルの屋敷のメイド、マーニャに詰め寄っていた。
「ナギは勇者だ!シオルも、彼もいて何故!?」
まるで責めるかのようなその言葉に、マーニャは一瞬言葉に詰まったが、
「……申し訳ありません。我々も何があったのか……お答えできることがありません」
軽く顔を伏せ、推測で語るべきではないと、回答を避ける。
「……くそっ!!!!」
レオンハルトはその憤りをぶつけるように、突進してきたコボルトを叩き切る。
「ご主人さまは、あの少年に約束しておりました」
マーニャはレオンハルトの背中に言葉をかけた。
「必ず奥様を連れ帰ると」
「……」
絶え間なく沸くコボルトを斬り続けるレオンハルト。
「右陣では、ダンジョンコアは破壊され、少なくともあと一回は魔物の集団襲来があると告げられたそうです」
「……」
「我々は必ずこの村を死守します」
それだけ言うと踵を返し、前線に戻っていく。
「レオンハルト」
ドルガンが厳しい姿勢を崩さないレオンハルトの背中に声をかけた。
「ナギが戻って来た時、この村がなかったら泣くぞ。あの時のように」
あの時――。
ナギにとって初めての友達。
エリカの死。
「少なくとも、俺たちはあの時のナギを知っているだろう?」
投げかけるように言いながら、魔物を叩きのめしていくドルガン。
「ナギに何があって……今何が起こっているのか俺たちは分からんが」
側にいたゼノスが静かに魔力を練り始めた。
遠くに大量の魔物が近づいてくる土埃が見える。
「勇者パーティーの俺たちが、みっともない姿は見せられんぞ。お前ナギの剣の師匠なんだぞ?それこそナギが戻って来た時に怒られるぞ。下手したらずっと無視されるんじゃねえか?」
「そうですね。私もナギが戻って来た時に、胸を張って活躍を伝えなければ」
一呼吸し、ゼノスが詠唱を開始する。
「……」
「言いつけるぞ。レオンハルトだけ、みっともなく騒いでたってな」
「……」
レオンハルトは恨めしそうな目で、ちらりとドルガンを睨むと
「ナギに無視されるのは嫌だ」ポツリと呟く。
「ふ。じゃあ、つべこべ言わず、俺たちの役目をするだけだな!全力で!」
大量の魔物が前線に近づいてきていた。
ゼノスが肉体強化と俊敏のバフを二人にかける。
レオンハルトは目線を前に向けると、一振り、勢いよく剣を振り抜いた。
「……行くぞ。守る」




