65話
折れるはずのない勇者の剣が叩き斬られた。
私が渡したソラスが、起動しなかった。
私の目の前でナギが斬られた瞬間――。
とてつもなく嫌な予感が胸の底から膨らんだ。
そして――ハイポーションが、何の反応も示さなかった。
ナギは血に染まりながら、申し訳なさそうに、眉をわずかに下げ、私に微笑んだ。
その微笑みで、ソラスをあの小娘に渡してきたのだと悟ってしまった。
でも――それだけでは、説明がつかない何かがある。
世界の理が⋯⋯
ヤツが私のナギを捉えようとしている…!!
甲高い笑い声も、ナギを創造主に送ろうとするその言葉も、
すべてが真っ赤な怒りへと塗り潰された。
それでも――。
あの時、ナギは凄まじい痛みにも、一切顔を歪めなかった。
それどころか優しく微笑んで。
傷みと戦いながら、全く諦めていなかった。
ナギの想いを守らねばならない――。
魔王として立ち、陣を支え、泣き続ける者たちを守り、
ナギが戻る『場所』を残すために。
だが今――。
創造主の手の届かないこの世界樹の中で、
ようやく、二人だけになった。
(……ナギ)
名を呼ぶだけで、胸の奥から、押さえ込んできた何か黒い影が膨らんだ。
ナギは、肉体の傷を治しても、
魂がその肉体にいなかった。
ならば――。
必ず探し出す。
私の『番』を。
◇◇◇
「私を『番』にして?」
もう一度優しくシオルに口づける。
シオルの青い目に微笑む私が映り込んでいた。
「…………ナギ」
すごく時間をかけて、シオルが動き出す。
「良いのか?『番』になれば……!」
質問のようで、私を抱きしめるその両手は、痛いほど力が込められていった。
「だってシオルがずっと側に居てくれるって事なんでしょう?」
「!」
「『番』って誰でもなれるの?」
「いや。あらゆる世界で魂の『番』はたった一人、私はナギだけだ」
「え!…それって、私だけってこと?」
「そうだ」
それなら、もし私が人間のまま老いて死んでしまったら……?
シオルはどうなるの……?
唐突に寂しさがこみあげて涙がこぼれた。
「ナギ!どうした?やっぱり嫌なのか?」
目の前のシオルが愛しくて仕方がない。
この人だけを残すなんて絶対に出来ない。
「違うよ。絶対『番』にしてもらおうと思って。シオルを一人ぼっちにはしたくないから」
この人に伝わるだろうか。
私が心から望んでいるということを。
一人で滅びると耐えてきたこの人に、
もう一人ではない未来があることを。
「どうしたら良いの?『番』になるには?」
シオルの正真正銘、唯一になれるという事実が嬉しくて、私は楽しそうに問いかけた。
それを見て、シオルはようやく目元を和らげる。
「この世界樹に守られた《魂のゆりかご》で、『結魂の儀式』を行う」
「ん?けっこん?結婚式じゃなくて?」
「ああ……結婚も良いが、結ぶ魂と書く。『番』になる為、魂が直接触れ合える特別な空間だ」
「ここ不思議な所だよね。すぐシオルの世界だって気づいたよ?」
するとシオルは嬉しそうに微笑んで私の胸元に顔を埋めた。
「ナギの肉体を治癒しながら、儀式を始めた。ナギと永遠にいられるように願って」
「うん」
「この世界に……もしこの世界にいなかったら……」
「怖かったよね。ごめんね」
両手でそっとシオルの頭を優しく包んで、そのまま頬をゆっくりと乗せる。
するとシオルの両手が私の腰を搔き抱いた。
この場にいる私を確かめるように――
「《魂のゆりかご》も儀式を行っている間しか維持できない」
シオルの声が少しだけ低くなった。
「だから――時間との勝負だった……」
ああ。だからあんなに焦ってたんだ……
シオルの事を想うと心が壊れそうだ。
「『結魂の儀式』ってどうしたら良いの?」
ゆっくりとシオルが顔を上げる。
「私の首の付け根を触って欲しい」
「首の付け根?」
そっと左手でシオルの髪をすくい上げ、右手で付け根を往復する。
何かが触れた。
「ん?何かある?」
覗き込むと、小指の爪ぐらいの……小さく光る欠片があった。
そのまま何度か指の腹で優しく撫でると、
「ん……ッ」
シオルから堪えるような、悶えるような声が漏れ出た。
「え?シオル?気持ち悪い?」
心配になって顔を覗き込むと、目じりを下げ頬を染めたシオルが居る。
「え!大丈夫?」
「……ッ、心配ない。……気持ち良いだけだ」
そういってまた私の胸元に顔を埋めてしまった。
「き、気持ち良いの?」
「ああ。これは逆鱗という。『番』にしか見えないし、触れない。だから触れられたら心地よくなる」
「そうなんだ」
シオルが気持ち良いなら……
そう思ってその逆鱗を、触れるか触れないかの微妙なタッチで何度も撫でる。
「ッ!んッツ!!!…………ふーーーーー」
あれ?
「シオル?」
恐る恐る顔を覗くと、完全に上気した顔で興奮を抑えている。ちょっと恨めし気な目で見られてしまった。
「やりすぎた?」
「だ、だいじょう、ぶ、だ」
ゆっくり呼吸を繰り返すシオル。申し訳ない、と様子を伺いつつ、
「逆鱗を触ってたら良いの?」
「いや、それを剥がしてほしい。めくるように……」
シオルの言葉に従って、恐る恐る下からめくる。
間近で見たそれは、とても綺麗で、七色に光る宝石のような鱗だった。
「すごく綺麗……」
思わず天に翳してみていると、
「それを、ナギの口に含んで……」
シオルが私の右手を掴んで、そのまま口元に誘導する。
「こう?」
私は逆鱗を軽く舌にのせ、薄く口を開ける。
「そのまま、ナギのここに……」
シオルの右手が、私のお腹を愛し気に撫でた。
「ナギの中に収めてほしい」
言葉に導かれるように、私は逆鱗を飲み込んだ。
その瞬間――
シオルが私を抱え込むようにして、アエテルナリスの花畑の中に倒れこんだ。
「シオル!?大丈夫!?」
「ナギ…!ナギ!!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめて離さない。
「『結魂の儀式』って終わったの?コレだけで大丈夫?」
「ああ!ナギの中に私が居る!私の『番』!!」
とても嬉しそうに破顔するシオルを見て、私はその美しさに目を奪われてしまった。
「……私あんまり分からないけど……」
ちょっと残念。
でも、何となく身体が軽い気がする。魂なのに。
少し不満そうな私に、シオルはまるで壊れ物を扱うように私の頬に触れながら応えてくれた。
「ナギはこれから、ゆっくりと竜族へ変遷される」
「ゆっくり?」
「ああ。人間の身体から竜族の身体へ」
「見た目もどこか変わるの?」
「そうだな。私の色がどこかに入る」
「シオルの色?」
「楽しみだな」
シオルがとても幸せそうに笑うので、私も嬉しくて――。
「シオルの色なら白が良いね!指輪とお揃い!」
ニコニコしながら微笑み合う。
そのまま、そっとシオルの頬に片手を添えた。
私の気持ちが、少しでも伝わるように。
シオルこそが私の全てだと。
その時、私たちを包み込むように、一斉にアエテルナリスが天高く舞い上がった。
シオルの瞳のような澄み切った青い空に、吸い込まれるように静かに散っていく。
そのあまりにも神秘的で、幻想的な光景にただ息を呑んで見上げていると――
真っ白で、柔らかな花弁の合間から、
そっと、優しい声が聞こえた。
『………ありがとう――』




