64話
思い出した。
あれは――私の世界の神様たちだ。
目を開くと、私は真っ白な花畑の中に座っていた。
一面に咲き広がっているのは、アエテルナリスの花々。
「……シオル」
胸の奥が締め付けられるように傷み、愛しいその名が、自然と唇から零れ落ちた。
私が召喚された瞬間も、神様たちとの会話も、何故今思い出したのか。
死の淵で、奥底に潜んでいた記憶が蘇ったとしか思えなかった。
私の夫は――……熊ではなかった。
(良かった……)
ちょっとホッとして、嬉しさに浮かされるようにアエテルナリスを一輪、摘んでみる。
ここはきっとシオルの世界――。
私のためにシオルが用意してくれた美しい世界だと確信があった。
「シオルを探さないと」
そう言って立ち上がろうとした時、
何となく視線を感じた。
遠くに――、朧気に一組の男女が立っていた。
「?」
こちらを驚かせないように、優しく微笑みながら距離を保っている。
その容姿が、ひどくシオルに似ている気がした。
「シオルの……お知り合いの方かな?」
私の呟きに、女性がすごく嬉しそうに笑みを深くした。
『あの子は、あなたに優しくしていますか?』
口は全く動いていないのに、何故か声がしっかりと届く。とても不思議だったけれど、さっきまで散々不思議な事があったのだ。今更だ。
「はい!すっごく優しいです!しつこいぐらい優しいです!」
二人に聞こえるように、二人が安心できるように、声を頑張って張り上げる。
すると二人は声あげて笑ったように見えた。
『ありがとう。あの子を受け入れてくれて』
『ありがとう。一緒にいてくれて』
『ありがとう。あの子と共に戦ってくれて』
『ありがとう。あの子をずっと信じてくれて』
何故か泣きそうになった。
二人の言葉がとても優しくて。暖かくて――
『ありがとう。あの子を愛してくれて』
「私の方こそ!!!!愛してくれて、いつも守ってくれて!――シオルを、私と出会わせてくれてありがとうございます!!」
あふれ出る気持ちが止められなかった。
遠くにいるはずの二人の姿が、ほんの一瞬だけ揺らいだように見えた。
まるで涙を堪えているような、温かくて、切ない光の揺らぎ。
『……ありがとう……』
『……本当に……ありがとう……』
二人の声は風に溶けるように、どこまでも優しく響いた。
私は涙を拭う間もなく、二人の姿を目に焼き付けようと、必死に目に力を入れる。
「シオルを……ずっと守ります。どんな事が起こっても、彼のそばにいます。だから――どうか、安心してください!」
二人は、まるで応えるように穏やかに頷いた。
アエテルナリスの白い花弁がふわりと舞い上がり、光を受けてきらめきながら二人のもとへ吸い込まれるように飛んでいく。
その残像を追いかけていた、その瞬間――。
「ナギ!!!」
突然私を呼ぶ声が聞こえた。
「え…?」
待ち焦がれたその人の声に、その声を追いかけるように振り向いた瞬間、視界の向こうでアエテルナリスが風に散り、花弁の隙間から一人の影がまっすぐこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
――シオルだ。
立ち上がるより早く、身体が吸い寄せられるように前へ走り出していた。両手を伸ばした瞬間、
「ナギ!!!」
真っ白な髪を振り乱し、シオルが掻き抱くように私を両手で抱きしめた。
「シオル…!シオル!!」
「良かった……。ナギ……ここに……居た……。良かった……良かった……!」
必死で、苦しそうで、でも抱きしめる腕だけは一瞬たりとも緩まない。
シオルが泣いている。
ああ――抱きしめてあげないと。
私は両手をゆっくりとシオルの背中に回して、その胸に顔を埋めた。
「シオル。ちゃんと私待ってるって言ったでしょう?」
「ナギ……ナギ……」
「あとね、私はシオルに会うために、この世界に来たの」
「…ナギ……?」
「私はシオルのために、そのためだけにいるのよ」
「……私のため?」
「魂も側にいたい、って言ったでしょう?」
「……! ああ……。ああ……っ」
シオルが泣き止まない。それどころかもっと泣かせてしまった。
抱きしめる腕が震えている。
「迎えにきてくれて、ありがとう……シオル」
「ッああ。……約束しただろう?」
絞りだすような声。それでも必死に返してくれるその姿が愛しくて、そっと両手を伸ばした。
震える肩から、ゆっくりとシオルの頬へ。
指先で涙の跡をたどりながら、下からすくうようにして、そっと顔を持ち上げる。
「シオル」
涙で濡れた青い瞳が、まっすぐこちらを見た。
揺れて、怯えて、でも私を見つけてようやく安堵しているその目に。
「……愛してる」
私が言うと、シオルの喉がひくりと震えた。
「本当は……」
「?」
「ちゃんとプロポーズする予定だった。でも時間がない――」
「プロポーズ?ん?」
「指輪はナギがあちらへ戻ったらちゃんと渡す」
「指輪?あちら?」
「だから頷いてほしい」
「うん?」
シオルの涙で濡れた青い目が、まっすぐこちらを見た。
少しだけ怯えているような、ゆらぐ影が見えた。
「私の『番』になって欲しい――」
番?
「私は最後の竜族だ。人間や魔族とは違って、魂で結ばれる相手が居る。それが『番』だ。」
震える声のまま、シオルは私の頬に触れた。
「番になれば、魂が一つの循環で繋がる。寿命も、生命力も……共有することになる」
腕の力が、微かに強くなった。
寿命を共有する?
「ナギ。君が番になれば……人としての寿命は、私のものに引きずられる。村の人間たちと同じ時間を生きられなくなる。彼らが老い、旅立っていくのに……君はほとんど変わらないだろう」
私が驚いて取り乱さないように、シオルは慎重に言葉を選ぶ。
「それだけではない……。番以外とは子を成すこともできなくなる。魂が結び付くからだ。……そして、一番重いのは――どちらかが死ねば、もう片方も死ぬ」
シオルの指が、私の頬に触れたまま止まった。
彼自身、この説明をするのがどれだけ苦しいか、痛いほど伝わってくる。
「魂は、転生しても離れない。ナギは……生まれ変わった後でさえ、私以外を選べない。自由を奪う。本当なら、こんな話は……もっと時間をかけて言うつもりだった」
その声は、かすれていた。
「……けれど今、ナギの魂は切れかけている。このままでは創造主の元に送られてしまう……。そうしたらもう……」
シオルは私の両手を必死に握り、額をそっと重ねてくる。
「だから……この形でしか……。君を、ナギを繋ぎ止めたい。私に」
懺悔のような言葉が続いた。
「……怖いだろう?こんな重いものを背負わせてしまう⋯⋯。でも私は……もう、ナギなしでは生きていけない。ナギ……どうか」
言葉がそこで途切れた。
シオルに固く握られた両手を見る。その手が震えていた。
私の魂が指の隙間からこぼれ落ちそうで……怖くてたまらないのだと分かる。
「……うん。分かった。……でも、シオル、まだ言いたい事、あるでしょう?」
私はそっとシオルを見つめながら、あえてゆっくりと問いかける。
シオルの美しい顔が、ほんの一瞬、本当に僅かに強張った。
彼は少しだけためらった後――
「ナギが世界で一番好きだ。誰よりも何よりも愛している。ナギにずっと触れていたくて仕方がない。もうほんの僅かな間でさえも離れずに一緒に居たい。私以外にはその可憐な笑みを向けないで欲しい。私以外にはその美しい声音は聞かせないで欲しい。私以外をその輝く瞳に映さないで欲しい。私の気づかない内に一人で居なくなったりしないで欲しい。それから――」
怒涛の勢いでシオルの本音が放たれてゆく。
「私を一人にしないで…欲しい……っ」
私はゆっくり瞬きして、シオルに握られた両手をそっと抜く。
その瞬間、青い瞳が絶望に染まった。
違う。そんな顔をさせたかった訳じゃない。
私は膝立ちになって、両手を広げてシオルの頭を胸に優しく抱きしめた。
「それだけで良いの?」
「!」
シオルの赤い角がビクッと動いた。
「全部はちょっと無理よ?でも私があげられる物、全部シオルにあげる」
「!ナギ…っ!」
シオルが必死に顔を上げて私を見ようとする。
その顔を両手でそっと支えて。
「だからシオルも私に頂戴?」
シオルの綺麗な青い目をじっと見つめながら、そっと口づけた。
「私を『番』にして?」




