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婚約破棄した元勇者、辺境でスローライフ…のはずが元魔王に押しかけられて慌ただしい!  作者: cfmoka


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62話

ナギの姿が、真っ白な光の奔流の中で、ゆっくりと朧気に消えてゆく。

その光景をシオルは黙って見守っていた。

さっきまで確かにあったナギの重みが消える。指先に残るかすかな感触を確かめるように、その手を思わず固く握りしめ、俯きながら力をこめた。ゆっくりと背筋を伸ばし、立ち上がる。


彼女の、あのかすかな微笑みだけが、いつまでも胸に残って離れない。

創造主から逃れるため、ナギは自ら世界樹の『シオルの屋敷』へと転移することを選んだ。

そしてそこでシオルを待つと、ちゃんと待っているという、それは絶対的に自分を信頼した証――。


バキッ――ドガアァン!

広間の天井が、堰を切ったように次々と崩落していく。

シオルは勢いよくゲオルグへ振り向いた。

コアを失ったダンジョンは、もはや形を保てず、刻一刻と崩壊を進めていた。


「ゲオルグ、すぐに右陣へ戻る」

「ッはい!」

何かを聞きたげなゲオルグに対し、最低限の指示だけを飛ばすシオル。

一瞬で足元に魔方陣を展開すると、二人は一気に陣内へと移動していった。



――右陣内部。



「ご主人様!!」

白金色の髪をたゆらせ、魔王の姿で現れたシオルにウェブスターは目を見開く。


「その御姿は?……こちらから何度か念を飛ばしたのですが、一体何が……」


言葉の途中で、ウェブスターはシオルの衣服にこびりつく血に気づく。

乾ききらない鮮烈な赤。

そして、隣にナギの姿がない。


「……ナギ様は、どちらに?」

静かに問うウェブスターに、シオルは短く答える。


「屋敷だ。私もリュミエルとすぐに立つ」


ウェブスターの顔が強張る。

その意味を理解したからだ。――あの血の量、そしてリュミエルが必要とされる状況。


「ダンジョンコアは破壊した。最低でもあと一回は魔物の襲撃がくる。後は任せた」

「承知いたしました」


ウェブスターは迷いなく判断し、そのままマーニャへ速やかに念話を送る。


『マーニャ。リュミエルを戦線から離脱させてください。ご主人様が迎えにそちらに向かいます』

『承知しました。……奥様はご無事でしょうか?少年の言葉は』

『奥様は屋敷に向かわれたようです』

『……理解いたしました。速やかに対応いたします』


そしてシオルへ向き直る。


「ご主人様。中央陣へいらっしゃるのであれば――その姿のままでは混乱を招きます。変身を」


淡々と、しかし焦りを押し殺した声音で諭す。


「……そうだな。貰っていた念は何の報告だ?」

「はい。詳しくは中央陣で」

「?中央……?」

「こちらはお任せください。急ぎ中央へ、そしてナギ様の元へ」


ウェブスター、ロウラン、バルトが揃って深く礼を取る。

ゲオルグ達魔族も沈痛な面持ちのまま、佇む魔王の姿のシオルを見つめていた。


「ゲオルグ。ナギは……お前たち魔族の命を、このスタンピードから救おうとしていた」

「!」

「けして忘れるな。ナギが戻るまで――ここで踏みとどまってみせよ」

「はい!はいッ」

ゲオルグは膝をついてシオルに頭を深く垂れる。



その姿を一瞥し、ウェブスターへ視線を送る。

シオルは即座に魔方陣を展開し、人間の姿へと瞬時に変じると、そのまま中央陣へ転移した。




中央陣の中心部へ、光の揺らめきとともにシオルが姿を現した。


すぐに目に入ったのは、マーニャ、村長、ララベル――見覚えのある面々が固まっている姿だった。

その中で、いち早くシオルの気配を察知したマーニャが振り返る。


「ご主人様……!」


次の瞬間、彼女は駆け寄り、シオルの衣服にこびりついた血を見て、息を呑んだ。


「そのお身体は……!」

「リュミエルの離脱が問題がないのであれば、すぐに屋敷へ飛ぶ」


シオルが淡々と告げると、マーニャは押し殺しながら答えた。


「リュミエルは、今、置きポーションをありったけ量産し、こちらへ向かっております。……私どもからご主人様へ『奥様の件をお伝えしなければ』と、ウェブスターを通じ、何度か念を……」


そこでシオルは、ようやく周囲の空気の異様さに気づいた。


少し離れた場所で、カイルとリルがライエルに肩を抱かれながら泣き続けていたのだ。

マーニャが静かに説明する。


「……あちらの紐をご存じでしょうか?」

「紐?」


彼らの方へと急ぎ足をすすめながら、カイルの手に握られている青と黒の紐に目を留める。

それはナギのソラスのためにシオルが選んだ色。


「かの少年は、400年前の勇者の直系で『悟り』のスキルをもっていらっしゃるとの事。あの紐は奥様の運命を示しており、その紐が切れたと……」

「カイルが『悟り』を?」

シオルはやや目を見開いた後、ゆっくりとカイルの前に膝を折り、目線を合わせようと手を伸ばしかけた――が。


ナギの血が、自分の手のひらにべったりと付着していることに気づく。

その手が、空中で止まり、そっと下ろされた。


代わりに、シオルは静かに言葉を紡ぐ。


「知らせを受け取れなくて……すまなかった、カイル」


カイルは静かに涙をこぼしながら、やや目を細めてゆるく首を横に振る。

シオルは、これ以上カイルを傷つけないように、ゆっくりと言葉を続けた。


「大丈夫。ナギは無事だ。今は、私の屋敷へ避難させている」


その言葉に驚いたように、横のリルの泣き声が少しだけ弱まる。


「必ずナギと一緒に、この村へ戻ってくる。だから……もう一度、ナギのために紐を編んでくれないか?」

「!!」


カイルはその大きな目をこれでもかと見開いた。

願い乞うようなシオルのその言葉の意味を……しっかりと汲み取ったかのように。


「色は――()()()だ」

「し……”白”……?ッ青じゃ、なくて?」言葉をつかえながら、何とか尋ねるカイル。

「そうだ。次は白と黒で作って欲しい」

「わ、わかった……!」

流れ続ける涙を何とか止めようと、カイルは目に力をこめて頷いた。


そのカイルの様子に優し気に目を細めたシオルは、兄の服の裾を握ったまま嗚咽をこぼすリルに視線を移す。

「リルも大丈夫だ。ナギを必ず連れ帰ってくると約束する」

「っう…!」

その言葉に、リルは両手をシオルの方へ伸ばし、その身体に飛びつくように抱き着いた。

「!リル、いけない。私の身体には」

血がついているから……と、離そうとしたが――


「シオルさん、今は好きなようにさせてあげて下さい。二人とも、もうずっと泣き続けていて」

ライエルの言葉に、シオルはあげていた手をそっと下ろした。


そのリルの後ろから、カイルが控えめにシオルの首にしがみつく。

「……や、約束だよ?シオル兄ちゃん。……僕たち、待ってるから」

「ああ。分かった」


二人の子供の体温にシオルは固く目を瞑った。

そして改めて決意する。


絶対に、どんな事をしてでも、創造主へナギは渡さない――


ふと視線を感じて目を開けると、ライエルの少し後ろに、真っ青な顔をしたエリカが立っていた。

彼女は震えた両手で、小さな石を必死に握りしめている。


「小娘。その石は……ナギが戻るまで、必ず持っていろ」


エリカは何かを抑え込むように小刻みに震えながら、小さく頷いた。


「ナギが戻ったら――その時は、お前の手で必ず返してやれ」


その言葉で、耐えていたエリカの目に涙が溢れた。そして何度も首を縦に振る。



「ご主人様」

振り返ると、マーニャの後ろにリュミエルと、フェリア、イグナ、トリアが膝をついて待っていた。


「リュミエルをお連れください」

マーニャが静かに告げる。


シオルは二人の子供をそっと離し、ゆっくりと立ち上がると自分のメイド達へ向き直った。


「この世界で、勇者ナギが再び戻りたいと心から望んだのは、ただ一つ、この村のみだった」

「「!」」

それまで静かに成り行きを見守っていた村人達の間に、息を呑む声が広がる。


「必ず、命を賭して、この村を守れ」

「「はッ」」

メイド達は一糸乱れぬ所作で深く首を垂れ、自分たちの主に凛とした声を響かせた。

同時に村人の間から、ここに居ないナギを想ってすすり泣く声が響く。



「リュミエル。発つ」

「はッ」


静かに、しかし瞬時に魔方陣を描くと、シオルとリュミエルは渦巻く光の中へと吸い込まれるように消えて行った。


あとには、ナギの無事を静かに祈る村人たちの姿と、震える手で小さな石を握りしめるエリカの姿だけがあった。




屋敷のある世界樹へ戻った時、シオルはどこにナギが居るのかすぐにわかった。

風が優しくそよぐ、白と銀の花々の中――

オルタとルネが跪いて、まるで何かから守るように、一箇所をじっと見つめていたからだ。


「ナギ」

シオルはそっと近付く。

彼女は眠っているかのように、ほのかに微笑んだまま、穏やかに美しい花々に囲まれていた。


「ご主人様、奥様が――」

ルネがシオルを振り返り、蒼ざめたまま言葉を紡ぐ、

「突然現れた時にはこの様なお姿で……」


その血塗られた姿に、リュミエルは目を見開き息を呑んだ。


「分かっている」

ルネに言葉を返しながら、シオルは片膝をついて、そっと優しくナギを抱きかかえる。


「待たせたな。ナギ」

抱き上げた瞬間の柔らかさに――、ダンジョンで最後に見たナギの心から安心している笑みに、優しく目元を和らげた。


「リュミエル、中央の泉を『エリクサー』で満たせ」


シオルはナギを慈しむように抱きかかえながら、屋敷へと足を進める。


「ハイポーションでは癒えなかった。この傷は勇者の剣によるものだ」


魔王を唯一倒すことができる勇者の剣は、創造主によって魔王と相討ちになるよう調整された勇者にとっても、その強靭な肉体を傷つけうる事ができる最悪の武器だった。


「!!すぐに精製に入ります!」リュミエルはいち早く泉へ向かって駆けて行く。


「時間がない。……今は出血をナギ自身のスキルで止めている状態だ。オルタ、ルネ、私はナギを癒しながら儀式に入る」


「!、はッ」


「ナギは創造主に捕らわれないよう全力で抗っている。私はこの身体も、魂も――同時に、絶対に護り抜く」


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