58話
不気味な静寂の中、私たちは一歩一歩、慎重にかつ最大限迅速に足を進めた。
あれから魔物が放出された気配はないものの、いつ起こるか分からない緊張感の中、三人で気配を消しながら最短ルートで五十階に近づいて行く。
石壁に囲まれた迷路のような通路を抜け、薄暗い通路を進むと、 ゲオルグが地図を見ながら小声で告げた。「この先が五十階につながる階段です」
私たちは互いに目配せし、最下層へと続く階段を慎重に下りて行った。
地下五十階――
長い階段を下りた瞬間、これまでの迷路のような通路とは異なる広大な空間が広がっていた。
天井は遠く高く、壁面には古びた彫刻や、意味を読み取れぬ巨大なレリーフが幾重にも彫り込まれている。
光はほとんどなく、かすかな魔力の残滓が壁や床にゆらゆらと漂っていた。
「……広いね」
思わず漏れた私の声に、シオルが低く頷く。
「最下層は、今までの階層とは異なった構造をしている。魔物が一斉に放出されても耐えられるように」
広い空間の中、微かな残響がしばらく漂って少しだけ不気味に感じられた。
「足跡……先行者はすでにここを通っているようです」
ゲオルグが床を指さしながら言った。砂埃の跡が二人の通過を示している。
シオルが慎重に周囲を見渡し、私はゆっくりとスキル《空識》と《神鋼躯》を発動する。
念のため《千里眼》も起動すると、思っていた以上に五十階全体が広大な空間であることが分かった。
そしてこの広間の一番奥に何かが――、
「居た」
私の言葉にシオルが気付き、こちらを興味深々に見つめた。
「ナギ?新しい技か?」
「うん。これも一つ。千里眼が使えるようになったの!」
嬉しそうに報告すると、珍しくシオルが青い目を見開いて驚いていた。
「凄いな……ナギはどんどん成長するな」
「シオルのおかげだけどね!」
私の言葉にちょっと不思議そうな顔をするシオル。
そこへゲオルグが控えめに言葉を挟んできた。
「『居た』?とは?先の二人が見えるのですか?」
「うん。二人いる。甲冑を着た大柄な男性と、ローブを着た小柄な人物だね」
《千里眼》で限りなく拡大し、赤色に点滅する二人の特徴を告げる。
だがそれ以上は詳細が見えない。
「何か丸い物の側に立ってるような。まだシオルの隠形の術のおかげで、こちらには気づかれていないと思うけど……」
その時、辺りをつんざくような激しい音が響き渡った 。
「「!」」
コアから魔物が一斉に放たれる合図――。
《界域》!
咄嗟に自分たちの目の前に結界を出現させ、それを螺旋階段状に天井まで伸ばす。
「二人とも一番上に!!」
心得たシオルが素早く座標を特定し、三人をまとめて最上段へ転移させる。
移動が完了すると、今度は足元に再び《界域》で三人を覆うように結界を構築し、それ以外の結界を全て消去する。
何も無かった天井近くの空間に、結界に守られた私たちだけがぽっかりと浮かんだ状態だ。
移動したそのわずかな間に、広間の最奥から魔物の大群がひしめき合いながら流れ込んできた。
私は下の様子をじっと観察しながら、この移動速度なら切り分ける隙間が発生すると気づく。
「シオルは魔術を使わないでね。派手な音がすると、奥の二人に気づかれるかもしれないから」
「ナギ?」
「防御ラインで戦う皆の負担を減らしたいから、今の内に間引いておこうと思って」
そう言って魔物の大群を《界域》で区切ってゆく。
静かに素早く多重結界を発動し、確実に魔物を押し潰していく様子に、ゲオルグもシオルも目を見開いていた。
「驚いたな……これも新しいスキルか?」
「うん。広間の入り口を通る為に、ひしめいている今がチャンスなんだよね。あまり動きが早いと、まだ逃げられちゃうんだ」
《界域》で区切られた魔物たちは何が起こっているのか分からないまま、見事に結界の壁面で砕け散ってゆく。
「これは……素晴らしい!」
それまで静かだったゲオルグが、突然声を発した。あまりの興奮気味な声に、珍しい……と横を見ると、こちらを見る目が輝いている。
「ん?ゲオルグさん?」
「ナギ様は勇者としての剣技だけでなく、このような不思議な技まで使えるのですね!!さすが魔王陛下のお妃様です!このような見事な技、見たことがございません!!己の手を出さずとも魔物が面白いようにすり潰されていく……この圧倒的な支配感、この高揚をどう表現すれば……!」
「おっと?」あまりの勢いに思わずのけ反る。
私がちょっと引いている後ろで、シオルもゲオルグの多弁にちょっと引いていた。
「ゲオルグ、落ち着け」
「ですが!魔王陛下!このような素晴らしい、美しく、静かで厳かな技は見たことも聞いたこともなく……!!」
「そうだな。私も初めてだ。だが少し声を落とせ」
「長年、魔王城で色々な魔族は見て参りましたが、いかんせん我々が使用する魔術は、詠唱にせよ発動にせよ音があり派手でございまして、その点」
「分かっている。分かっているから」
「ほぼ無詠唱でこれを成すとは!無詠唱と言えば魔王陛下もそうですが!」
「ゲオルグ。口を今すぐ閉じねば、咽喉をつぶすぞ」
「!」
「正体不明の二人に気づかれぬように、ナギがせっかく、わざわざ、静かに、これ程までに美しく魔物を駆逐しているというのに。それを貴様は……!落ち着きを欠き、大声で騒ぐとは何事か。自分の立場が分かっているのか?」
「……」
(シオルが切れている……)
私は二人が喋っている間も、粛々と魔物を葬っていたのだが。やっと静かになったようだ。
「ある程度間引いたら、奥の様子を見に行こう?」
後ろの二人にそっと声をかける。角の幻影が見えてもおかしくないほどの、殺気立ったオーラを放つシオルの前で――真っ青になったゲオルグが、ブルブル震えながら縮こまって正座していた。
(面白い……ゲオルグさんが叱られた犬に見える……)
珍しい姿に思わず忍び笑いしてしまう。
きっと分身体のシオルは、こんなあからさまな感情表現はしなかったはずだ。
(さっきの、ちょっとシオルお母さんみたいだった……)
思わず吹き出さないように、口に力を入れて、まだ座ったままのゲオルグに話しかける。
「ゲオルグさん?この広間の奥、丸い物体があるんだけどこれは?」
ハッとこちらを見つめ、地図を確認しながら、
「おそらく、それがダンジョンコアです」一点を指し示す。
「なるほど?その奥に小部屋みたいなのがある?」
「はい。そちらは最後のセーブポイントです。そこまで移動できれば魔物の放出があっても影響をうけません」
「二人は今そこにいるね」
《千里眼》で見つめながら、正体不明の二人の様子をじっと探る。
「コアに何かするとしたら、この放出の後かな?」視点を全く動かさない私の質問に、
「おそらく、そうだろう。終わりが見えたら転移で一気に詰めよう」
シオルも広間の上から魔物の様子を確認しつつ、タイミングを探っているようだった。
二人の間に一気に緊張感が増す。ゲオルグもその空気が伝染したように、居住まいを正した。
やがて魔物の軍勢がまばらになり、入り口へ向かう勢いが増してきた頃、私たちは静かにダンジョンコアへと転移した。
その奥の部屋に居たのは――。
見事な銀色の甲冑をまとい、ゆるく波打つ金髪を深紅の片肩マントの上に緩やかに垂らした、大柄な男性だった。その瞳はなぜか不気味なほど空虚なまま広間を見据え、片手には巨大な両手剣を無造作に握っていた。隣に立つローブの女性は、深くかぶったフードの奥が完全な闇で覆われ、表情どころか輪郭すらつかめない。
その『銀の騎士』……を見つめたシオルが、驚いたように呟いた。
「まさか――……貴様は勇者アルヴェル?」




