57話
濁流のように押し寄せる魔物が通り過ぎるたび、洞窟の入口へ向かう道が削られていく。それなのに、まだ奥には黒い塊が波のように途切れず続いていた。
「あの足跡って、魔族じゃなくて人間だよね?」
スタンピードの波が途切れるのを待ちながら、私がゲオルグとシオルに質問すると、
「はい。一人は具足を履いた……おそらく兵士か騎士タイプの冒険者かと」
ゲオルグが即座に答える。
「もう一人は?」
「それよりも小柄で、従者か魔術師などの軽装だと思われます」
「何が目的なんだろう?」思わずこぼれた疑問に、
「我々と同じコアが目的だと厄介だな」
シオルが静かに応える。
「味方ならともかく。人間でコア破壊を目指しそうな者はいるか?」
今度はシオルが私に問いかける。
「うーん、検討がつかないかも。私達に何も言わずに来るかなぁ?」
「普通の人間では無理です!この魔物だらけの中を突き進むのは、魔族でも躊躇します」
「であるなら、単純に迷い込んだか、もしくは……」
「?」
「破壊を阻む為に入り込んだか」
「!」
「もし敵だとしたら、このスタンピードの中を突き進んでいることになる。相当の実力がある、という事だ」
シオルの言葉に思わず、剣を握る力がこもる。
このスタンピードの発生源であるコアを、破壊させない為にここに来たとしたら。
もしそうなら……コアに何を仕掛けられるか分からない。
「なるべく早くコアにたどり着いた方が良さそうだね」
「そうだな。急ごう。ここから下まで飛ぶぞ」
「承知いたしました」
ゲオルグが緊張した面持ちで、私たちを見つめながら頷いた。
◇◇◇
次の魔物放出まであまり間がない。
シオルの転移で、地下十階から二十階に飛び、周囲に魔物の気配がない事から一気に四十階まで飛ぶことにした。
地下四十階――
足音に気を付けながら、セーブポイントまでひたすら進む。
「足跡はだいぶ先まで続いているようです。おそらく先ほどの放出時には三十階のセーブポイントまで到達していた可能性がありますね……」
ゲオルグが残された足跡を見ながら分析する。
私たちより先を進んでいる二人の正体が不明なため、シオルが隠形の魔術を三人にかけてくれた。
「お妃様はお疲れではございませんか?」
こちらを気遣いながらゲオルグが声をかけてきた。
「大丈夫だよ!あとその、ゲオルグさん、私の事、お妃様じゃなくて、ナギで良いよ?」
お妃様はどうしても照れてしまう。だが私を見ていたゲオルグの顔色が真っ青になった。
「?ゲオルグさん?どうしたの?」
「無理でございます。お名前では呼べません。私が魔王陛下に消されます」
最後は震えながら消え入りそうな声になってしまった。
そっと後ろを振り返る。絶対零度のシオルが居た。
「シオル……」
「お妃様を名前呼びは……どうかお許しください」
ゲオルグが土下座しそうな勢いだ。
「シオル?村の人達だって名前で呼んでくれてるでしょ?」
「村の皆は特別だ」
「そうかもしれないけど」
「ナギは妃と呼ばれたくないのか?」
シオルの問いに、照れてしまって集中できないと訴える。
「嫌なわけではないの。ただむず痒いし慣れないし……」
私が照れながら上目遣いでシオルにお願いすると、ちょっとだけ思案して
「ゲオルグ、ナギからの願いだ。名前呼びを特別に許す」
とても渋々、仕方ないという雰囲気を醸し出しながらゲオルグに声をかけた。
「ありがとうございます……ではナギ様とお呼びさせて頂きます」
視線をやや落としたまま、ためらいながらゲオルグが申し出る。
その言葉に私は笑顔で頷いた。
「ナギ様は、とても鍛えていらっしゃるようにお見受けしました」
ゲオルグが続ける。
「我々魔族は人間より体格や体力面、運動能力が上位に位置します」
「そうだね」
今まで戦った魔族がふとよぎる。そう、人間が魔族と戦う場合、一対一ではまず敵わないとされている。
「私は城仕えでしたので、それほどでもありませんが。それでも、人間には負けないと思います」
「うん」
「ですが、ナギ様には勝てる気がいたしません。魔法陛下?いえ、あの戦うつもりはないのです、そうではなくて!」
また真っ青になりながら、最後尾のシオルに必死に弁解するゲオルグ。
「運動能力というか脚力だけを見ても、これほどお強い人間に会った事がなかったので、純粋に驚いておりまして」
「当たり前だ、ナギは勇者だからな」
「!」
何でもない事のように、あっさりとシオルが私の正体を告げると、ゲオルグの顔色はさらに青ざめた。
「え?」
そして動揺している。
それはそうだろう。魔王を倒したとされる勇者が魔王の妻をやっていて、更に魔王はこうして生きている。
「いや、しかし勇者様は敵でございます!それに魔王陛下は勇者様に倒されたと我々は聞いておりました!それなのに、どうして⋯!」
「そうだな。だが私はこうして生きていて、勇者のナギは私の大切な女性であることに変わりはない」
「倒されたというのは嘘だったと……?!では神託は、世界の理は……!」
「倒したというのは真実だ。あれは私の分身体だった。ナギは神託通りにちゃんと魔王を倒している」
「分身体?」
ゲオルグが驚愕に目を見開く。
「そうだ。お前たちが長年仕えていた『魔王』は正確には私ではない。あれは私を元に作ったもう一人の私だ。だからお前たちは私の戦う姿を見て、私が『魔王』であると気づいたのであろう?」
「!」
ゲオルグは固まったように動かない。
長年仕えていた魔王は目の前のシオルではない――でも、今のシオルは変装していて本来の姿ではなかったのに、魔王その人であると彼は気づいた。
それだけ真摯に分身体のシオルと接していたのではないだろうか?
「世界の理は……謀っている最中だな」
シオルが少しだけ笑いながら続ける。
「神託には反っていない。そこをアレはどう突いてくるか……」
ちょっと楽しそうだ。
「……魔王陛下が勇者様に倒された後、城に留まる我々の元に魔王陛下の使いとされる方が現れました」
ゲオルグが地面を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
(シオルの使い?)
「ここを去って、周囲に定住している魔族を取りまとめ、東側に位置する山岳地帯に移り住み、争わず静かに過ごす様にと」
「そうだな」
「その使いの方は……」
「変装した私だ」
戸惑っていたゲオルグはシオルを少しだけ見つめ、やがて諦めたように溜息をこぼした。
「⋯⋯我々が目障りでしたでしょうか?」
ゲオルグの淋しそうな声に、私が思わずシオルを振り返る。
「……お前たちは分身体によく仕えてくれた。あのまま主の居ない城にいるよりは、少しでも温かな土地で新しい生活を始める方が良いかと思ったのだが」
「!」
その言葉にハッとする。そうか、この山岳地帯は火山帯だ。
ゲオルグも気づいたようだった。
少しだけシオルを見る目に喜びが広がっている。
「結果的にスタンピードが起こってしまって、私の思惑とは外れてしまったがな」
「⋯っいいえ!!」
シオルの少しだけ気まずそうな言葉に、食いつく勢いでゲオルグは答えた。
「我々はスタンピードが起こらねば、『魔王陛下』とこうして再びお目にかかることは叶いませんでした。このようなお心遣いをいただいたこと、生涯忘れません。そして必ず御恩に報います」
嬉しそうな様子を隠さないゲオルグを見て、ちょっとだけ気持ちが温かくなった私は、笑みを浮かべながらシオルを振り返った。
そこには、残された魔族を思い、そっと気を配っていた『魔王』が優しく微笑んでいた。




