56話
シオルが静かに手をかざす。
視界が眩い光に包まれて、景色が一瞬途切れたかと思うと、三人はダンジョン入り口付近に立っていた。
「……随分と景色が違うな」シオルが低く呟く。
山岳地帯だったそこは、景色が以前とは大きく変わってしまっていた。激しく崩れ落ちた岩肌、裂け目から漏れる不気味な光。山の頂上がごっそりと無くなっている。ダンジョンの入口は大きく口を開け、地下三階までむき出しになっていた。
私は入り口が見渡せる高台の位置から、周囲を慎重に見渡す。不思議な程静かな中、三人の息遣いだけが辺りに響いた。
「スタンピードの動きを見るに、今回のダンジョンコアは、魔物を波状で放出しています」
ゲオルグが私たちに地図を示しながら説明する。
「コアの場所は地下五十階です。先程までの戦闘状況と、今入り口付近に魔物の気配がないことから、地下深くで新たに放出したばかりかと思われます」
「少なくとも、どのセーブポイントまでは一気に行けそう?」
ダンジョンには何故か魔物が入ってこない一画が必ずあった。そこをセーブポイントと呼んでいる。
私は地図を見ながら上層階からどこまで下れるかゲオルグに質問した。
「こちらの移動の速さと、魔物の動きから見て、十階までは安全に移動できると思われます。推測ですが……」
「了解!じゃあ、慎重にかつ素早くそこを目指そう!」
私はゲオルグに伝えると、後ろのシオルを振り返った。
「シオルもそれで良い?」
「ああ。問題ない、が。転移で動かなくても良いのか?」
「転移だと、移動した先が魔物で溢れかえってたら、ちょっと厄介だからね。少しずつ確認しながらの方が良いと思ったんだけど。どう?」
「そうだな。全てのセーブポイントの座標を把握できてはいないしな⋯⋯」
「じゃあ、とりあえず地下十階を目指そう!その時の状況を見て後は転移かな?」
「承知した」
すっかり普段の冷静なシオルに戻っている事に気づいた。
「シオル?もう落ち着いた?」
「……早く終わらせたら、その分ナギとずっと一緒に居られるだろう?」
「なるほど。そっちか」
「とっとと破壊して帰ろう」
「そうだね!」
まだちょっと口調がアレな気がするけど。
さっきよりはだいぶマシだった。
「では入ります」
ゲオルグが先頭に立ち、私、シオルの順ですっかりダンジョンの面影を無くしたほら穴を下っていく。
岩肌は割れ、崩れ落ちた破片がひび割れた岩石の床に散乱していた。足元を踏みしめるたび、乾いた音を立てる。
温泉の源泉は奇跡的に通り道ではなかったようで、一部土砂が流入してる箇所があるものの、まだ復旧が出来そうな様子だった。
「温泉、修理してまた来ないとね」
振り返りながらシオルを誘うと、柔らかく微笑んでくれた。
そこから地下に、切り立つ崖を更に降りていった。
天井はところどころ崩落して大きな裂け目が見え、漏れる微かな光が不気味に揺れていた。
進むたびに岩の壁が狭まり、天井が低くなり湿った空気がさらに淀んでいく。
唐突にゲオルグが小さく手を挙げ、私たちは足を止めた。
「……足跡があります。」
囁くような声で私たちに告げる。
「足跡?ダンジョン内で?」
思わずゲオルグが指す地面を見ると、人がギリギリ通れる岸壁との境に、確かに足跡が続いている。
「誰か…私たちと同じようにダンジョンに潜っているってこと?」
「敵か味方か?」シオルが足跡を見比べて「おそらく二人だな」慎重に告げる。
私たちはお互いに顔を見つめあい、そこからは距離を詰め、更に足音をできるだけ殺して進む。
壁の亀裂から流れ込む薄い光が、私たちより先を進む足跡を照らしていた。
「セーブポイントはこの先です」
ゲオルグの言葉に頷き、私は少し速度を上げた。
その瞬間だった。
――空気が揺れた。
低い地鳴りのような唸りが、地面の奥から押し寄せてくる。
耳の奥を震わせる、群れの気配。
「あそこまで走ります!」
焦ったように、ゲオルグが叫ぶ。
その合図に私たちは一気に先へと駆け抜けた。
通路がわずかに広がり、微かな光が揺れている。そこは切り抜かれたように不自然な空間がぽっかりと空いていた。
三人がそこへ到着した瞬間、赤い眼光の魔物たちが、押しつぶされるようにせめぎ合いながら、何かに操られているかの如く、凄まじい勢いでダンジョンの入り口へ向かって駆け抜けて行く。
すぐ見える位置に居るのに、こちらの事は見向きもせず、一心不乱に突き進む。その様子の異様さに、少しだけ気味の悪い感じがした。
相当の魔物の数が通り過ぎていったのに、遠くに見えるのもまだ魔物の蠢きで、最後尾がどれほどの位置にあるのか、まるで見当がつかなかった。
「……これは、まだ終わりそうにありませんね」
ゲオルグの顔色は血の気が引き、視線は奥の闇へと固定されたままだ。
地鳴りは、大地そのものが脈打っているように一定のリズムを刻む。
牙が擦れ合う音、岩床を叩く無数の足音――まるで波がぶつかるように層を成して押し寄せてくる。
「丁度よかった。こやつらが通り過ぎたら転移で下に飛ぼう」シオルが遠くを見つめながら魔術を展開し始める。
「そうだね……。次の波状が来る前に何とかコアを壊したいね」
「……はい」狭い通路で大群の脅威を直に感じてしまったせいか、ゲオルグの返事はかすれるように小さかった。
◇◇◇
一方その頃――、
「ナギは無事、シオル、、殿?と合流できたかな?」
レオンハルトがドルガンに囁いていた。
皆の前で大きな声で『魔王』と呼べないので、あえて『シオル』と名前呼びをすることにしたのだが……ちょっと呼び捨てには出来ず、悩みながら敬称をつけてみたもののぎこちない。
「あれだけ朝イチで勢いよく空を駆けて行ったのだから大丈夫だろう」
「そうですね。あの技はちょっと出来そうにないんですよね……」
ゼノスだけ論点がずれている。
「そうなのか?ナギのあの技は難しいのか?」
ドルガンがゼノスに尋ねると、
「そうですね。結界の応用なのですが、まず私の構築する結界がドーム状なのに対し、ナギのは立方体なんです。この時点で理論が違います」
「ほう?」
「ナギの空中を駆ける技は立方体だからこそ、上面に足をつけて走ることが出来る」
「ゼノスのは丸いからそれが難しい、という事か?」
レオンハルトも興味がわいたのか、会話に入って来た。
「そうです。人間離れした体幹があれば、おそらく球体に着地しながら走り抜ける、という事もできるかもしれませんが。それこそナギのような運動能力があれば。それと、一番大事なのは、基本的に結界は物質に対して張るもの、という点です」
「そうだな。ああ、ナギのあれは何もない所に結界を張っているのか」
「そうなんです!!それが一番難しい。おそらく空間そのものに作用しているんです!ナギのは!」
「……更に人間離れしてきたなぁ……」
うんうん唸っているゼノスの横で、レオンハルトとドルガンが揃って遠くを見つめていた。
◇◇◇
変わって右陣では、屋敷の従者三人が、珍しく固まって何かをしていた。
「第三形態まで許可を頂きましたので、取り急ぎ第二形態になりましょうか。二人とも準備してください」
ウェブスターの言葉にロウランは待ってました!とばかりに魔力を全身に漲らせる。
白銀の髪が緩やかに波打ち、毛先が鮮やかな蒼に染まっていった。
上半身の燕尾服が裂け、そこから柔らかく豊かな毛並みが姿を現す。
肩口から胸元へかけて白と黒の魔紋が走り、皮膚の下で脈打つ魔力がかすかな光を発した。
やがて二本の角の原型が覗く。白と黒の輝きが混ざり合い、まだ形を取りきれないまま、朧気にゆらゆらと揺れている。
その変化を横目に、ウェブスターが静かに手袋をはめ直した。
「では――、排除いたしましょうか」
そう言うと、彼の背中に一瞬で浮かんだ魔紋が激しく輝いた。
燕尾服の脇からしなやかな腕が一本、また一本と増えていく。
その全ての指先から、高速で糸が吐き出されては、逃げ惑う魔物を絡め取った瞬間に核ごと貫いて砕いていった。
「あ!ウェブスターさん!一人で全部狩らないでよ!」
ロウランが急いで第二形態への進化を完了させると、我先にとスタンピードの中央に一瞬で駆けて行く。
「次は俺だな」
低く響く声とともに、バルトの背中が盛り上がり、筋肉が一気に膨れ上がる。
腕は太く、指は丸太のように肥大し、両足を踏みしめるたびに地面が微かに沈む。
骨格が音を立てて軋み、肩幅が広がり、胸郭は獣じみた前傾姿勢へと変貌した。
その体躯はすでに常人の三倍近い。
「……ふう。遠慮なしでいく」
三人の従者がそれぞれ異なる本性をのぞかせながら、ためらいなく魔物を駆逐していった。




