55話
「ちょっと、ちょっとシオル」
「ナギナギナギ」
抱きしめる力が全く緩まない。首元で匂いを嗅ぐのを止めてほしいのだが。
「……ウェブスターさん?」
私はそっとシオルの後ろでニコニコしているウェブスターを呼ぶ。
「はい。ナギ様」
「一体どうしたの?シオルは⋯」
「限界ギリギリでございました。今、正気を保っておられるか怪しいレベルでございます」
「なにそれ!?」
「ナギ様がお側におられませんと、こうなる、という事でございますね」
「え?そうなの?!」
その間もシオルは壊れたように私の名前を呼び続ける。
「シオル?ダンジョンコア壊しに行くんでしょう?」
私はシオルの顔を両手で挟んで持ち上げると、下から見上げて視線を何とかあわせようとした。
「はぁ……ナギは可愛いな。何しても美しいが。その角度はいけない。可愛すぎる。まず」
「ストップ!ストップ!」
真っ赤になりながら、勢いよくシオルの口を両手で塞ぐ。
「何で!?どうしたの!?しっかりして!」
「……」
「?……きゃッ」
目元を緩く染めたシオルがそのまま私の手を舐めた。
「ちょ、何で舐めたの!?」
思わず手を後ろに隠すと、残念そうにシオルが眉を下げる。だがその両手は相変わらず私の腰をがっしり抱え込んだままだ。
「ナギは甘いな」
「本当に何言ってんの!」
いつも冷静なシオルがこんな風になってしまったのが珍しくて、面白くて、その滅多に見れない姿が嬉しいはずなのに、正直どう対応していいか分からない。
シオルは一旦放っておく事にして、
「え~~と、ゲオルグさん?ダンジョンコアへの道案内お願いして良い?」
腰をひねって、シオルの正面に何故か座り込んでいるゲオルグに問いかける。
「分かった……分かりました。案内す……ご案内させて頂きます」
明らかに言葉遣いがおかしい。
ゲオルグの後ろに控える魔族達も頗る顔色が悪い。
嫌な予感がして、首元に顔を埋めているシオルを確認すると、凄まじい目つきで正面の魔族たちを睨みつけていた。
「シオル……」
「ナギ様が、ご主人様以外の異性に話しかけたからですね」
”独占欲”の殺気だった。
ウェブスターが解説するのを聞きながら、私は脱力して「……そう……」と答えるのが精一杯だった。
「ダンジョン内の地図があるから、ゲオルグは必要ない」
魔族たちを威嚇しながら、シオルが巻かれた紙束を取り出す。
「地図?」
「これだ」
シオルが手渡したそれは、ダンジョン内の道順を階層ごとに記された、比較的簡易な図面だった。
「う~~ん。これで行けるかなぁ?かなり縮小してるよね?見慣れている人ならすぐ行けると思うけど」
「私なら大丈夫だぞ?ゲオルグは必要ない」
重ねてゲオルグの同行を拒否してくるシオルに、私は後ろから抱え込まれながら、数枚の地図を見比べていく。
「シオル?」
「何だ?」
「ゲオルグさんは必要です。一緒に来てもらいたいな」
「!!」
シオルの目が異様な光を灯す。これは危険だ。
「えーー…と、私ね、色々な技が出来るようになったの。シオルには私がそれを実際にする所をずーっっと、見ててもらいたいな」
「!」
ウェブスター、ロウラン、バルトが応援するように真剣にこちらを見ている。目が”もう一押し”と言っている気がする。
ゲオルグ達魔族からも、まるで救世主を見るかのような熱い眼差しが向けられ始めた。
「それなのに――、シオルはずっと地図を見てるの?」
普段よりちょっとだけ高めの声を意識して、下から見上げるアングルで不貞腐れた表情のまま、シオルの頬を片手で優しくつねってみた。
こんな表情や手つき、今までしたことないから心臓がバクバクしてるけど。
何なら手汗も酷い。自分で言っていて猛烈に顔が熱くなる。
「私を見ててほしいのに……シオルは――」
青い瞳が、まるで光を反射する宝石のように輝き始めた。
「私のお願い、聞いてくれないの?」
その瞬間、かみつかれる勢いでそのまま口を塞がれてしまった。
「⋯!」
「はぁ…ナギ、何でそんな可愛い事を言う?」
一度唇を離すと、
「ナギの願いなら、もちろん全て叶える」
再びシオルの唇が私に重なる。
こんな全員の前で、何度もチュッチュ、チュッチュしてくるシオルを止めようにも、どうやら壊れかけている様子に、迂闊に手を出す訳にもいかず……。私はなすが儘になっていた。
(あんな態度してたし、自業自得かも……)
とてつもなく恥ずかしかったのは言うまでもない。
「あの……」
女性の魔族が勇気を振り絞り、恐る恐る手を挙げて質問してきた。
「大変失礼なのですが、そちらの、う、美しい上に可愛いらしい女性は魔王陛下とどのようなご関係で……」
(”美しい上に可愛いらしい”……空気を読んだようなお世辞が……)私の顔は真っ赤だった。
だが、その言葉にシオルの口づけ攻撃がやっと止まる。
「妻だ」
(!⋯⋯妻とか、妻とか⋯⋯!!)
顔の火照りが止まらない。
「お妃様でしたか!!」
女性をはじめ魔族たちの顔に、まるであかりでも灯ったかのように喜色が一斉に広がった。
(お妃さま!?)
私がシオルを驚いて見つめると、当然のようにまた口づけを再開しようとしてた。
「ちょ、ちょっとシオル、一旦ストップ!」
「ナギ?」
「今気づいたけど!お妃様⋯とゆうか、みんなに”魔王”って正体ばれちゃったの?」
なるべく魔族達に聞こえないよう、コソコソ小声で尋ねる。
「……そういえばそうだな。気にしてなかったが」
「ええ――…」
「あれだけ攻撃魔法を連発しておりましたら、それはバレます」
ウェブスターが冷静に言葉を挟んで来た。
「……そっかぁ」
魔族たちの静かに喜ぶ声が聞こえて、思わず目の前の彼らに視線を移す。
いきなり現れた私に斬られても、抵抗すらせず、それどころか全員死を覚悟して、スタンピードに立ち向かおうとしていた魔族達。
勇者に魔王を倒されたと、生きる意味を無くしていた彼らが、魔王が実は生きていたと知ったなら⋯⋯。
その事実は、彼らの喜びに繋がっただろうか?今残されている魔族達の生きる糧となって、もっと生きていきたいと、少しでも思っただろうか――?
私はあれほど魔族を憎んでいたけれど⋯⋯。
それが創造主の謀だと知ってから、魔族達を葬り去ろうという気持ちが徐々に薄くなっていったのは事実で。
だから、あのまま山岳ダンジョンの近くで暮らす魔族たちを、スタンピードに呑まれてみすみす死なせるようなことはしたくなかった。
ララベルさんから二十年前の出来事を聞いて、更にその思いは強くなって。
六年間の魔王討伐の時と、魔族に対する思いが変わってしまっていた。
そして創造主に対しては、自分でも驚くほど最大級の嫌悪感を持ってしまっている。
命を弄ぶような創造主のやり方を知ってから、その存在に反発する感情を持ってしまっていた。
勇者は創造主に愛されてる?
その事実は身の毛がよだつほど、心の底からとてつもなく気持ちが悪くて。
『あのね、かみさまたちがね、あいつ、きらいって』
クルクルが以前言っていた。私の世界の神たちも創造主を嫌っていたと。
私の創造主に対するこの嫌悪感は、世界の理を聞いたから⋯だけだろうか?
それだけではない気がして――。
思わず、私は腰に回っていたシオルの両腕をきつく握りしめていた。
彼の存在だけが、自分をしっかりとつなぎ止めてくれる気がした。




