52話
「全て押し潰す」
私はただひたすらに、内側と外側の正六面体がピタリと重なることだけをイメージしていた。
内部で、ゴブリンたちが激しく抵抗している。
圧迫が更に強まった瞬間、結界内部で耳を塞ぎたくなるような鈍く重い破裂音が連続して響き、激しい血潮とともにゴブリン達が無残な姿になっていく。
結界の壁面にはいくつもの黒い魔石がぶつかり、外側へ弾けることなく地面に落ちていった。
「……ナギ……?」
レオンハルトの声がかすれた。
「これ……何が起こっているんだ……?」
押し潰した区画はひとつだけ。イメージ通り上手くいったけど、まだ何百もの空間が残っている。
この程度で終わらせるわけにはいかない。
《千里眼》で見つめる地上の正六面体を、まるでクリックするように次々と選択し、ウインドウ上の赤色に反転した《界域》内に全て、多重結界を発動させる。
「空間の中に更に空間を作って、閉じ込めたゴブリンを圧死させてるの。このまま続けてみる」
視線を不自然に動かさないまま、私の指先だけが空中を捉えていく。
ゼノスは興奮を抑えきれず、すっかり詠唱を止めてしまっていた。
「ナギは結界を二重に構築し、内側の結界を広げているのですね…!」
「うん、そうなの!初めてだからちょっと時間かかっちゃうかも。その間、皆には他の魔物を相手してほしい!」
「了解した!」
勢いよくドルガンが斧を振り下ろす。
「それと!オーガが数体、この結界から逃げ出しているの!気を付けて!」
《千里眼》に反応するオーガの一部分が、赤黒く点滅している。
「もしかするとオーガジェネラルがいるかも!」
「オーガジェネラル!?分かった!」
振り向き様にコボルトを叩き切ると、レオンハルトは私が指し示した方角に走り出した。
「お!待てって」
私の結界を見つめたまま、動かないゼノスを引っ張ってドルガンが追いかけてゆく。
すると、様子を伺っていたマーニャが、
「ではこちらは私とフェリア、イグナが周囲の魔物を狩ります。リュミエルとトリアはそのままの配置で防御壁と堀のライン維持を。フェリア、奥様の前方を中心に、逃さず、すべて叩っ斬りなさい」
「かしこまりました」
風が走るような微かな音とともに、フェリアのツインダガーが閃き、私の前方の魔物を切り刻んでゆく。
「イグナは奥様の右側の側面と斜め後方を」
「オーガジェネラル、やりたかった~~」
「……集中しなさい」
スパイクスピアを強く握り、槍を大きく振りかぶったマーニャが、溜息を吐きながらイグナに注意する。
そのまま槍先が弧を描くと、波の様な衝撃波が魔物の群れを四方へ吹き飛ばし、地面には深い溝が刻まれた。
「は~~い」
イグナが炎を纏ったバスタードソードを、予備動作なしで振り下ろす。剣先からは激しい炎の揺らめきが立ち上り、周囲の空気を焦がした。片手で軽く振り下ろされた一撃は、斬撃と熱気を同時に叩き込み、標的となった魔物は炎に包まれ、次々と崩れ落ちていく。
「では後方に戻ります」
リュミエルが穏やかな手つきで長刀の刃をかざしながら、マーニャに視線を送る。
「リュミエルさん達も気を付けて!」
私の声に柔らかく微笑み、振り返りざまに長刀を滑らかに走らせる。
正確で美しい軌道を描く斬撃がラプトルを裂き、崩れ落ちる中、彼女は足運び一つ乱さず、淡々と魔物を捌きながら後方の持ち場へと下がっていった。
多重結界が発動した《界域》では、次々とゴブリンとオークの姿が消えていく。
私は《千里眼》の右下の数字がみるみる減っていくのを確認しながら、更に次の《界域》へと指を伸ばした。
これだけの作業をしていながら魔力が尽きる気配がない。
魔王討伐で旅をしている時、どれだけスキルを使っても倒れない私に、ゼノスがよく言っていた。
『ナギは魔力が無尽蔵なのでは?』
《千里眼》を使いながら《界域》の多重結界を数十個単位で一度に発動しても疲れる気配がない……。
我ながら化け物かも?と思いながら戦場の中で正確にイメージを繰り返す。
無尽蔵の魔力がある限り、私は何層でも、更にそれを何百でも、構築できる。
(集中……集中……)
目を使い、上空から対象物の位置を正確に把握し、処理をする。
まるで競技カルタをしている時みたいだ。
周りの余計な音が聞こえなくなって、自分の目と指だけが正確に動いてゆく。
2000もの軍団だった魔物は、その場から一歩も進む事も出来ずに、次々と消滅していった。
ララベルとエリカは、見張り台からその異様な光景を固唾をのんで見守っていた。
「勇者さま……さっきから動かないけど。一人で何か凄い事してる気がする……」
エリカがそっと呟く。
「ナギ様が?」
「多分……。剣聖さま達が勇者さま置いてどっかに行ったから。勇者さまに何か任せてるんだと思うんです」
「……そうなのですね」
「それにゴブリン達がみるみる減ってるし」
「ナギ様が何かのスキルで、ゴブリン達を狩っていると?」
「……何となくそう見えます」
「そうですね。わたくしにも、そう見えてきました」
そう応えると、ララベルも視線を遠く山肌に向ける。
第三部隊の面々はレオンハルト達が持ち場を離れたのを確認すると、その穴を埋めるように前線に移動した。
「左前方、大量のスケルトン!」
見張り台から声が飛ぶ。
盾持ちたちはほぼ同時に足を踏み替え隊形を左へ寄せる。
短槍の鋭い突きが敵を一体ずつ確実に仕留め、斬撃が敵を粉々に砕いていった。
中衛と後衛も滑らかに位置取りを変え、流れるように回り込みながら的確に魔物を捌いてゆく。
中央の陣では第三部隊が一度も後退の気配を見せないまま、メイド達も軽やかに舞い、魔物を対処していた。
その頃、小高い丘を駆け上がったレオンハルトは、ゆっくりと息を吐きながら眼下を凝視していた。
押し寄せた魔物によって樹々は薙ぎ倒され、かつての森は原形を失っている。
その荒れ果てた大地の中央――多重結界から外れた位置に巨大な影が立っていた。
身の丈は三メートルを優に超え、赤黒い皮膚にはひび割れた筋線維が浮き上がっている。
肩には骨の化石を思わせる鋭い突起のついたポールドロンを装着し、上半身は同じく突起のついたベルト状の装備で斜めに覆われていた。
つり上がった黄色い瞳に、口元には太い牙が四本、刃のように突き出しており、右手には巨大な剣を力強く握りしめている。
その巨体がゆっくりと、視線をレオンハルトに移した。
レオンハルトは、思わず小さく息を呑む。
「……あれがナギの言っていた、オーガジェネラルだな」
その側にはオーガが四体付き従っていた。いずれもレオンハルトよりはるかに背が高く、青黒い肌を持つ。突き出た腹に重心をかけゆっくりと歩を進めながら、手には巨大な棍棒を握りしめていた。
眼下を見すえながら、ドルガンが地形を確認する。
「かなり巨体だな。オーガジェネラルに踏み込まれたら、踏みとどまるのが精一杯かもしれん。他のオーガをどう処理するかだが……」
「凄いですね!!この結界の魔力のゆらぎを感じ取って、オーガだけその範囲から逃れたのでしょうね!素晴らしい!!ああ!それにしても、この多重結界!どうなっているのか中が見たい!!何とか入れませんかね!?」
ゼノスは相変わらず多重結界ばかり凝視し、絶賛、大興奮していた。
オーガなど全く眼中にない。
三人……いや、ゼノスを除く二人は視線を交わしながら、このオーガ達をどう仕留めるかを思案していた――。




