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5話

最奥


――その場所は、奇妙なほど静かだった。

砕けた石の床。闇の中にただよう魔素の気配。吹き抜ける風の音すら聞こえない。


足元に溶けかけた魔方陣が残っていた。

誰もいない。けれどそこが“魔王を倒した玉座の間”であることを、理解していた。


(……あのときも、こんな静けさだった)


不意に、記憶の底から浮かび上がる情景。



それは約1年前――


城の奥深く、重厚な扉の前に五人が揃った。

剣士は隣国出身の剣聖。若くして武勇に秀で、凪海を優しく見守り、時に厳しく指導する兄のような存在。

聖女は聖王国から派遣された清らかな祈り手。

ドワーフ国出身の戦士は剛力を誇り、盾のように硬い肉体で仲間を守る。

大陸の端にある魔導国家から来た賢者は、知恵と魔力を兼ね備えていた。

そして、凪海――日本から召喚された勇者。


「ここが……最後の扉」凪海は小さく息を吐いた。

幾度となく戦い、幾多の傷を負いながらも、五人はこの瞬間のために歩んできた。


凪海の脳裏に、魔王城へ至るまでの激しい戦闘の記憶がよみがえる。

魔王を守ろうとする魔族の圧倒的な力に押されながらも、仲間たちの連携は確かだった。


聖女の祈りが傷ついた味方を癒し、賢者の魔法が攻撃の糸口を切り開く。

剣士は魔族の隙を突き、戦士は盾となり凪海や皆を守った。


そして凪海は…一瞬の隙を見逃さず、己の全てを込めて剣を振るった。

研ぎ澄まされた集中力と瞬発力は、中学生からずっと続けていた競技カルタの闘いで鍛えたものだ。


札に刻まれた一文字が発せられた瞬間――

全身が風のように動いた。

誰よりも早く、誰よりも確かに、札を払った。

一枚一枚、瞬時に見極め、払い落とす精神力は、今、真横に鋭く斬り裂く剣先に宿っている。



凪海は仲間たちに視線を向ける。

互いに頷き合い、五人は決戦の扉を開いた。




薄く開かれた扉の向こうから、凄まじい魔力の波動が押し寄せてきた。

五人は一斉に身構える。凪海の手は剣の柄をぎゅっと握り締め、その冷たい金属の感触が心を引き締めた。


扉がゆっくりと開き、漆黒の闇の中から――魔王が姿を現した。


不思議と、魔王城に至るまでにあれほどいた魔族たちは、誰一人として現れなかった。



魔王は闇のような黒の鎧を纏い、その瞳は氷のような澄んだ青。まるで世界そのものを呑み込もうとするかのような圧倒的な存在感だった。


「勇者どもよ、よく来た」魔王の声は静かに反響する。


戦士が呼応するように盾を構えた。賢者は速やかに呪文詠唱を開始し、聖女は祈りの言葉を紡ぐ。


凪海は集中を高め、わずかな隙も逃さぬよう腰を落とす。

そして――一気に駆け出す。風を裂くような音が響いた。


「魔王シオル!!」


剣を構えた腕に瞬発力がみなぎり、鋭く振り抜く一撃が魔王の鎧の隙間を正確に突いた――かに見えた。


だが次の瞬間、魔王の繰り出した魔力の刃が唸りを上げ、凪海を襲う。

凪海は間一髪で身をかわしたが、その衝撃波が胸を打ち抜き、鋭い痛みが全身を駆け抜けた。


「大丈夫か!」戦士が駆け寄る。


「全然大丈夫!」凪海はすぐに体制を立て直し、再び集中する。


聖女の祈りが凪海の体を包み込み、痛みが消えていくのを感じた。

賢者が放った光の矢が魔王の目を一瞬封じ、その隙に剣聖が躍りかかる。

再び魔王の魔力の刃が振るわれる。


圧倒的な魔力…その膨大な魔力を惜しげもなく魔王は振るった。


ただ……魔王の瞳は何も映していないかのように凪海には見えた。


今まで“魔王”は倒すべき存在と思い、必死で進んできた。

魔族たちが命を賭して魔王を守ろうとしていたのも、習性なのか、忠誠なのか……。


これまで出会ってきた魔族はどこか残虐で――凪海にとって、倒すべき存在だった。

しかし目の前の“魔王”は、本当にあの魔族の“王”なのか……?


その瞳には陰りがなく、むしろ何の感情も感じられなかった。


魔王の指がわずかに動いた。

その瞬間、漆黒の雷が天と地を裂くように放たれ、戦場を貫いた。


戦士は咆哮と共に盾を掲げ、雷光を正面から受け止める。

衝撃で盾の紋章が砕け、足元の大地が爆ぜて土煙が舞い上がる。

だがその刹那――


光よ、癒しを(レイ・ヒール)!」

無数の羽のような魔法陣が空中に展開し、聖女の祈りと共に回復と祝福の光が戦士の全身に降り注いだ。


それを見た魔王は、間髪入れずに次なる一撃を放つ。

しかし、賢者が静かに杖を掲げた。


氷華、咲き狂え(クリオナ・ペタルス)

彼の足元に展開された魔法陣から、無数の氷の刃が一斉に立ち上がる。

風を切り裂き、魔王へと奔流のように解き放たれた。


魔王は指先から黒い魔力を放ち、それらを片端から相殺していく。

氷の欠片が爆ぜ、視界を覆い尽くしたその向こう側――蒼い閃光が一閃。


「斬る」

剣聖の刀が、風をも断つ鋭さで魔王の懐を襲った。


だが…その刃も魔王の放った魔力の渦にせき止められる。

その拮抗している背中を凪海は狙った。

魔王を見つめながら、凪海は剣を振り抜いた。


瞬間、空が裂けるような轟音が響き、世界が震えた。

――刃は何か硬い膜のようなものに弾かれていた。


それは、魔王の身体を守るように周囲に張り巡らされた魔方陣だった。

無数の紋様が宙に浮かび、ほのかに脈打つ光を放っている。

まるで、沈黙の中で呼吸する巨大な生物のように――文様たちは、互いに連なっていた。


「攻撃が届かない…!!」

「何か巨大な防御魔法を使っています!」賢者の張り詰めた声が響く。


そして。


繰り返される攻撃に飽きたのか、魔王は人差し指をおもむろに天に向けると、地面に新たな魔法陣を一瞬で描き出した。

ゴゴゴゴ……と低くうねるような音が鳴り始め、空気が圧縮される。

耳をつんざく高音と共に、大気が震え、熱を帯びていく。

蠢くように形を変え続ける文様は、明滅を繰り返し、まるで生き物のように息づいている。

足元から立ちのぼる重圧は、空間そのものが軋んでいるかのようだった。


「これで終わりだ、勇者たちよ――」


何の感情もない…その声とともに、魔方陣から眩い光が迸り、空間を震わせるほどの魔力が溢れ出す。

巨大な魔法の柱が天へと伸び、周囲の空気は灼熱の風となって焼けつくように変化した。


触れれば焼けただれそうな光の柱が、凪海たちに迫ってくる。


「避けろ!」剣聖の叫びが響き、五人は咄嗟に散開した。


だがその勢いは圧倒的で、凪海の足元の岩盤が砕け、爆風が容赦なく身体を吹き飛ばす。

空中で体勢を崩しながらも、凪海は自身のスキル《神鋼躯(しんこうく)》を発動。

全身を鋼のように固め、辛うじて焼けつく魔力の風を防いだものの、内部まで焼かれるような痛みが走った。

歯を食いしばり、剣を支えにして立ち上がる。


「まだ……まだ終わりじゃない」

口の中に、鉄の味が広がっていた。


「……死んでもおかしくない傷だろうに」

魔王は無機質な、まるで魂が抜けたようなその瞳で

静かに、冷たい終焉を語るように言葉を紡いだ。


「これで本当に終わりだ」

魔王が静かに魔方陣へ指を向けた瞬間――

光の紋が一瞬揺れ、次の瞬間、まるで割れるガラスのようにヒビが走った。


迫る灼熱の風の渦が止まり、空間の異様な圧がすっと消えていく。


魔王の表情が一瞬、驚愕に揺らぐ。


「……!」


五人はその異変に気づき、すぐに体勢を立て直した。


「今だ、ナギ!」剣聖の声が響く。


凪海は深く息を吸い込み、《剣技・蒼刃連舞(そうじんれんぶ)》を発動。

魔王を包む防御魔法――魔方陣から伸びる光の帯を力任せに切り裂きながら、空中を舞うように跳躍する。


先ほどとは違う手応えがあった。

(防御が……もろくなってる?)


だが凪海は、心の雑念をすべて断ち切り、ただひたすらに刃を振るう。

そして、最後の一閃は――揺るがぬ決意と共に、まっすぐに、迷いなく。

魔王の胸元、その核へと突き刺さった。


魔王の瞳が大きく見開かれ、その中に凪海の姿を映し出す。

白金色の長い髪が、静かに風に揺れていた。

そして――その圧倒的な存在が、ゆっくりと、確かに崩れ落ちていく。


世界の時が一瞬止まった瞬間だった。





冷たい空気が肌を撫で、かすかな埃の匂いが鼻をくすぐる。


私は、長く息を吐き、固く握りしめていた拳をゆるめた。

ゆっくりと顔を上げる。

横には、シオルが立っていた。

その顔には、気遣うような、どこか優しくいたわるような笑みが浮かんでいた。


「…まだ…ここに来るのは早かったか?」


その言葉に、胸の奥がじんと少し熱くなった。


「そうだね。大変だったしね。魔王(シオルの分身体)を倒すのは」

小さく笑い、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


シオルもまた、安堵したように、そっと表情をほころばせた。

「なら、ナギが行きたいと言っていた温泉を見に行くか?」

「ううん、今日は……また今度にしよう」

ゆっくりと首を振りながら、少し疲れたように答えた。


「そうか。ではまた今度だな。」

シオルは優しく頷いた。


かつてここで死闘を繰り広げた”魔王”はもういない。

二人の間に、穏やかな静けさが流れた。


「では村に戻るとしよう」

「うん」


シオルは静かに掌を上にかざした。

柔らかな青白い光が彼の指先から溢れ出し、ゆっくりと渦を描きながら足元に巨大な魔方陣が浮かび上がる。

鮮やかな閃光に包まれ、視界が一瞬白く染まった。


気がつくと、二人は村へと戻っていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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