47話
視界の端で眩い光の奔流が走る。
シオルに抱きかかえられたまま、足裏に冷たい雪の感触が広がった。
そこは東側の森の中だった。
周囲を確認すると、ライエルがカイルとリルのすぐ前で、二人を守るように弓を構えているのが見えた。
ソラスの守護石が弾け、ドーム状の防壁に三人は守られている。
ライエルの視線の先――、
雪で覆われた木々の間、真っ白な茂みの奥に何かが居た。
人間よりも一回り大きい体格に、角が生えたその姿。
あれは――
「ッ魔族!!」
私は反射的に腰の剣を抜き、勢いよく跳躍して接近すると右腕を振り切った。
雪が舞い上がり、前方の魔族の一体を吹き飛ばす。
切れる感触が伝わり、振動が肩に走った。
冷気の中で血の匂いがわずかに混じる。
続いてシオルが右手をかざし、足元に複数の魔方陣を展開した。
無数の氷と風の刃が、同時に空中に浮かび上がる。
空気を切り裂き、残りの魔族へと凄まじい勢いで降り注いだ。
突然の私たちの襲撃に、私が斬った魔族は倒れこんだまま、シオルの魔術を浴びた二体の魔族もじっと蹲っている。
地面に落ちた雪や枝が微かに震えていた。
「ライエルさん!カイル、リル大丈夫?怪我はない?」
私はあわてて三人に近づく。
まだ防壁は維持されたまま、その中でライエルがゆっくりと弓を下ろした。
「ナギさん、よくここが分かりましたね?」
「ナギ姉ちゃん!」
リルが防壁に両手をあてて、こちらを見上げている。
「三人とも怪我は?」
「大丈夫です。こちらが気づくより先にソラスが発動しました」
ライエルの言葉にホッと安堵する。
「良かった間に合って…」
私はゆっくりと、倒れこんでいる魔族に近づく。
「なぜこんな村の近くに魔族が……」
魔族との戦闘となると、ここから三人は避難させた方が良い。
シオルは、まだ魔方陣を維持しながら、じっと魔族を見据えたままだ。
「ウェブスターさんは近くに居るかな?」
「ああ。今こちらに向かっている。間もなく着く」
「それじゃあ、着いたら三人を村に送ってもらっても良い?」
「承知した」
ゆっくりと剣先を魔族に向ける。
「この村の人を襲おうとするとは」
緊張に冷たい空気が入り込む。
だが、こちらの殺意にも魔族はじっとしたままだ。
「?」
今までの魔族なら、こんな間はなかった。
すぐさま戦闘となって、大地が削れ、辺り一面の樹木が薙ぎ払われるほどの被害が出ていた。
「ナギ?」
シオルも様子がおかしい事に気づいたようだ。
こちらに近づいてきた。
その時、リルの側に居たカイルが私に告げる。
「ナギ姉ちゃん…この人たち、何か話があるんじゃないかな⋯⋯?」
思いがけない言葉に、私は視線を三体に向ける。
魔族は攻撃に転じるでも逃げるでもなく、ただこちらを見つめていた。
シオルが静かに問いかけた。
「なぜこの村に近づいた?」
私の攻撃を受け倒れ伏していた魔族を、残りの二体が起こしながら落ち着いた声で答えてきた。
「魔王城から東にある、山岳地帯のダンジョンの様子がおかしい」
「山岳地帯?」
それは温泉のあるダンジョンだろうか?
「本来いるはずのダンジョンの魔物が最近姿を見せない。同族が確認に向かったが戻ってこなかった」
「どういうことだ?」
「二十年前に起きたスタンピードに似ている」
「「!!」」
私とシオルが思わず視線を交わす。
「あの時は人間だけでなく、魔族側にも被害が出た。まるで潮が引くように魔物の気配が上層階から無くなり、ある日、突然弾けるように溢れ出したと聞いている」
「今回、確認に向かったものは、どこまでダンジョンを進んだんだ?」
「少なくとも地下10階までは行ったはずだ。だが帰って来なかったから正確には分からない」
「……」
「人間の村にも知らせるべきだと判断した」
襲撃ではなく、知らせるためにここまで来た――?
本当だろうか?
「スタンピードが起こったら、この辺りは飲み込まれる。早く避難した方がいい」
思わぬ魔族の言葉に、沈黙してしまう。
「お前たちはどうするんだ?今その山岳地帯に住んでいるだろう?」
シオルが静かに問いかける。その言葉に魔族はいぶかし気な視線を向けた。
「どうしてそれを……」
「ご主人様!」
その時、ウェブスターの姿がライエルの向こうから見えた。
「お待たせ致しました」
ウェブスターも魔族の三人に厳しい目を向ける。
私は振り返ると、
「ウェブスターさん、ライエルさんたちを村に送り届けて欲しいの」
まず三人の安全を確保してほしいとお願いする。
「承知いたしました。ナギ様とご主人様は?どうされますか?」
私はシオルに目線を送る。シオルは静かに頷いた。
「私たちは残るよ」
「念のため、やつらの話に整合性が取れるか確認したい」
「承知いたしました」
続いて、防壁の中のライエルに視線を移し、
「ライエルさん、この状況を村長さんに伝えてほしいの。丁度ララベルさんもいるし、二十年前の事と照らし合わせる必要があるかもしれないから」
「わかりました」
「我々でとりあえず話を聞いておく。ウェブスターが借りている小屋に連れていっても良いか?」
シオルからの言葉に、ライエルが緊張した様子で頷いた。
ソラスは発動すると、一定期間防壁を維持したままで、ライエルの歩みにあわせて防壁のドームも移動するようだった。
そのまま三人はウェブスターに辺りを警戒されながら、村へと戻っていった。
いつでも攻撃できるよう魔術展開を続けたまま、シオルが先頭に立ち魔族を小屋へ案内する。
万が一、森に入った村人と鉢合わせすることを避けるためだ。
怪我をした魔族達は大人しくついて来ていた。
「スタンピード⋯⋯」
「ナギ?どうした?」
「本当にスタンピードが起こるとしたら……村は無事では済まないよね?」
「……そうだな。難しいだろう」
「辺境伯領も飲み込まれるよね?」
「規模にもよるが……おそらく」
「何とか⋯⋯食い止めたいの」
振り向いたシオルの視線を感じた。
「もちろんだ。私もいる。屋敷の者たちも呼ぼう」
「!」
「あれは役にたつぞ」
「助けてくれる?」
「当たり前だ」
「ありがと!!じゃあ、頑張らなきゃね!」
私の決意に、シオルが優しい眼差しを送る。
スタンピードが本当に起こると言うのなら……
二十年前のその惨劇を、私は知らない。
緊張に、剣を握る手のひらにじんわりと汗がにじんでいた。
小屋につくと、魔族達は自分たちでケガの手当を静かにはじめた。
その様子を、小屋の戸口に立ったシオルと私で見張る。
「お前たちは二十年前もスタンピードを経験しているのか?」
シオルの尋問が始まる。
「我々はその時は魔王城にいた」
「魔王城にも被害が?」
「いや、あの時は、魔王領の南部にあったダンジョンから発生した」
「魔物の群れは北上せずに、南下したということか」
「そうだ。ダンジョンの周囲と、魔王領のはずれに至るまでの魔族の集落が壊滅した。だが何とか生き残った者がいて、発生した時の様子を聞いていたんだ」
「……」
「その時は、人間にもかなりの被害が出たと聞いている」
今回は東部の山岳地帯から、魔王領を斜めに縦断し、そのまま南下してくるという事だろうか?
「勇者との戦いで、戦闘に特化していた魔族も殆どが滅びた。我々だけでは食い止められない」
「……お前たちは滅びるつもりか?」
シオルの言葉に驚いて、思わず顔をあげる。
魔族達は項垂れたまま、言葉を探している様だった。
「……我々は魔王陛下にお仕えしていた。あの方を失って、もはや生きる意味もあまり無い…」
世界の理の事を思い出す……。
『魔族側にとっては、人間の代表者が“勇者”という認識なんだ。だから”人間”を少しでも多く殲滅する。”勇者”が特定できたら、そこを突く。自分たちの王を守るために』
その王を失った――。
実は目の前に生きているが……。
「魔族はどれぐらい、そのダンジョンに暮らしているの?」
私からの質問に、魔族はややためらった後、
「……今の集落は100人程だ。魔王城で使えていた者と、その城下にいた者……」
「子供もいるの?」
「!」
魔族達は静かに、問いかけるように尋ねる私に、驚いたようだった。
「……女、子供もいる」
「そう⋯⋯。皆死ぬつもりなの?」
「……仕方ないと、皆思っている。何より自分たちの土地で起こることだ。逃げたりはしない」
そこにあるのは覚悟なのか――。それとも諦めなのか……。
小屋の外で、雪が屋根から落ちる音だけが響いていた。




