44話
消毒薬の匂いがほのかに漂う中。
私が散々剣でいじったティモの怪我を、エリカが甲斐甲斐しく治療している。
「びっくりしたんだよ!辺境伯領で偶然皆さんをお見掛けして」
「三人を?」
「そうなの。それで、私たちと同じ村に向かっているって分かって、こちらは二人だけだったからご一緒させてもらったの」
「え〜そうだったんだ!三人ともなんで急に?」
「何か緊急の書簡をエドワード王子の婚約者様から貰ったって言ってたよ」
「緊急?……何だろう?」
(殿下の婚約者……リアノーラさんかな?)
「急いで王都に飛んでいったら、丁度こちらへ向かう使者の方がいらっしゃったから、同行したらしくて」
ライエルがシオルにも目線を送りながら、静かに口を添える。
「その王都からの使者も、ナギさんとシオルさん、お二人に用事があるとの事でした」
◇◇◇
エリカとティモはそのまま薬の整理を手伝い、ライエルはカイルとリルの狩りの練習に森に向かうというので、そこで別れることにして、私とシオルは並んで村長の家へと足を向けた。
勇者の仲間――剣聖レオンハルト、賢者ゼノス、そして戦士ドルガン。
まさか再びこの村で会う日が来るなんて、思ってもみなかった。
村長の家からは、外まで届く朗らかな笑い声が聞こえてきていた。
両開きの扉を開けると、剣聖レオンハルトが真っ先にこちらへ手を振る。
「久しぶりだな!ナギ。ちゃんと鍛錬は続けているか?」
突撃してくる勢いで接近すると、そのまま右手を捕まれ剣ダコを確認された。
「皆、久しぶり!!って、レオンハルトさん…ちゃんと続けてますから……」
ほら、と言いつつ鍛錬の証を見せる。
するとシオルが突然、レオンハルトに握られていた右手を奪い返した。
横を見ると先ほどよりも不機嫌になっている……。
「お隣の方がリアノーラ様が記していたご夫君ですか?」
そこには、賢者ゼノスが静かにいつもの落ち着いた眼差しで座っていた。
「!リアノーラさんからの書簡ってそれ!?」
思わずつっこんでしまう。
その横では戦士ドルガンがすでにジョッキを傾けている。
「……もう飲んでるのかな?」
苦笑しながら村長に挨拶をして二人の向いに腰を下ろす。
レオンハルトは村長の隣に、シオルは私の隣にそれぞれ座った。
ドルガンが私にむかってジョッキを上げて軽く挨拶をすると、
「ナギが結婚したと聞いてな。皆で飛んで来たんだ」
「驚きましたねぇ」
「本当に驚いたぞ。いつこんな美形と出会ったんだ?」
ゼノスとレオンハルトが興味深々にシオルを見つめ、問いかける。
「えっと……」
「ご夫君は魔術師だとか」
ゼノスの追撃が続く。
「どんな魔術を使用されるのでしょう?属性は?」
「おい、それよりも自己紹介が先だろう」
意外と常識人のドルガンがシオルに空いているジョッキを手渡すと、
「ナギと一緒に旅をしていた。ドワーフのドルガンと言う」
日の高い内から、構わずにお酒を注ぐ。
「そうだな!失礼した。ナギの剣の師匠をしていた、レオンハルトだ。よろしく」
レオンハルトがシオルに右手をだして軽く握手を交わし、
「この大陸の一番西にあります、魔導国で賢者の名を頂いております。ゼノスと申します。お見知りおきを」
ゼノスの言葉にシオルが軽く頷いた。
レオンハルトが少し真面目な顔に戻った。
「それにしても……ナギが“結婚”とはな」
グイグイとお酒を飲んだドルガンが、ドンッ!と勢いよくジョッキを置き、視線をこちらに向けた。
「水臭い。何故知らせない」
「そうだ!せっかくなら盛大にお祝いしたかった!!」
悔しそうにレオンハルトが拳を握る。
「最初何かの間違いかと思ったぞ。王都で分かれてまだ一年ぐらいだろう?」
「むしろ祝福すべきことです」ゼノスが穏やかに微笑む。
「ナギがようやく、誰かの隣で安心して笑えるようになったのですから」
どこか懐かしい空気に自然と笑みが浮かぶ。
勇者パーティーとして皆で旅をしている時もこんな雰囲気だった。
私が心からリラックスしているのが伝わったのか、シオルからも険が取れてきた。
横顔をそっと見つめると、それに気づいたシオルが微笑みながら私の右手を握る。
その様子を見て、村長が私にお茶を差し出しながら、
「ナギさんのお連れはシオルさんと言いましてな。とてつもない魔術師で、大変助かっております」
けれど、それを耳にした瞬間、三人の様子が若干変わった。
「シオル……?」
「おい」
「いや、そんなまさか……ありえません」
「村長、ナギの…この結婚相手の名は”シオル”というのか?」
「……はい。そうですが……何か?」
「ナギ、どういう事だ?」
レオンハルトの言葉に、
「たまたま同名だったという事もある」
ドルガンが慎重に続ける。
「どうされました?」
戸惑う村長に、
「村長、ちょっと俺たちだけにしてもらいたい」
レオンハルトが真剣な目をしながら告げた。
魔王シオル――
皆、あの魔王城で一緒に戦ったのだ。
この三人はシオルの魔術を見たら絶対に気づく。
それぐらい魔王シオルの魔術は絶大で美しかった。
ただの同名だと、誤魔化すことはできないと思った。
後で気づいた時に責められるなら、今この場で伝えたほうが良い――。
村長が隣室に移動すると、私は今までの事を静かに話し出した。
私たちが倒したのは、シオルが500年前に作った分身体だった事。
シオルが私を追いかけてきて、その事実を初めて聞いた事。
シオルの希望でこの村で一緒に暮らし始めた事。
魔王城やダンジョン、村でのお祭りや収穫祭の事など、
色々とあって、今ではお互いなくてはならない存在になっている事も。
話し終わって顔を上げると、三人とも頭を抱えていた。
「よりによって、魔王か……」
「規格外のナギらしい……といえばナギらしい」
「では、あの魔術をもう一度見れますかね?」
いや。一人だけ目を輝かせていた。
「できれは、全員を瀕死にした攻撃魔法と、最後の防御魔法など、再現していただけると」
いつも穏やかなゼノスが、ちょっと興奮している。
食い気味にシオルの手を握らんばかりだ。
ちょっと怖い。
「おい。こらゼノス」
隣のドルガンがゼノスの服を引っ張って後ろに下げてくれた。
「魔王シオル?」
レオンハルトが静かに頭を上げると、
「ナギとの事は真剣なのか?」
静かに質問を投げつける。
「もちろんだ。たとえ何があってもナギだけは必ず守る」
「世界の理は――」
「……」
シオルは静かにレオンハルトの瞳を見つめる。
そこには言葉に出せなくとも、ありありと決意がにじみ出ていた。
そして、ゆっくりと瞬きをし、
「ナギは渡さない。誰にもだ」
わずかに光を反す瞳が、すべてを示していて――、
「「!!」」
その言葉に三人は息を呑んだ。
シオルの決意に満ちた言葉に、思わず握られている右手に力を込める。
そのまま三人に、私も同じ気落ちでいることを視線で伝えた。
「そうか……」
レオンハルトがそっと息を吐いた。
「ナギは納得しているんだな」
「みんな……怒るよね?シオルは敵だもんね⋯」
私がため息と共に言葉を濁すと、レオンハルトはそれには答えずに、何故か柔らかい視線でこちらを見つめた。
「ナギは今幸せか?」
「!」
「六年間の旅の中で、色々あっただろう?魔族を許せるのか?」
「……分からない。でも…」
「でも何だ?」
「色々知ってしまったから。少なくともシオルに対しては……この感情だけは、絶対に無くしたくないと思ってる」
「そうか……」
「それに大切な物が少しずつ増えてるの」
左手にそっと輝くブレスレット、守護石のソラス、クルクルもシオルが居なければきっとお喋りできなかったはずだ。
それにあの枯れない花束と、あの日、いつまででも待つと約束したあの――
思い出してしまい、思わず頬に熱がこもる。
その様子をじっと見ていた三人は、あきらめたように笑った。
「ナギが幸せなら、それで良いさ」
「そうだな」
「ナギのそんな表情を見れるとは……来て良かったです」
「ところで魔王シオル、その姿は?わざわざ変身しているのか?」
「ああ。ナギに初日に変身しろと言われてな」
「だって元の姿は目立つし、角生えてるし。魔族ってばれちゃうでしょ?」
「あーーーそれもそうだな。それで村の人は魔王シオルだと知らないのか」
「うん。この村の人々も魔族に犠牲になった人は居るからね。穏やかじゃないと思って」
「そうだな……」
「その変身も魔術ですか?」
ゼノスはさっきからシオルを食い入らんばなりに見入ったままだ。
「そうだが……」
「どのような理論で変身しているのか教えて頂く事は可能でしょうか?」
「構わないが……」
「あと、」
「おい。こらゼノス」
隣のドルガンが再度ゼノスの服を引っ張ってくれた。
「お前さんはちょっと落ち着け。どうした」
「いえ。明らかに私よりも素晴らしい魔術体系や理論をお持ちのようなので。興味がつきません」
「そうか」
ドルガンとレオンハルト、それに若干シオルも引いている。
「そうだ。ナギ、一緒に王都から来た人が居てな」
ドルガンがジョッキを傾けながら思い出したように告げた。
「王都の使者の方が、あなた方にお話があるそうですよ。呼んできましょう。それから村長も」
ゼノスが扉の向こうに姿を消す。
暫くすると現れたのは、淡い栗色の髪をまとめた侍女――以前リアノーラと共にこの村を訪れたララベルだった。
彼女は静かに裾をつまみ、一礼する。
「お久しゅうございます、勇者ナギ様。そして、シオル様。リアノーラ様とエドワード殿下より、お二人へ言伝とお手紙をお預かりしております」




