39話
「ああ。この花はオルタとルネに相談して……ナギはこの花を知っているか?」
シオルにエスコートされながら東屋へと歩く。
空から降りそそぐ光の粒が、白い花弁にほのかに反射していた。
「ごめん……花の名前とか全然わからなくて……」
申し訳なくて謝ってしまう。
「いや……それなら、それで良いのだ」
――ちょっと、シオルの横顔が赤い気がする。気のせいだろうか。
「あちらでは恋人同士がデートとやらをするのだろう?」
「う?うん…」
「遠出はまた今度するとして、今日はここで楽しんでもらえたらと。皆で準備したんだ」
「……このために、わざわざ?」
「あちらのデートがどういうものか……。もしかしたら少し違うかもしれないが。おそらく――二人でちょっとおしゃれして出かけたり、食事したり、とにかく一緒に過ごす”特別な時間”の事じゃないかと思ってな」
「!!」
「……違っただろうか?」
「多分、違くないです……」
「迷惑だっただろうか?」
「迷惑なんかじゃないです。全然」
「ナギ?じゃあ、何故俯いている?」
立ち止まってシオルが私の顔を覗き込んだ。
そこには――顔を真っ赤に染めて、花束に顔を埋めている私がいた。
シオルってば、さらっと「恋人同士」と言ったり……日本の「デート」の意味をちゃんと分かって申し込んできたり。
昨日からこの人は、私の心を殺す気だろうか。
こんなに喜ばせて。
免疫ないって言ってるのに。
「ナギ?」
……何か、ギャフンと言わせたい。
「ナギ?怒ってるのか?」
シオルの顔が更に近づいた。
私は意を決すると、右手の花束で顔を隠し。
シオルの上着を左手でつかんで、思いっきり手前に引っ張った。
そのままシオルの顔に突進する。
ふに。
シオルの唇と、私の唇がぶつかった。
「嬉しいに決まってる!シオルのばかぁ!」
そこには涙目で顔を真っ赤にしながら、花束で顔を隠して叫ぶ私と。
私からの初めてのキスに固まるシオルの姿があった。
◇◇◇
ウェブスターは感無量だった。長年仕えた主に最強の奥様ができたのだ。
(まだ奥様呼びは保留中だし、肝心のプロポーズはこれからなのだが)
苦節500年……。
長かった。
イグナにそっと光源の灯りの調節を指示すると、全員静かにその部屋を後にするよう手で示した。
「上手くいきましたかね?」
ロウランが後ろを振り返りながら心配げに言葉をこぼす。
「奥様、可愛かった」
トリアがドレス姿のナギを思い出して、ほぅっとため息を吐く。
東屋の料理の献立を念入りに考え、盛り付けやテーブルコーデを頑張ったフェリアも、短時間で大量の料理を作り上げたバルトも、やり切った感で満足気だ。
「マーニャさん!今回の光の粒どうだった~?よかった~?」
イグナがマーニャの横に並びながら、今回の演出について質問すると、
「私とトリアの泉も、急ごしらえでしたが上手くいきましたよね」
リュミエルが後ろから参加する。
「世界樹の根本に中庭を今から作れって……ご主人様の無茶ぶりがすごかった……」
げっそりとした声で呟いたのはトリア。
「まあまあ。おかげで良い物が出来、良い物が見れました」
皆の先頭を歩くウェブスターは、ほくほくと上機嫌だ。
「オルタとルネ、あのご主人様のお選びになったお花は何というのかしら?」
フェリアが振りかえって庭師の二人に尋ねると、二人はちょっと目を見張って立ち止まった。
「「?」」
全員の視線が二人に集まると、オルタがそっと呟く。
「アエテルナリス…」
「意味は『永遠の愛』です」
ルネが花の名の由来を皆に微笑みながら伝えると、見事に全員が真顔になった。
「え?ご主人様、ご自身で選ばれたんですよね?」
「意味ご存じで……いえ、もちろんご存じで選んでいらっしゃったんだと思うけど」
「うわ~俺、想像できないわ」
「トリアも想像できない……」
「ご主人さま、意外とロマンチストなんだな~~」
「……」
上から順にフェリア、マーニャ、ロウラン、トリア、イグナ、バルトである。
リュミエルはそっと東屋に居る二人を思った。
きっと今二人はこの上なく、特別な時間を過ごしているだろうと。
◇◇◇
使用人たちの強力(力技)もあって、世界樹の根本にとても雰囲気の良い中庭が完成し、そこにウェブスターに案内されてナギが現れた時……シオルは水の精霊が現れたのかと思った。
泉の水しぶきに反射する、光のしずくを纏うナギがあまりにも幻想的で。美しくて――。
普段の冒険者の恰好をしたナギも、勿論美しいと常日頃思っている。(ここにカイルが居たら『ぶれないね……シオル兄ちゃん』と呟いていただろう)
けれど、軽やかに舞う、透き通るようなブルーに繊細な刺繍が施されたドレスを纏ったナギは、この世の者とは思えないほどの美しさを放っていて。
シオルは一瞬かける言葉を忘れてしまった。
初めてその姿を目にした時から、ナギの凛とした美しさは変わらない。
ただ、最近のナギは――シオルと少しずつ気持ちを通わせるようになってからか、どこか甘やかな雰囲気を纏うようになっていた。
その変化に、シオルは何だか落ち着かなくなっていて。
特に村の男性たちとナギが二人っきりで会おうものなら、相手をどうしてしまうか分からない程、嫉妬心が渦巻くようになっていた。
もっと自分に興味を持ってもらうにはどうしたら良いだろうか?
ナギの時間を独占したい。二人っきりでナギと過ごしたい……そんな煩悩(=欲望)が尽きることがなく。
そして昨晩。
下から自分を見上げる、腕の中のナギが可愛すぎた。壮絶に。
自分の中の何かが切れた音がして、気づいたら何度も唇を重ねていた。
腕の中のナギは、目をこれでもかと見開いたまま。
シオルの上着をギュッと握りしめ、ぷるぷる震えていて、それも超絶可愛かった。ふと我に返った時には、腕の中でぐったりとしているナギがいた。
慌てたのは言うまでもない。
使用人たちからは、『とにかく喜んでもらえることを!』『楽しんで頂けるおもてなしを!』『そして絶対がっつかない!!』と重々アドバイスされている。
今日は紳士的に、ナギが暮らしていた異世界で、恋人同士が過ごすような雰囲気をイメージして、デートを計画してみた。
その結果――。
ナギからの思わぬご褒美(口同士がぶつかったとも言う)を貰えた。
シオル・エン=オルディム、彼は人生で初めて創造主に感謝した。
ナギをこの世界の勇者として選んで、召喚してくれたことを。
自分が贈った花束に顔を埋めて、こちらを見上げているナギを見て、シオルは幸せだと思った。今までの長い人生の中で、こんな瞬間が訪れていることが奇跡で。
魂になっても側にいる、と誓った言葉に嘘はない。
事実、もし自分の肉体が滅んでしまっても、ナギの側から離れないつもりでいる。それだけの力が自分にはある。
でも。
……たとえ魂が側にあると分かっていても、目の前で自分が殺されてしまったら。きっとナギはとてつもなく悲しむ。
それがシオルにはひどく耐え難かった。
ならば……だからこそ、絶対に創造主の思うようにはさせない――。
一族は自分以外、全てヤツに葬られてしまった。
今まで決して手をこまねいていた訳ではない。
どうやったら”世界の理”の穴を突けるか――、気が遠くなるほどの時間をかけて、一族が徐々に残り少なくなりながらも、自分達の意思を継ぐべく思案を重ねてきた。
そして500年前、シオルは自身の分身体を、魔王城と呼ばれている一族の城に置き、自分は創造主の目の届かない世界樹に居を構えた。そこで一族に伝わる能力の研究を重ね、一方で神託を伺ってたのだ。
そして、400年前――。
神託で”魔王”と示されたのはシオルではなく、自分の親友だった。




