38話
翌朝。
”白緑”の部屋の扉は、しん、と静まり返り、開かれないままだった。
使用人たちが顔を見合わせる。
「お声がけしたのですが……反応がありません。入っても宜しいのでしょうか?」
リュミエルがマーニャにどうしたら良いか伺う。
「困りましたね……ご主人様は?」
マーニャは横のロウランに尋ねた。
「残念ながら隣の部屋のベッドは使った形跡がない……」
「「……」」
これは……と3人は顔を見合わせる。
ご主人様は奥様とご一緒なのではないか?
ということは?
一晩?
え?奥様呼びを控えろ、と言っておきながら……もう??
それって大丈夫??
思わず心配の声を漏らしていると、そこへウェブスターがらせん階段から現れた。
「おや?どうしました?」
「「ウェブスターさん!!」」
「?」
かくかくしかじか……
小さい声で3人からの報告を聞いたウェブスターは、ため息をこぼす。
「まあ、大丈夫でしょう。あちらでも、お二人はよくご一緒にお休みになられてましたので」
「「え」」
「ご主人様にナギ様のご様子を伺ってみましょうか」
そう言って意識を集中し、念じながら主に問いかける。
「……」
「どうでしょうか?」
マーニャが振りかえって尋ねると、そこには頭を抱えたウェブスターがいた。
「ウェブスター?」
ウェブスターらしからぬ様子に3人に不穏な空気が流れる。
「ご主人様がやらかしたようで。ナギ様が布団から出てきてくれないと……」
「は?」
((やっぱり大丈夫じゃなかった!))
リュミエルとロウランの心の声が重なった瞬間だった。
「……何か、間違えたのだろうか」
「ご主人様……ナギ様は怒ってらっしゃるのですか?」
「いや……多分、違うと思う……」
「では?何をなさったのですか?」
「いや……その、少し……触れただけだ」
「触れた?」
「……」
あれからウェブスターに促され、シオルだけ部屋から出てきたのだが。
屋敷中の使用人たちに囲まれて、尋問のような空気が流れていた。
シオルは困ったように扉に視線を戻す。
「ナギが出てきてくれない」
「……怒っていらっしゃらないのであれば……ひたすら待つしかないのではございませんか?」
ウェブスターの進言に、いつの間にか全員集合した女性陣から異議が出た。
「いけません!お贈りする花束をご用意しましょう!」
「美味しいケーキやお飲み物も!」
「綺麗な場所にお連れして、誠心誠意おもてなしするべきです!」
「綺麗な場所?ケーキや花束か……」
シオルが女性陣に顔を向けると、全員がうんうんと頷いている。
横のウェブスターとロウランは、その女性陣の勢いに押されていたが。
「皆、協力してくれるか?」
シオルの言葉に使用人一同がこぶしを握った。
そんな騒動を知らず。
私は布団にくるまって悶絶していた。
「お、落ち着け私……ただのキス……キ……!!」
――全ては、壮絶に色っぽいシオルが悪い。
何あれ。
思い出すだけで、おかしくなる。
……何回もチューしてしまった。
気が緩むと顔がヘニャッとにやけてしまうので、
上気した頬を両手で押さえながら、なんとか口元を踏ん張っているのだが――
「……無理。思い出したら顔が……!」
頬の熱がますます上がっていく。何なら頭も少し火照ってる。
嬉しいのか、恥ずかしいのか、自分でももう分からない。
――いや、たぶん絶対、嬉しいが勝ってる。
でもそれが顔に思いっきり出たまま、皆の前に出る勇気がない……。
「どうしよう……?」
一人つぶやいて、枕に顔をうずめる。
そのとき――扉の外から、複数の声がした。
(……? ん?)
耳を澄ませると、どうやら階段の方が少し騒がしい。
最初は気のせいかと思ったが……
(いや、下の階かな?)
気になって、布団からそっと顔を出した。
頬の熱はまだ引かない。
でも。
(……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけなら)
おそるおそる扉の前に立った。
静かに取っ手に手をかけ――ほんの少し、扉を開ける。
その瞬間、外から聞こえたのは――
「花の準備は!?」「料理は大丈夫?!」「ご主人様、ナギ様は甘い物がお好きでしたよね!?」
(……?)
思わず目が点になって、頭の中にいろんな「?」が浮かぶ。
扉の隙間からそっと外を覗くと、階下では使用人たちが慌ただしく動き回っていた。
(ん???)
もう一度扉をそっと閉める。
……誰か「ナギ様」って言ってなかった?
何だか気になるけど、もう少し顔の熱が引いてから覗いてみようと、もう一度布団にくるまるのだった。
「ナギ様?起きていらっしゃいますか?」
扉の向こうから、ウェブスターの呼ぶ声がして――
(……あれ? 私、いつの間にか寝ちゃってた?)
ぱちりと目を開けると、思ったより頭も身体もスッキリした感じがする。
頬の熱もだいぶ落ち着いていて――
そっと布団の端から足を出し、扉に向かう。
途中、鏡台を覗くと幾分か落ち着いた表情の自分が映っていた。
「ウェブスターさん?ごめんなさい、寝ちゃってた」
そう言いながら扉を開けると、そこにはやや心配げに立つウェブスターの姿があった。
「ああ。体調はいかがでしょうか? どこか具合の悪いところはございませんか?」
「え!あ、ごめんなさい!大丈夫!気持ち良く寝ちゃってただけだから!!」
慌てて顔の前で両手をブンブンと振る。
「そうでございましたか。もし宜しければこの後ご案内したい場所がございまして」
「そうなの?じゃあ着替えるね!」
すると、いつの間にかウェブスターの後ろにいたリュミエルとトリアが、「お手伝いします」と声をかけながら入ってきた。
「え?自分でできるよ?」
「いえいえ、どうぞお任せくださいませ」
二人は何か箱をいくつか抱えている。
「?」
私はまたしても頭の中にいろんな「?」が浮かんでしまったのだった。
二人に押し切られるように用意してくれた服に着替えると。
鏡に映ったのは淡いブルーのシフォン生地に、繊細なシルバーの刺繍が舞う、上品で華やかなデイドレスを纏った自分だった。
首まわりから肩先まですっきりと見せる絶妙なカーブのノースリーブで、胸元からゆるやかなウエストにかけて細やかな刺繍が施されている。スカートは軽やかに広がり、歩くたびに柔らかく揺れる、とてもゆったりとしたデザインだ。
「わあ~~~」
その変身ぶりに感嘆の声を上げると、二人はそのまま鏡台へ私を連れて行き、髪を整え、お化粧を施してくれた。
黒髪は軽く巻いて、後ろで一つにゆるやかに編み込まれ、耳元には青く光るイヤリング。首には、細やかな銀細工に青い宝石がきらめくネックレスがキラキラと輝き、思わず息を止めて見つめてしまう。
「とてもお綺麗です」
鏡越しにリュミエルが微笑んでくれた。横のトリアも興奮したように頷いている。
「二人ともありがとう!」
振り返ってお礼を伝えると、嬉しそうに微笑んだ二人が、そのまま先導して扉に誘導してくれた。
扉の外ではウェブスターが待っていて、ウェブスター、私、リュミエル、トリアの順にゆっくりと階段を下る。
昨日、来た時に入った扉よりも少し下に、少し重厚なオークの扉があった。
ウェブスターがそこを開けると……
世界樹の根が自然に絡み合うアーチの中心に、緑豊かな中庭が広がっていた。
その中庭の中心では泉が静かに水音を響かせていて、水面に光の粒が踊り、まるで無数のしずくが空から舞い降りているかのようだった。
差し込む光は根の間を縫うように降り注ぎ、根元付近に咲く、色とりどりの小花に触れるたびに、弾けるように輝く。
泉の水面には花びらや小さな装飾が優雅に浮かび、光のしずくが空気を伝って降り注いでいた。
私はその光景に目を奪われゆっくりと息を吐いた。
世界樹の根元にこんな中庭があったなんで。
思わず手を伸ばしてそのしずくに触れたくなる。
「ナギ」
振り向くと、とても大きな花束を抱えたシオルがいた。
ゆったりと被るだけの服を好むシオルにしては珍しく、少し変わった衣装を身に着けていた。
首元部分だけひし形にあいているピッタリとした詰襟のシャツに、漆黒のひざ丈の上着。腰には銀色の紋様が入った白い腰ひもを結んでいる。
すこしだけ幅広のズボンには、黒いブーツをあわせていた。
(かっこよすぎない?)
変装を解いた魔王シオルに壮絶に似合っていた。
思わず見惚れていると、
「これを」
渡されたのは……
雪のように純白な花びらがふんわりと重なり合う、大きく優雅に咲き誇る花。
一輪一輪がとても可憐で目をひくのに、更に両手から溢れる程の数を一つに纏められた花束だった。
花の隙間には、アイビーのようなしなやかな緑の葉が絡み合い、柔らかい曲線を描いている。
花びらの重なり合う陰影までもが、美しかった。
「これ……?」
「ナギに」
見上げると目元を赤く染め、少しだけ緊張したようなシオルが居た。
「急にどうしたの?」
「ナギと……”デート”がしたい」
シオルがちょっと目を伏せた。
「デート?」
「ナギの”初めて”だと良いのだが……」
少し自信なさげなシオルの顔を見て、思わず笑ってしまった。
「デートなんて初めてっ」
シオルの目が一瞬大きく見開かれる。
途端に、朱に染まった目元が優し気に和らいだ。
「皆でここ、用意してくれたの?」
中央の泉が見える位置に、白木の木目が美しい東屋があった。
そこには、色とりどりのケーキや焼き菓子が整然と並び、豪快に切り分けられた肉料理や、丁寧に切り身にされた魚料理、多種多様なオードブルが所狭しと置かれていた。




