36話
「待っていてくれるか?」
『結婚を申し込みたい』
『やり直しさせて欲しい』
そんな言葉を言われたら、それこそ、ソレがプロポーズに聞こえる。
何だかすごく嬉しくて、空いていた左腕で顔を隠すように目を覆った。
「ナギ……嫌か?」
シオルの落ち込んだ声が聞こえて、少しだけ腕をずらすけれど。
でもきっと、私の目が真っ赤だから、もう気持ちはばれている。
「ナギ」
「まってる」
聞こえるか聞こえないか、それくらい小さな声で告げると、シオルが顔を真っ赤にして微笑んでくれた。
その表情が珍しくて、嬉しくて、
もう一度――
「まってるね。ずっと覚えてるから」
シオルも私も顔を真っ赤にしながら…
ランタンのやわらかな灯りに照らされたベッドの上で、心の奥にひとつ――穏やかで、とても優しい約束をした。
”バフン”
いきなりの小さな爆発音に目を瞬かせると、目の前のシオルが元の姿に戻っていた。
「……」
「……」
二人そろって、きょとんと目を瞬かせる。
「ん?シオル?どうしたの?いきなり変装をといて……」
「……」
シオルがゆっくりと身体を起こしながら、信じられないというように、自分の髪をつまんでいる。
「興奮して魔力制御が脆くなったようだ」
「興奮……」
爆ぜた魔力の余韻の中で、目の前のシオルの髪は、白金色に柔らかく波打ちかすかに揺れていた。
見慣れた顔立ちに、深く透き通った青い瞳。
そして、久しぶりに目にした朱に染まる鋭い角――。
魔王城で対峙した、そのままのシオルがそこに居た。
「興奮すると元に戻るの?」
起き上がって、シオルの顔を覗き込む。
「そうらしい……驚いたな」
「何て分かりやすい……」
「これは……」
若干焦ったような声に、思わず笑いがこみ上げる。
「くく……今、興奮してたんだね、シオル……ふふ」
(いつも冷静なシオルが)
なんだか、可笑しくて――いつまでも小さく笑いながら、繋いでいたシオルの左手をそっと引いた。
「これから気を付けないと。変装しているときは特にね」
「そうだな……」
「これも覚えておかなきゃ……くく」
「ナギ……」
「あははっ!」
ドキドキしていたのは、自分だけじゃなかった。
シオルも同じだった。
それが他人の目に見えてしまうシオルが可笑しくて、ちょっと気の毒で。
私は嬉しくて久しぶりに穏やかに笑っていた。
ランタンの光がゆっくり移り変わり、橙と紺が交じり合った色彩が広がる頃、私たちはバルコニーでお茶をすることになった。
「奥様に、お持ちいただきましたジャムにあう焼き菓子をご用意しました。是非お召し上がりください」
マーニャとリュミエルが給仕をしてくれる。
目の前には、表面がこんがりと焼き色のついた、まだほのかに温かいスコーンのような焼き菓子と、艶やかで色鮮やかなロベルのジャムが、真っ白な陶器の器に美しく並べられていた。
焼き菓子からは、かすかに香ばしい香りが漂っている。
「え?スコーン?ちょっと薄いけど……」
びっくりして、手に取ってしまう。
「バノックという。ナギの世界にもあるのか?」
「バノック?う~~~ん。じゃあ違うのかな?」
ロベルのジャムを乗せ、口に運ぶ。
スコーンより柔らかく、甘さは控えめだが……何となく同じ?な感じがした。
「え?本当にスコーンじゃないの?凄い。びっくりした」
「400年程前からある。もしかしたら……」
シオルの言葉に手を止めると、
「ナギの前の勇者が持ち込んだのかもしれないな」
息が止まった。
そうか。その可能性があった。
神殿に居た頃、聞いたことがある。
私の前の勇者は日本人じゃない、金髪の大柄な男性だったと。
400年程前に剣聖の国に現れ、北を目指し、その途中で王国にも立ち寄った──
「その勇者の名前はアルヴェル。ナギとは違い、金髪碧眼の男性で、従者が一人居たと聞いている」
そう。
どこで知り合ったのか誰もしらない、謎の従者。
男性に扮した女性で、この異世界に慣れない勇者を献身的にサポートしていたという。
その女性に関する記録は、それ以上残っていないと、神殿では聞いていた。
「魔王との戦いの場に、その従者は居なかったそうだ」
「じゃあ……」
「その前に魔族との戦いで亡くなったか……」
「そんな」
「もしくは傷を負ってそれ以上一緒に随行出来なかったか」
「……無事だったら良いな」
「そうだな。結果的に、その当時の魔王とその勇者は相討ちになった」
「……そうなの……」
私はそっとロベルを乗せたバノックを口に含んだ。
400年前の勇者が持ち込んだかもしれない、私の世界の食べ物。
ちょっとだけ、私の知っている味とは違ったけれど……でもきっと彼は、これを愛していたのではないだろうか?
そして、きっと従者のその女性が残してくれたのだ。
この時代まで――。
「私はあまり興味がないのだが……外界のことはフェリアが敏い。流行や評判の食べ物などは、彼女が外から都度レシピを持ち込んでいる」
「そうなんだ!」
「外界は流行も廃りもあるが……ここは無いからな。500年間、変わっていない。もしかしたらバロック以外にも、ナギの世界の食べ物があるかもしれないぞ?」
「!!それは楽しみ」
その日の夕食は、カブの味がするポタージュ、塩漬け魚の丸ごと煮込み、ミートパイ、ちょっと固めのパン、タルトだった。
大喜びしたのは言うまでもない。
「ナギ様はいかがでしたか?ご満足頂けておりますでしょうか?」
夕食後、ナギが自室でリュミエルとトリアに手伝ってもらいながら入浴している間、ウェブスターがシオルに尋ねた。
「喜んでいたぞ。魚の大きさには驚いていたが」
「そうでございましたか」
続いてマーニャが、
「今日のメニューは、400年前に流行っていた料理を再現したそうです」
「そうか」
ウェブスターとマーニャの後ろに控えていたフェリアが嬉しそうに頷く。
「バノックをお気に召して頂いていたようなので、バルトと相談してその頃の料理にいたしました」
「ナギは食事で苦労しているからな……喜んでいたから良かった」
シオルの言葉に皆嬉しそうに頷く。
すると、丁度ランタンの調整を終えたイグナが戻ってきた。
「ご主人さま~、世界樹の外のランタン、調整してきましたよ~」
マーニャが振りかえってイグナに質問する。
「ちゃんと星空に見えるようになってるかしら?」
「ばっちり!だいじょ~ぶ!」
元気よく親指を立てるイグナに、ちょっとだけ眉間に皺を寄せるマーニャ。
「ウェブスター。後で念のため外界と同じか、一度見て頂戴」
「わかりました」
「だいじょ~ぶなのに~」
「最近の外界の様子、あなた細かくは知らないでしょう?念のためよ」
「うい~~~」
「とりあえず」
主からの一声に、使用人たちは視線を集中させる。
「ナギの滞在中、つつがなく満足してもらえるように、皆に協力を頼む」
「もちろんで御座います。ご主人様」
ウェブスターが嬉しそうに一礼すると、皆もそろって腰を折った。
「「我々一同、奥様のために」」
「そうだ。忘れていた。その”奥様”呼びだがな……」
「「?」」
「ちょっと異世界との誤解もあって……。暫く、ここに滞在している間は、ナギをそう呼ばないであげて欲しい」
「「?」」
そこでウェブスターだけハッとする。
「まさかご主人様……まだ」
「いや、大丈夫だ。もう一度ちゃんとするだけだから」
珍しくちょっと焦っている主を見て、メイド達は「?」を浮かべていたが。
ウェブスターだけは頭を抱えていた。
微妙な空気が漂う部屋に、ロウランがカートを押して入って来た。
「??変な空気ですね?」
首をかしげつつ、
「ご主人様、寝る前のお飲み物ご用意しました。奥様へも同じ物をご用意して宜しいでしょうか?」
「……」
シオルが無言で飲み物を確認する。
その横でそっとウェブスターがロウランに”奥様呼び暫く禁止”の件を告げるのであった。




