34話
真冬に入り、本格的な冬ごもりとなった頃。
私たちはシオルの屋敷へ訪れる事にした。
青い魔石のついたブレスレットに魔力をそっと流す。
足元には白く発光する魔方陣。
横には静かに微笑むシオルが居た。
下から溢れる光の奔流に、思わず目を閉じる。
一陣の風が髪を揺らし、ふと目を開けると――そこには、一本の大樹が聳え立っていた。
枝は空を覆い、幹は両手を広げても足りない程太く、根は大地を抱きしめるように地を割っている。
その圧倒的な高さに、思わず空を仰ぎ見た。
『カチリ』
手首の方から乾いた音が響いて、目をやると、ブレスレットの青い魔石の上にとても小さな魔方陣が浮かび上がっていた。
その繊細な文様に覆わず目が釘付けになる。
そして次の瞬間、大樹から眩い光の渦が流れ出し、私をやさしく包み込んだ。
――そこは、光と緑が溶け合う、不思議な空間だった。
真冬の寒さなど何も感じない。
先程見た樹は更に大きな巨大樹となっていて。
木肌には古い紋様が走り、枝から吊るされた無数のランタンが、夜空の星々のように静かに揺れている。
巨大樹へと続く小道の傍らには、翡翠色に輝く小川が流れ、白い石畳は雨に濡れたような光を宿し、道の両脇には白と銀の花々が咲き誇っていた。
――まるで、この空間だけが時間の流れから切り離されているかのように。
「……ここは?」
思わず声が漏れる。
「なんて、綺麗……」
その美しさに、ただ見惚れることしかできなかった。
「ナギ」
隣から、やさしい声がする。
振り返ると、この上なく優しい眼差しのシオルが居て。
両手を広げて迎えてくれていた。
「ようこそ。我が屋敷へ」
巨大樹の根元から見上げると、螺旋階段がゆるやかに上へと伸びている。
段ごとに色とりどりのランタンが吊るされ、白、青、橙、緑――幾色もの光が木の幹を染めていた。
その幻想的な光景にぼうっと見惚れていると、「こっちだ」とシオルに手を引かれる。
曲がりくねった階段の先々には扉がいくつもあり、どの先にも違う世界が続いているように思えた。
「私の屋敷は世界樹に造られている。訳あって現世からは隠された空間に存在しているんだ」
「世界樹?すごい、そんなのあったんだ……」
「神話の世界にしか存在しないからな」
穏やかに笑いながら説明するシオルの横で、私はキョロキョロと辺りを見回していた。
どこを見ても、今まで見たことのない美しさで――
「ウェブスター達も首を長くして待っている。ここだ」
シオルが一つの扉を押し開けると、そこには整然と並ぶ使用人たちの姿があった。
筆頭はウェブスターと、もう一人燕尾服を着た男性。
ほかにもメイド服の女性やコック姿の者など、十名ほどが左右に並び、深々と頭を下げる。
「「おかえりなさいませ。ご主人様。お待ちしておりました、奥様!!」」
「ん?」
奥様?
驚いてシオルを見ると、彼は少しだけ目線をそらし、私の手を離すまいとしっかりと握りなおした。
「シオル?」
目線を明後日の方にむけたまま、シオルは軽く彼らに手のひらを向ける。
「こちらが、私の使用人たちだ」
とりあえず後で問いただすとして……使用人の皆さんへと視線をうつす。
「まずは、すでに見知っているが、筆頭執事――ウェブスター」
ウェブスターは優しく目を細めて、優雅に一礼した。
「続いて従僕のロウラン。元々はフェンリルだ。私の身の回りの世話等を任せている」
白銀の髪を後ろになびかせたその男性は、好奇心に目を輝かせながら、ニッコリとほほ笑んでお辞儀をした。
次に進み出たのは、5人のメイド達。
「長女のマーニャ。メイド長だ。滞在中何かあればこれに」
「次女はフェリア。主に外界担当で、外出が多い」
「三女のリュミエル。屋内の内政を担当している。ナギの身の回りの担当もする」
「四女、イグナ。この世界樹唯一の光源であるランタンを管理している」
「最後は五女のトリア。屋敷の守り役で、リュミエルと共にナギの世話もする予定だ」
長女のマーニャは黒ぶちのメガネをかけ、銀色がかった淡い青髪を揺らしながら、きちんと背筋を伸ばしたまま深く腰を折った。
続いてフェリアは、金色の髪を肩で軽く揺らし、淡い黄緑の瞳を伏せ、優雅にカーテシーをする。
三女のリュミエルは濃紺の長髪をポニーテールにまとめ、深海を思わせる深い紺色の瞳で柔和に微笑みながら、ゆっくりと頭をさげた。
朱色のセミロングの髪を揺らした四女のイグナは、キラキラと輝く黄金色の瞳で、長いブーツから除く健康そうな足を軽く引き、膝を折ってみせる。
トリアは末っ子らしく、薄茶色の髪と黒い瞳でこちらを見上げ、チョコンとお辞儀する仕草を見せた。
「続いて、バルトはコックを担当している。熊型の魔獣だ」
コック服を着た、やや茶色がかった黒髪の大柄な男性がきっちりとお辞儀をした。
最後にシオルは庭師たちを差し示し、
「オルタとルネ――屋敷から外周、ここに咲く花々まで、すべて彼らの手で守られている」
すべての使用人たちは、死にかけていたところをシオルに救われ、人形と融合して生まれ変わったらしい――だからこそ、どこか不思議な空気をまとっていた。
「初めまして!滞在中、宜しくお願いします」
私は皆の笑顔を見ながらお辞儀をして、メイド長のマーニャと私の担当だと紹介されたリュミエルに、お土産のロベルのジャムをいくつか手渡す。
「良かったらどうぞ!」
「まあ、ロベルのジャムですか?」
マーニャが目を瞬かせる。
「早速、焼き菓子に添えてお出ししても宜しいでしょうか?」
両手で瓶をかかえたリュミエルが控えめに質問してきた。
「はい!もちろん!」
「バルト、この後お茶のお時間に」
「了解した」
マーニャの指示にバルトはにこやかに応じる。
使用人達とのやりとりを、目を優し気に細めて伺っていたシオルに、ウェブスターがそっと近付いた。
「ご主人様……」
「どうした?」
ウェブスターはやや腰をまげ、シオルにしか聞こえないように声を潜める。
「屋敷中にあったご主人様の古書、魔導書や研究材料のはく製や標本は、全て地下室へ移動いたしました」
「そうか」
「ちなみに、虫型の魔獣の骨格標本もありましたので、地下室には鍵をかけさせて頂きました」
ここだけナギには聞こえないよう、更に声を小さくしてウェブスターは報告する。
「……うむ……」
虫の存在を思い出し、シオルはちょっと声が詰まった。
「ナギ様のお部屋は、最上階の”白緑”のお部屋を。ご主人様の今まで使用していたお部屋は色々危なくて使えませんので、改めてナギ様の右隣でご用意いたしました」
「……分かった」
何となく……ウェブスターが苦労した様子が伺える報告も入った。
「ランタンもいつもより多めにしております」
「うむ。ナギが喜んでいるな」
らせん階段や柱を見上げ目をキラキラとさせているナギを見つめる。
「皆、張り切って準備いたしました。もし何かお気づきの事があれば、すぐに対処いたします」
そこで初めてシオルは振り返った。
そこには若干だが、疲れをにじませたウェブスターとロウランが眉を下げて微笑んでいた。
「助かった。礼を言う」
シオルの思いがけない言葉に、二人は目を見開いたあと、嬉しそうに深く腰を折った。
◇◇◇
その後、シオルに促され、私はさらにらせん階段をゆっくりと登った。
視線を少し上げるたびに、生い茂る枝から吊るされた小さなランタンが、夜空の星のように瞬いていた。
最上階に到着すると、二つの扉が並んでいた。
「こちらがナギの部屋だ。好きに使うといい」
シオルが左側の扉を押し開けると、柔らかなランタンの灯りに照らされた、落ち着いた雰囲気の部屋が現れた。
壁は淡いミントグリーンで、窓には同じ色のカーテンが端正に垂れ下がっている。
新緑を思わせるカーペットが、部屋全体に明るさを添えていた。
中央には天蓋付きのベッドが置かれ、白いリネンとクッションが整然と並ぶ。ダークオークの温かみのあるブラウンで、上品なカーブを描くヘッドボード。部屋の隅には同系色の木製チェアと小さなテーブルが配置されていた。
「いかがでしょうか?何かありましたらすぐに……」
マーニャが後ろから声をかける。けれど私は、思わず感嘆の声を上げていた。
「すごい……!!!すっごく素敵なお部屋!」
振り返って、シオルたちに満面の笑みを向ける。
シオルの後ろではウェブスターとマーニャがほっとした表情を浮かべていた。
初めて訪れたシオルの屋敷は、今まで見たことのない幻想的な世界で。
窓の外には世界樹の枝葉が幾筋も広がって、色とりどりの無数のランタンが輝いていた。
部屋の説明を終えたウェブスターとマーニャが下がったあと、二人きりになった部屋で、私は改めてシオルに問いかけた。
「シオル、奥様って⋯⋯どういうこと?」




