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婚約破棄した元勇者、辺境でスローライフ…のはずが元魔王に押しかけられて慌ただしい!  作者: cfmoka


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33/55

33話

ウェブスターは走っていた。

燕尾服の裾の下から覗く複数の脚が、カササ、カササ、と一定のリズムを刻みながら、地面を滑るように進む。


「困ったご主人様だ……いきなり行動に移されるのだから」


その“困ったご主人様”――シオルが、ナギを屋敷に招くと告げたのは、二人の住まいから東の森の小屋へ戻る直前のことだった。


「快適に過ごせるように整えておけ」

それだけを言い残して。


自分が借りている小屋には、村や森に何かあればすぐに分かるように、子飼いの虫を放ってある。

ソラスもあることだし、真冬の間は村は危険には脅かされる事はないだろう。


とりあえず、急いで、この冬は()()屋敷でいつでも過ごせるように用意をしなければならない、と珍しく焦っていた。


木々の間を縫い、朝の靄を切り裂くように、ウェブスターは走る。

まずは屋敷の使用人たちに伝えねば。



「ナギ様を迎える準備を――完璧に、滞りなく」




ふと、先日の魔王城での会話が蘇る。




『ナギが村から離れるのを忌避している』

――シオルが唐突に呟いた。


シオルが探し物があるというので、二人は魔王城の地下へと向かっている途中だった。


『ナギ様がですか?忌避というのは?』

『先日の収穫祭以降、一人で裏山や森の中を見回りしているのを知っているか?』

『はい……。何度か森の中でお見掛けしました』


階段を下りながら、手元のランタンに火を灯す。


『以前はそこまででは無かったのだが……一人で何度も村の周囲を回っているのだ』


二人の足音とシオルの声が、石造りの地下に反響した。


『気晴らしになるかと思って、ナギが楽しみにしている山岳地帯の温泉に行こうと誘ってみたが……』

『ナギ様は村から離れたくないと?』

『直接言われた訳ではない。だが、クルクルの実験のときに、”自分は村に居たまま、私が現地で温泉を汲む”という案を出された時に確信した。ナギは村から極力離れたくないのだろうと』

『あれは……普通のアイテムボックスでは出来ない使い方でした。発想に驚きましたが……心配事があって離れたくない故のアイデアだったという事でしょうか?』


ウェブスターは主を振り返った。

ランタンの灯りに映る横顔は、どこか陰を帯びていた。


『心配事か……何かを極端に恐れているようだ。収穫祭の時、ナギの様子が激変したのだが、それはあの小娘が村人を人質に取ろうとした時だった』

『人質ですか?』

『そうだ。剣を奪い取って叩きのめすかと思ったが、あの時は護衛を足で蹴り倒していた』

『足で……』


ナギの今までの戦いのスタイルからは、あまり想像が出来なかった。

ウェブスターの知るナギは、勇者の剣を華麗に捌くイメージだったからだ。


『そこまでの怒りだった、という事だろう』


階段を降り、しばらく進むと――

天井までそびえるような巨大な扉が現れた。

重厚な柱に支えられたその扉には、立派な竜のレリーフが刻まれている。

翼を広げた竜が、まるでこの地下を守るかのように睨みを利かせていた。


シオルがそのレリーフに手をかざし、魔力を静かに練る。

すると竜の目が薄く開いた。


『オルディム様。お戻りでしょうか?』

『ガーディアン、久しいな。今回は探し物があってな』


その言葉と同時に、その竜のレリーフが命を与えられたかのように、石の身体を左右に揺らしながら、羽を静かに広げていく。

硬い石の軋みが、地下の空気を震わせた。


『後ろの者は?』

地を這うような低い声でウェブスターを睨みつけた。


『同行する。問題ない』


『承知しました……では』

そう言って目を開くと、縦に開いた瞳孔が青く光り、扉が内側からゆっくりと開いていった。


『ご主人様……ここは?』

ウェブスターが思わずシオルの後ろから声をかけた。


『オルディム一族の宝物庫だ。許しを得た魔族であれば、扉を開くことはできる。だが、持ち出すことは叶わぬ。ガーディアンが常に見張っており、一族の命令なくしては、中の品を一片たりとも外へ出すことはできない。中に預け入れるだけなら、使用人でも可能だったがな』


『そのような施設が魔王城にあったのですね……』


冷たい空気が静かに廊下に流れ込む。

石造りの床に踏み入れると、空間の広さに一瞬息を呑んだ。

高い天井と、重厚なアーチが延々と続き、天井の小窓から差し込む淡い光が、多種多様な宝物の表面に静かに反射している。

金貨や宝石、古びた壺や巻物、武具や装飾品、果ては魔石に至るまで――

積み重なる雪のように高く、雑多に山を作っていた。


『ここで何をお探しになるのですか?』

ウェブスターが思わず声を漏らすと、シオルは軽く頷いた。


『これを出来るだけ』

そう言ってシオルが手に取ったのは小指程の長さのソレ。


『これは?』

『ソラスという、古代の守護石だ。この中にまだあるはずだ』


『……』

ウェブスターが視線を巡らせると、宝の谷間から細工の剣や、金箔の巻物、ガラスの小瓶が顔を覗かせて積み重なっている。この中から小指程の石を探す……。


『承知いたしました』

ウェブスターは答えると、右手の手袋をキュッとはめ直し、魔力を練った。

どれだけ集まるのか分からないが……子飼いの虫を放ってソラスを探し始める。



『ナギの憂いを、これで少しでも晴らしてやれれば良いのだがな……』



ソラスを握りしめ、そっと呟くシオル。


その横顔を、ウェブスターは目を細めて見つめていた。

ナギと出会ってから、ここまで感情が表れるようになったことに、実は静かに驚愕していた。


以前は冷静沈着で、感情を全く顔に出さなかったご主人様が――今は、優しさや気遣いを自然に垣間見せている。


『……まずは、ナギに説明して、村人に渡して……これをナギは喜んでくれるだろうか?一緒にもっと外出してくれるようになるだろうか?もっと一緒に居てくれるだろうか?』

ソラスを握りながらブツブツ呟いている。


ウェブスターはちょっとだけ自分の主を見直して、――そして、ちょっとだけ残念に思った。




結果的にソラスは喜んでもらえて。

屋敷へのさりげない招待にも応じてもらえたうえ、興味まで持ってもらえたことで、完全にシオルが浮かれ切って、ナギへのアタックが甘く激しくなってしまっていたのだが……。




ウェブスターは急いでいた。

初めてなのだ。屋敷に客人が来るのは。

それも”奥様”がいらっしゃる。


万全を期して準備せねば、と彼にしては珍しく気が急いていた。

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