32話
シオルの接触度が激しくなってきている気がする……。
思わず窓ガラスに映った自分の顔をじっと見つめる。
そこには鎖骨あたりまで伸びた黒髪に、比較的大きめの真っ黒な瞳。
ちょっとだけ自慢のスッと通った鼻筋に、少し薄い唇。
そこには、勇者として過ごした時期より、だいぶ柔らかな表情を浮かべている自分が居た。
16歳で異世界召喚されるまでも、されてからも。
こんなに異性と二人だけで、くっついていた事がない。
リアノーラに言われて意識し始めたからか⋯⋯。
シオルにいろいろされるのは――
すごく愛されている気がして、正直、嬉しい。
けれどそれ以上に、恥ずかしさが勝ってしまって。
心臓がもたない気がしていた。
「シオル、あのね……」
少し俯いて、意を決して『お願い』をしようと声を掛けると、シオルが静かにこちらを見つめてきた。
「どうした?」
ここは頑張って言わなければ――と思って、勇気を出して顔を上げる。
「……あの、異性の人と、こうして過ごすのって、私……初めてなの。だから、その……あまり急に、そういう雰囲気になると、ちょっと恥ずかしくて……。手加減してもらえたらって……」
最後のほうは声が小さくなってしまって、言い終わる頃には耳まで熱くなっていた。
一瞬、シオルの表情がきょとんとしたあと、ふっと柔らかく笑みがこぼれる。
その笑顔が、少しだけいたずらっぽくて――
「……ナギの“初めて”、か」
低く響いた声には、隠しきれない嬉しさが滲んでいた。
「なら、慣れるまで――毎日これを」
そう言って、シオルは私の頬にそっと口づけを落とした。
思わず咄嗟に目を閉じて息をのむ。
シオルの笑い声が小さく響いて、両手を腰に回された。
そのまま、緩やかに抱きしめられる。
「シオル……!」
言ってるそばから……!
真っ赤な顔のまま、慌てて両手を突っ張ってみたけど――
見上げたシオルの表情があまりにも幸せそうで、
結局、力を抜いて身を預けてしまった。
「ナギの“初めて”を得るのは、嬉しいな」
そう言って、シオルが私の顔を覗き込んだ。
「そう? シオルはこういうの、慣れてそうだもんね……」
思わずちょっと拗ねて見上げると、きょとん、とした顔をしたシオルと目があった。
「?」
首をかしげると、彼は少し気まずそうに視線を逸らした。
そして、ほんの少し間をおいて――静かに言う。
「……私も、初めてなんだが」
「ん? 何が?」
「ナギが初めてだ。人間で言うと“初恋”というものらしい」
「は……!?」
心臓が跳ね上がる。思考が一瞬、止まった。
「だから、こういうのもナギが初めてだし……ナギにしか、していない」
「へっ……!?」
驚いて固まる私の頬を、シオルが左手でそっと包み、軽く顎を持ち上げた。
そして――唇の端に、やさしくキスを落とした。
(び、びっくりしっ……)
「ここは、ナギの心がもう少しだけ慣れたら貰う」
そう言って私の唇を優しく親指で何度もなぞる。
美形からの攻撃にライフが0になった瞬間だった。
気を失うように身体の力が抜けてしまった私を抱いて、シオルの若干焦った声が聞こえたけれど。
私の頭も心も身体も、それどころでは無かった。
(て……手加減をしてほしいって話はどこへ……)
そのまま又しても、ソファで横抱きにされてしまうのであった。
シオルの過剰なスキンシップ攻撃を連日受けて、ちょっとずつ慣れてきた頃。
あんなに恥ずかしかったのに。
――いや、恥ずかしいのは変わらないけど、どちらかというと嬉しいが勝ってしまっていて。
心が喜んじゃっている自分が居る……。
「単純だなぁ…私」
思わず頭を抱えてしまう。
「ナギ?どうした?」
びくっとして顔を上げると、シオルが大きな袋を抱えてダイニングに入ってきた。
「へ!いや、何でもないよ!……その袋は?」
「ああ。この間、魔王城でこれを集めてきたんだが」
「?」
シオルが袋から取り出したのは、金色に淡く光る、小指程の長さの……透き通った楕円形の物。
「へ~綺麗だね。魔石じゃないみたいだけど……」
「そうだ。”ソラス”といって持ち主を守護する力がある」
「”ソラス”?」
私の問いに、シオルはテーブルの上にそれを並べながら答えた。
「古代から伝わる護りの守護石だ。持ち主にとって害があると判断されるものが近づけば、その者を中心にドーム状の防壁を展開する。魔獣や魔物も寄せつけない」
「防壁を出すの?」
「そうだ。一度発動すると弾けて無くなってしまうがな。一定の効果がある」
「へぇ……それはすごいね。でもこんなに沢山?」
「魔王城にまだあったと記憶していてな。ウェブスターと探したら、これだけ未使用の物があった」
そう言って私の手のひらに一つ渡す。
「魔王城に?ストックしていたの?」
「私が城を出る頃は使っていなかったが。使用人達が保管していたようだ」
「魔族がこれを使っていたって事?」
「かなり昔にな」
シオルがそう言って、ふっと目を伏せた。
その少し切なそうな横顔に、何かを思い返しているかのような表情が気になった。
「この”ソラス”を、村人たちに配ろうと思う。あの収穫祭のような事が、また起きるとも限らないだろう?」
貴族が力を誇示して、村人を人質にしようとしたあの騒動。
あの一件は北部貴族の傲慢さを浮き彫りにした。
「……うん」
頷くと、シオルが袋を差し出した。
「ナギにとって、この村はとても護りたい場所だろう?それならば私も護りたい」
「シオル」
「全員分は足りないかもしれないが……出来るだけ渡して回ろう」
シオルの気持ちがとても嬉しかった。
私の大切なものを、一緒に大切に思ってくれている――。
まず長老の家に行って、ソラスを村人に渡したい事を告げる。
護りの守護石を見せると、長老は大変驚いていた。
その後、村を一軒一軒回りながら、外出するときはなるべく身に着けるようにお願いして手渡した。
収穫祭の事があったので、皆快く受け取ってくれた。
「ソラス?すっごく綺麗~!」
そう言って天井のランタンに翳して喜んでいるのはリル。
「護りの守護石って、どんな時に反応するの?」
早速質問しているのはカイルだ。
シオルは、普段から持って歩いていれば、敵意を感じた瞬間や持ち主と異なる種族――例えば魔物や魔獣であっても、現れた瞬間に自動で発動すると丁寧に説明した。効果は一回きりだとも。
カイルは興味深々にソラスを手のひらで握ったり、開いたりして確かめている。
「ねえねえ、ナギ姉ちゃん。この細い所に穴あいてるけど。紐とか通しても良いのかな?」
リルが色とりどりの飾り紐を持ってきた。
「紐を通して首から下げておいても良いかもね!」
二人で細い穴に通そうと頑張っていると、カイルが笑いながら「自分がやるから」と言ってリルのソラスに綺麗な黄色とピンクの飾り紐を通す。
そのまま自分の分には、青と黄色の飾り紐を通した。
「ナギ姉ちゃん、こっちはライエルさんの分?」そういってもう一つのソラスを持ち上げた。
「うん。今、見廻りに行ってるんでしょう?渡しておいて欲しいな」
「分かった」
そう言って、薄い茶色と緑の飾り紐を通す。
「ナギ姉ちゃんの分は?」
カイルが手を差し出す
「私は強いから大丈夫だよ」
両手を振って持たないことを伝えると、それを聞いたシオルが、
「これをナギ用にする」
と言って、カイルの手のひらに最後のソラスを載せていた。
「え?」
「シオル兄ちゃん、何色が良い?」
「え?ちょっと。私の分はいいってば……」
「黒と青かはあるか?なければ白と黒でも良いが」
「黒と青ね。分かった」
「ちょっと、ちょっと、二人とも」
「ナギ姉ちゃん、あきらめて?」
そう言ってリルが傍らで笑っていた。
手元には小指ほどの大きさで淡く金色に煌めくソラス。
光を受けると、まるで星のように瞬く。
黒と青の飾り紐は、二人の目の色だった。
紐の柔らかさが指先に心地よくて、そっと握る。
私はその輝きをじっと見つめ、手のひらで包むように持っていた。




