26話
私はその日、ダイニングの中央で、アイテムボックスの整理をしていた。
2mほどの大きさの黒い渦の中心から下半身だけを覗かせ、作業に集中していると、背後に気配を感じた。
思わず上半身を起こし、振り返る。
そこには、珍しく目を見開いている主従が居た。
「ん?シオル?どうしたの?ウェブスターさんまで」
「ナギ……これは?」
黒い渦を凝視したままシオルが質問する。
「これはわたしのアイテムボックスだよ。時たまこうやって中身の整理してるの」
次の瞬間、それは更に大きく口を開け、黒い渦を巻きながら部屋の空気を吸い込んでいく。
暴風のような吸引に、ウェブスターは思わず一歩下がった。
シオルが息を呑んだ。
「特殊スキルなのか?」
「よく分からないんだけどね…(ブラックホールみたいな感じ?)賢者と特訓して、ようやく『アイテムボックス』だとわかって。普段は小さくして、こうしてポケットに入れてあるんだ」
そう言って手のひらに圧縮する。
それは真っ黒な小さな塊――「黒い毛玉」のような姿。
指先でそっとつつくと、黒い毛玉の中に糸目が見えた。
「……なるほど。大きくも小さくもなるのか」
「うん。大きくすれば人も入れるぐらいの口を開けるんだ」
シオルは目を輝かせて前のめりになる。
「これは……面白い。魔法理論を越えた何かだな」
ふと思いついて呟いた。
「シオルもこのアイテムボックスに物を出し入れできたら便利なんだけどな」
「便利?」
「たとえば、シオルが温泉の場所まで行って、金盥に湯を汲んでアイテムボックスに入れるでしょ?それを私はこっちで取り出して、猫足バスタブに注いで入れる。で、今度は空の金盥を私がアイテムボックスに入れて…ピストンみたいにそれを繰り返したら、自宅でたっぷりのお湯で温泉が楽しめる!」
シオルは腕を組み、口元に笑みを浮かべる。
「……ふむ。それは試す価値があるな。少し研究してみよう」
それから数日後。
「ナギ、ちょっと試しても良いか?」
シオルが自分のブレスレットを手の平に乗せて声をかけてきた。
「このブレスレットの魔石の裏面に魔方陣を刻んだ。その中心にナギの魔力の波紋を設定してある」
「ん?うん?」
「つまり、ナギのアイテムボックスの口を一つのドアとした場合、今はナギにしかそのドアが使えない状態だ」
「そうだね」
「そこで、そのドアに対する鍵を作ってみた」
「なるほど!それがシオルのブレスレットということ?」
「そうだ。魔方陣の中央からナギの魔力の波動を出す為、起動に私の魔力を使う。魔力感知をトリガーとし、アイテムボックスがこれを自身の鍵だと認識できれば成功だ」
「??(よく分からないけど)⋯早速やってみよう!」
私は手のひらに黒い毛玉を乗せて呼びかけた。
「私の魔力?と…シオルの魔力を感じたら、口を開けてくれる?」
シオルが静かに魔力を練って、ブレスレットの魔方陣を起動する。
小さな毛玉がゆらりと揺れ、やがてゆっくりと口を開いた。
「成功したね!」
「何か入れてみるか…」
そう言うと、シオルはそばにあったパンを一切れ、黒い毛玉の口に放り込んだ。
「……」
じっと見つめる中、毛玉は口を閉じて私を見上げた。
まるで褒めて、と言わんばかりだ。
ちゃんとアイテムボックスに入っているか確認すると、しっかり収められていた。
「これでナギが望む色々な作業ができる。遠隔の出し入れはもう少し実験してみるが」
「うん、これで温泉も……他にもいろいろできそうだね!」
『ゆうしゃさま』
「ん?」
「なんだ?今声が…」
『ゆうしゃさま、ぼく ちゃんとできた?』
思わず声の方を凝視する。
「アイテムボックスが喋ってる!!!?」
「どういうことだ、ナギ」
「いや、私も初めて見たよ?!」
『ゆうしゃさま、だめだった?』
手のひらの上で、私に向かってピョンピョン跳ねる毛玉。
「え。いや出来てる!大丈夫だよ!」
毛玉を撫でながらそう答えると
『よかった~、もっとほめて~~~~』
糸目が更に垂れ下がった。
「ナギ……」
何かを言いたそうなシオルに黙って視線を送る。
私も何が何やら分からない。
その向こうに、丁度買い物から戻ってきたウェブスターが見えた。
「ウェブスターさん!!」
「どうされました?」
手乗り毛玉はまだぴょんぴょん跳ねている。
「おや、実験が成功されたのですか?」
「ああ……成功はした」
珍しく何とも言えない顔をするシオル。
「この子喋った」
私が毛玉をウェブスターの目の前に掲げる。
「は?」
「……喋ったんだ。この……ナギのアイテムボックスが」
シオルがウェブスターを振り返って説明した。
「アイテムボックスがですか?一体何を……」
さすがのウェブスターもちょっと訝しげに見つめる。
その時、
『ぼく、えらい~~?』
毛玉のかわいい呑気な声がした。
「なるほど。喋ってますな」
ウェブスターは冷静だった。
『ゆうしゃさま、もっとなでて~~』
毛玉は手のひらの上で跳ねながら、糸目をさらに垂れ下げる。
「う、うん、えらいよ、初めてなのにちゃんとできたね!」
私が撫でながら声をかけると、毛玉は小さく喜びの声を上げた。
「ナギ……」
シオルは口元に微笑を浮かべ、少し困ったように目じりを下げた。
「これは、完全に感情があるな」
『わ~~い、もっともっと~~』
毛玉はさらに元気よく跳ね、手のひらから飛び出してクルクルと宙を舞う。
「ちょ、ちょっと落ち着いて!」
私が慌てて手を差し伸べると、毛玉は再び手のひらに収まった。
シオルが肩をすくめつつ、冷静な声で言った。
「もしかすると……私の魔力も得たことで何かが反応したのかもしれないな」
「反応って」
私の手の平からこちらを見上げる毛玉を、私たちは暫く見つめていた。
「せっかくなので、名付けられたらいかがですか?」
ウェブスターの提案に、
「そうだね…何が良いかなぁ」
「ナギが好きにつけたら良い。おそらくだが、喜ぶ」
シオルの助言に、私は毛玉を見つめながら思案する。
手のひらで軽やかに回転する毛玉。
「クルクルにしよう!」
その瞬間、毛玉が黒いオーラを纏いながら白く発光した。
「え?」
「名付け成功だな」
シオルの言葉に茫然と見ると、真っ黒だった毛玉に白いメッシュが一房出来ていた。
「ええ?」
「やはりご主人様の魔力とナギ様の魔力に反応しているようですね」
ウェブスターが毛玉……もとい、クルクルを見ながら呟いた。
クルクルは私の髪の色にシオルの元の髪色…白金色を加えた毛並みになっていた。
『クルクル!クルクル!わ~~~~い』
喜んで飛び跳ねている。
「一つ成功した所で」
まだちょっと茫然としている私の横で、シオルが軽く『さて』とつぶやいた。
「ナギのブレスレットをちょっと借りたい」
「え?これ?」
思わず左手のブレスレットに目をやる。
「ナギのブレスレットには、私の屋敷のカギを刻みたい」
屋敷の鍵……?




