18話
ウェブスターは若干自身の主に眉をひそめながら、二人をじっと見つめていた。
(……まったく、ご主人様は…)心の中でつぶやく。
膝の上で赤くなったナギと、果物をせっせと運ぶシオルを見て、ため息が出る。
明らかに、魔王城やダンジョンに潜ったときよりも、二人の距離は近い。
というか、近すぎる。
ウェブスターは少しだけ呆れながらも、なんだか微笑ましい気持ちになっていた。
(……まあ、仕方ない。ご主人様とナギ様が幸せそうなのだから)
そう自分を納得させながらも、心の奥では「もう少し節度を…!」と小さく叫んでいた。
ウェブスターがこの世に生まれたとき、アラクネというクモの魔獣だった。
それなりに強い種族ではあったが、より強大な敵に敗れ、瀕死となったそのとき、シオルに拾われた。
そしてウェブスターとしての役割を与えられたのである。
シオル・エン=オルディムという主人は、その長い生に飽きていた。
常に淡々と人形と魔獣の融合を研究していて、それ以外、特に人間などの種族には全く関心がなかった。
唯一時々そのスキルを使って自身の分身体の様子は確認していたようだが。
主に仕える人形達もそれぞれ役割を与えられていたが、それ以上に主の私生活に踏み込む者はいなかった。
シオルに仕えて100年ほど経ったとき、ウェブスターは命を受け、当時の“魔王”と“勇者”の戦いを目の当たりにしたことがある。
その時代の“魔王”は、シオルの古い知り合いだったらしい。
手助けをするものだと思っていたが、シオルはあくまで傍観を命じた。
金髪碧眼の、背が高くがっしりとした勇者は、たった一人でその魔王と対峙していた。
周囲には焦土と煙だけが広がり、彼らを支える者はいない。
勇者の剣と魔王の魔術、その一撃ごとに大地は震え、空は軋み、世界が悲鳴を上げていた。
ウェブスターは少し離れた場所から、その戦いを見守った。
主の命に従い、ただ冷静に傍観するしかない。
だが、その眼前で繰り広げられる魔王と勇者の壮絶な戦いは、ウェブスターの心に深く刻まれる。
最後の一撃が放たれ、魔王が倒れた瞬間、勇者は全てを出し尽くしたかのように膝をつき、やがて静かに命を散らした。
しばらくウェブスターはその場に立ち続けていたが、ほどなく足取り重くその地を後にする。
主の命は「干渉せず、ただ見守ること」。
ウェブスターの目を通して、魔王と勇者、それぞれの選択や決断、そしてその代償までも含めて、この世界の秩序や可能性を観察することが目的だったのだ。
帰還すると、シオルは初めて微かに疲れた様子を見せていた。
主の背中を見つめながら、深く息をつく。
ウェブスターは理解していた――シオルは決して無関心ではなかったことを。
古い知人がその命を散らす危機に、手を出さずに世界の流れを見守ることを選んだだけなのだ、と。
そして数百年の歳月を経ても、ウェブスターの心にはあの魔王と勇者の孤独な戦いが刻まれていた。
そして200年ほど前、北の果ての城に住まう「シオル」という名の魔族が、今世の魔王であると神託が下った。
ウェブスターは思わず息を呑んだ。
もしあのまま主が城に住んでいたのなら、今世の魔王は――。
それからというもの、ウェブスターは主の動向を目で追う日々が続いた。
執事として、少し過保護に見えるほど、目を離せなかったのだ。
不安もあった。
時折、城に置かれた分身体の様子も確認していた。
しかし、暫くしても勇者召喚の知らせはなく――ある意味で平和な日々が続いた。
一度主に尋ねたことがある。
「勇者様は必ず現れるのですか?」
「現れる」
「今世ではまだ気配がありませんが…」
「それでも必ず来る」
「……それが世界の理なのですか?」
「そうだ」
「では…ご主人様の分身体は…」
「必ず勇者と戦うことになる」
「そうですか…」
では、その時、ご主人様はどうなるのだろう。
世界の理で示される“魔王”は、分身体が倒されることで“終わる”のか――。
ウェブスターの心配をよそに、シオルは外界と関わらず、淡々と自身の研究を続けていた。
勇者が召喚されたという知らせを受けても、暫くの間、シオルは動く気配を見せなかった。
しかし、ある時から主人の様子が変わり始めた。
正確な時期は分からない。だが、突然部屋にこもりっきりとなり、しきりに外界の様子をそのスキルで探るようになったのだ。
そして、分身体が倒された直後から、シオルは頻繁に留守をするようになった。
ウェブスターは転移に同行することを許されず、仕方なく主の帰還を待つ日々が続く。
1年ほどその外出が続いた頃、突然、
「気になる女性ができた。行ってくる」
そう言うと姿を消し――それっきり、主は帰ってこなかった。
ウェブスターはそれは心配した。500年仕えた主だ。
イマイチ何を考えているのか未だに分からない事も多いが、それでも大切な主である。
「…本当に、何を考えているのか」
心の中でつぶやきながらも、主の足跡を追う日々が続いた。
それは不安の連続だった。外界の状況、勇者の動向、そして今後の世界の流れ――すべてが、自分の小さな手の中でどうにもならないことばかりだった。
だが、どんなに心配でも、主の姿を探し続けた。
やっと主らしき人物の手がかりを掴んだ時、どれだけほっとしたか。
小さな村の何かのお祝いの席の中心に、姿は変わっていたが確かにシオルが居た。
隣にはかわいらしい女性がシオルに微笑んでいる。
よく見ると、二人は新郎新婦の衣装を着て、村人から祝福されていた。
ウェブスターは思わず涙が出そうになった。(人形なので涙は出せないが…)
やっと見つけた主を心配のあまり、ウェブスターは子飼いの虫を村に放った。
シオルに気づかれてすぐに魔法で焼き払われてしまったが。
そして、シオルと再会し、ナギと出会い…
勇者の剣を携えたその姿に、新婦だと思っていた女性が”今世の勇者”と知る。
でも…。
魔王城でのやりとりやダンジョンでの二人の様子、そして今の距離の近さに
ウェブスターは心から安堵していた。
世界の理よりも、目の前の二人を見守ることが大事だと感じていた。
だが節度は守ってほしい。
「ご主人様、ナギ様をそろそろ解放してあげてください」
シオルはちょっと憮然としながらナギの頭を軽く撫で、ゆっくり膝から降ろした。
ナギは真っ赤な顔でゆっくり食器を片付け始める。
すぐにウェブスターもナギの手伝いに入る。
だが、シオルがすぐにその役割を奪った。
ウェブスターは少し離れた場所から二人を見守りつつ、思わずほっと息をつく。
(……主が幸せそうなのは良いのだが…)
長年の不安が、二人の甘やかなやり取りを見ているうちに、ふっと心から消えていくのをウェブスターは感じていた。
ここまで読んでくださって有難うございます!
コメントやブクマ、評価をいただけると励みになります!




