16話
「はぁ~~~やっぱり気持ちいいね!」
湯に肩まで浸かり、私はシオルに話かける。
「こっちの世界の人は、普段こういった外でお湯には入らないの?」
私が問うと、シオルは少し考え込むように目を伏せた。
「あまり…入らないと思う…。特にそのような恰好は異性の前ではしない」
「え。そうなの?」
「ナギは王都に居た時、マナーは習わなかったのか?」
不思議そうにこちらを見る。
「あ~~~、あまり時間もなくて。ダンス踊ったり、食事のマナーは習ったけど……あとは地理とか。ほとんど訓練ばっかりだったからね」
私は湯気の向こうを見つめながら首を傾げ、遠い日を思い出す。
異世界にきてから特にきつかったのはドレスだ。さらにヒールを履いてのダンス。
コルセットは本当に無理だった。
だからこそ、男物のゆったりした服で剣を振れる時間は自由そのもので――それが嬉しくて、よく訓練場に逃げ込んでいた気がする。
「なるほど…」
じっとこちらを見ていたシオルが、若干静かになった。
手ですくった熱い湯を頬にひとすくいかける。
しっとりとしたお湯が首筋を撫でるように、喉元へと滑り落ちていった。
「旅の間にもこういった湯を浴びたりしていたのか?」
「魔王討伐の旅のこと?」
「そうだ。パーティーだっただろう?」
「旅の間は洗浄魔法をかけてもらう時が多かったけど。野営の時に泉が近くにあったりすると、男性陣が見張りしている間に女性陣で入ったりはしたかな」
そう答えると、シオルの表情がわずかに和らぎ、安堵の色が浮かんだように見えた。
「なら……良い」
「ん?」
「いや、村に泊まることは少なかったのか?」
「そうだね。私達の旅は魔族や魔獣の被害が出てる村や町ばかりだったから、建物とか破壊されてる所にいきなり行って泊まらせてもらう、って訳にもいかなくて……」
「そうか」
「でも…被害を出す魔獣がなかなか特定できなくて、暫く滞在した村もあったんだけど」
「そこではゆっくりできたのか?」
「ちょっとだけ。友達もできた」
――そう。彼女は小さな村の薬師の娘で。
私は湯に身を預けながら、自然と記憶を辿っていく。
ほんのひと時、一緒に過ごした。
旅の途中、長い髪が邪魔になり切ったばかりの頃で、彼女は雑に切られた髪をその器用な手つきで切り揃えてくれた。
一つ年上だった彼女は、自然と同級生と同じ感覚で話せる人だった。
「ちょっと勇者さま、髪ぼっさぼさじゃん。」
そう言って、お店の椅子に座らせた私の髪を、器用に揃えてくれた。
髪を触る指先から薬草の香りがして、ひどく安心できた。
「せっかくの綺麗な黒髪なのに」
「でも邪魔だったから…」
「思い切ったね~」
「結んでた所から、こうざっくりと切ったからね」
「もうちょっと女の子らしく切ろうよ」
そう言って鏡越しに笑ってた。
彼女…エリンは風魔法が得意で、よく薬草を空中で回転させながら乾燥させていた。
その姿は大道芸人のようで…私は拍手しながらよく見ていた。
乳鉢で薬草をすり、器用な手つきで分量を量り、村人に与えていたのも覚えている。
時々村人達に渡す袋を間違えてたけど。
真冬に入ると猛吹雪のため、これ以上北へ進むのは難しくなる。
その前に魔獣を倒そうとしても、出没のタイミングがなかなか掴めず、私達パーティーが手をこまねいていたのに…村人達もエリンも焦らず笑いながら過ごしていた。
そして自然と、私達も冬ごもりの支度を手伝うようになっていた。
穀物や芋類、豆類の乾燥や貯蔵、干物など、保存食づくりに慣れない中(薪の大量確保という力仕事はできたが)、彼女……エリンはよく私の事を手がかかる、と言って笑っていた。
村人達の好意で、村のはずれにある小屋を冬の間借りれる事になって。
そこで雪解けを待つことになる。
その間、勇者パーティーはそれぞれ思い思いに過ごしていた。
剣聖は時間を見つけては鍛錬を繰り返し、戦士は近くの酒場で村人達とよくお酒を飲んでいたし、賢者は魔導書のある古書店に入り浸り、聖女は近くの子供達を集めて教典の教えを説いていた。
そして私はエリンのお店で、時々来る村人を一緒に接客したり、エリンの4つ下の妹と三人で穏やかな日々を過ごしていた。
真冬には魔獣は出てこない。吹きすさぶ雪のせいで、命さえ脅かされるからだ。
そのかわり、雪解けの時期は警戒が必要だった。
森から、やつらが出てくる――私達、勇者一行はその時に備えていた。
「勇者さま、もう少ししたらスノードロップが咲くよ。少ししか咲かない場所があってね。見せてあげたいな」
エリンはそう言いながら、乾燥させた薬草の花弁を手の上でひらひらと舞わせた。
スノードロップの白くて丸い小さな花びらが、まだ開ききらずにちょこんと頬を寄せるみたいに揺れている姿がとても可愛いのだと。
茎の、細く透き通る緑色が春の力強さを感じさせて好きなのだとエリンは言っていた。
雪解けの土の中から、小さな緑がひょっこり顔を出す。
柔らかな日差しに透けるように、白い花びらを咲かせるスノードロップを、私は想像して目を細めていた。
小さな村の周囲、いつもより不自然に静まり返った森の気配に。
風に揺れる草木のざわめきの向こうから、微かに何かが迫ってくるのを私は感じていた。
この感覚は――。
「……そろそろ警戒した方がいいな」
剣聖の言葉に皆頷く。
装備を整え、まだ雪が多く残る森に足を踏み入れる事を何度も繰り返し、魔獣の気配を探る。
「勇者さま、気を付けてね」
エリンは心配そうによく送り出してくれた。
雪解け間近のスノードロップが咲いたその日。
エリンは魔族に拉致され――その命を奪われてしまう。
「ナギ?どうした?」
シオルの声に、私は唐突に現実へと引き戻された。
目の前の湯気が揺れる。
「ナギ?具合でも悪いのか?大丈夫か?」
シオルが近くに寄ってくる。
「ナギ!どうした、何故泣いている?」
エリンとの別れは唐突だった。だからきっと私の心はあそこで壊れたまま。
今も思い出すと勝手に目から静かに涙がこぼれてしまう。
「ナギ……」
そう言って静かにシオルが両手で私の頬を挟み込む。
そのまま、こぼれて止まない涙をそっとぬぐってくれた。
瞬きを忘れたかのように、目を開けたまま静かに泣く私を、シオルはとても心配げに見つめていた。
「ナギ……」
もう一度私の名前を呼ぶとそっとその腕の中に私を囲い込む。
温かいお湯の中で、シオルの腕に抱かれて私はゆっくり目をつぶり、しばらく涙を落とし続けた。
瞼の奥で、乳白色のお湯に空からの光がきらめき、湯気の温もりとシオルの優しさに…心の中のスノードロップがそっと揺れた気がした。
「ご主人様?ナギ様はどうされたのですか?」
ウェブスターが戻るなり、シオルに尋ねた。
ナギが敷かれたタオルの上で、シオルの膝枕で眠っていたからだ。(もちろん水着の上からもタオルをかけている)
「魔王討伐の最中に友達ができたという話をしていたところだったのだが…」
「お友達ですか?」
「だが急に様子がおかしくなって…気づいたら湯の中で寝ていた」
「このままでは、お風邪をひいてしまいます」
「そうだな。ウェブスター、料理に使えそうなものは採れたか?」
「はい。きのこ類と果実類、それにホーンラビットも捕まえましたので、こちらで料理できますが…」
「そうか。今日は一旦帰って、ナギが起きるのを待つ方が良いな」
「さようでございますね。宜しければ、戻りましたらナギ様が起きられた時にすぐ召し上がれる料理を作りましょう」
「頼む」
そう言って、シオルはそっとナギを抱きかかえた。
そういえば昨日も抱きかかえたな…と、少し思い出す。
昨日の気絶も驚いたが、今日見たナギは、それ以上に心の底が冷たくなるような痛みを覚えた。
あんなに壊れそうで危ういナギを見たのは、初めてだった。
魔族の目を通して見ていたナギは……悲しみをたたえた瞳で、それでも前を向き剣をふるっていた。
だが…きっと今シオルの前で見せるナギが本当の彼女なのだ。
ひどく傷ついているのに、普段のナギは人前でその素振りを決して見せない。
ここは…温泉といったこの場所は、元いた世界によく似ていると言っていた。
彼女は異世界から、たった一人でこの世界に召喚され、勇者として頑張って過ごしてきたけれど、まだ十代の少女だった。
それから数年が過ぎたとしても――。
先ほどの、静かに目を見開いて涙をこぼすナギを思い出す。
きっと、失ってしまったものは二度と戻らない。
壊れてしまいそうなナギを、どうしても守りたいと思った。
できるなら、その失われてしまった部分に、自分がなれたら――と。
ウェブスターが周囲の物を片付け、シオルの影に立つ。
シオルはナギを大切に抱えながら足元に淡い魔方陣を展開した。
それはまるで、ナギを何者からも守ろうとするかのような――
温かい光だった。
ナギはそっと身じろぎ、わずかに体の力を抜いた。まるでシオルに甘えるかのように、その温もりを感じていた。
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