13話
魔王領の外れに広がる山岳地帯は、深い森と鋭く切り立った岩壁が織りなす厳かな風景が広がっていた。
山肌には苔むした巨岩が点在し、足元には野生の草花がひっそりと咲いていた。
遠くには鋭い峰と緩やかな丘陵が交互に連なり、その頂は雲に隠れて幽玄な影を落としている。
鳥たちのさえずりが響き渡り、静寂の中にも生命の息吹を感じさせる神秘的な場所だった。
私はその壮大な景観を見上げ、息を呑んだ。
青空に映える山々は、まるで人を寄せ付けない天然の要塞のようだった。
「すごい景色だね…」
「魔王城より東の外れに位置するからな。ナギも足を踏み入れるのは初めてだろう?」
シオルは山肌を見上げながら言う。
「そうだね。前は遠目に見ただけだったし……何となく、日本の温泉地帯に似てるけど…」
「にほん?」
「私の居た所だよ」
「似ているのか?」
「温泉がいっぱいある国だったからね。ちょっと雰囲気がね」
口に出すと、懐かしさが込み上げてきて、声が少しだけ小さくなった。
「そうか……」
彼は優しく微笑み、私の横顔を見やった。
少しだけ、遠い記憶を辿るように私は目を細めた。
「ナギ…」
「大丈夫。ありがとう」
気持ちを落ち着かせて、顔を上げる。
「それより、ここからどうやって温泉に行くの?」
「ああ。ここは簡単なダンジョンになっている。地下三階に降りれば、温かい湯が湧き出ている場所に出るはずだ」
「へえ、ダンジョンなんだね!久しぶりだからワクワクする!」
私の声には自然と期待が混じった。
それを聞いたシオルは、目元を緩めて優しい笑みを浮かべた。
魔王討伐のため王都から北上する際、私たちは魔族や魔獣による被害が出ている地域を巡りながら進んだ。
そのため、まっすぐ魔王城までの道のりを辿るのではなく、様々な場所に立ち寄り、敵と対峙したり、時には訓練を行ったり、ダンジョンに潜って魔物を狩ったりしていた。
特にダンジョンは、その独自に形成された魔物が多く、剣や体術の訓練、味方同士の連携を高めるための戦術的な動きを確認したり、自身のスキル上げの場として適していたので、よく訪れていたのだ。
私たちは深い森の奥にある、ひっそりと口を開けたダンジョンの入り口へと足を踏み入れた。
冷たい空気が肌を刺し、湿った石壁からはかすかな水滴の音が響いている。
入口付近は薄暗く、木漏れ日が届かずまるで時間が止まったかのようだった。
「準備はいいか?」シオルが尋ねる。
「OK」私が頷き、
「問題ござません」ウェブスターが落ちついた声で答えた。
シオルが魔法で足元を照らす。
ウェブスター、シオル、私の順に苔むした岩肌を進んでいった。
暫く行くと闇の中から何かが動く気配がした。
「敵がおります」
ウェブスターの合図で足を止める。
敵はゴブリンだった。
私たちは息をひそめ、薄暗い通路に身を潜める。
小柄で醜悪な姿のゴブリンは、鋭い目で周囲を警戒しつつ、聞き取りづらい不明瞭な音で何か話していた。
「数は六体です」
ウェブスターが何気ない口調で私たちに振り向き、報告した。
「では、私が――」
そう言うと、ウェブスターの目が赤く光り、燕尾服の裾の下で足が蠢いた。
前を向き、右の手の平を胸の前で広げると、静かに魔力を練っている。
その動きは落ち着いた余裕を感じさせた。
次の瞬間――
彼の指先から、まるで空中を裂くような優雅な光の線が一直線に伸び、ゴブリンの群れへと突き刺さる。
貫通したゴブリン達は悲鳴をあげる間もなく倒れた。
残る二体が驚いてこちらを振り返る。
ウェブスターは続いてそのまま二本の指を優雅に曲げた。
その瞬間、光る線は二体のゴブリンの頭部を貫く。
彼は淡々と死骸に歩み寄る。
ゴブリンの肉体は、まるで砂が崩れるように輪郭を失い、魔力の残滓となって霧散していく。
その消滅の中心から、淡く光る魔石が静かに姿を現した。
ウェブスターは迷いなくそれを摘み取り、何事もなかったかのように燕尾服の内ポケットへと滑り込ませる。
一連の動きには、無駄も感情も一切なかった。
「おお…」
私はその美しい戦い方に、思わず賞賛の声を送る。
シオルが静かに言った。
「ウェブスターはクモの魔獣、アラクネだ。糸での戦い方を得意としている」
私は驚いて目を見開く。
「さっきのは糸?」
「そうだ。普通の糸よりもはるかに強靭で伸縮自在だ。さきほどみたいに遠距離攻撃としても使えるし、敵の動きを封じることもできる。ウェブスターの魔力で自在にコントロールできるから、狙った獲物を逃さない」
シオルは少し微笑んで付け加えた。
「だから戦い方もまるで蜘蛛が獲物を狩るかのように、静かで確実だ」
私は感心して頷いた。
「なるほど…」
その後もウェブスターの独壇場は続いた。
通路の奥から、鋭い爪をもったコボルトの群れが駆けてくるのが目に入った。
二体が空中へ勢いよく跳び上がると、残りも次々と通路を駆け回り、攻撃の隙を狙ってくる。
ウェブスターは片手を静かに真横に払った。
わずかに光る細い糸が左右の壁に走り、無数の糸が縦横に通路を塞ぐ。
空中の者も、床を走る者も、縦横無尽に絡め取られる。
糸が締まり、コボルトたちは宙や床に捕らわれ、網のように束ねられていく。
もがく間もなく糸が締まりきり、短く甲高い断末魔が通路にこだました。
ウェブスターはまたしても静かに片手を手前にひく。
そこには糸と地面に落ちた魔石だけが残っていた。
(――すごく戦いに慣れてる)
奥の闇から軽やかに跳ねる音が響き、三体のスライムがゆっくりと姿を現した。
弾むように近づいてくるスライムに、一本の糸が閃く。その透明な体は二つに裂かれ、戻り際には別のスライムも巻き込み、次の獲物を狩っていく。
核を抜き取る動きは一瞬で、ウェブスターの視線はすでに次の行動に向けられていた。
闇の奥から低いゴブリンの唸り声。
ウェブスターは軽く首を傾け、糸を一筋放つ。
先頭のゴブリンの腕に絡みつくと、まるで操り人形のようにその身体を振り回した。
突然の仲間の動きに混乱が生まれた瞬間、別の糸が地面すれすれを這い回り、他のゴブリンの足元に絡みつく。
そのまま動きを封じると、またしても光る一本の筋がゴブリン達の頭部を貫いた。
一団はあっという間に沈黙する。
(――怖いほど動きに無駄がない)
「ウェブスターさん、そろそろ私も戦いたい……」
私は控えめに申し出てみた。
「ナギ様が?でしょうか?」
ウェブスターが恐縮そうに私を見た。
「うん。念のため剣も持ってきてたし。久々のダンジョンだし」
私は腰の剣に片手を添える。
「そうか。ダンジョンは久しぶりと言っていたな」
シオルが私を見ながら呟く。
「アイアンボアの群れ以来、魔獣や魔物を沢山狩ってはいないから。身体なまっちゃうしね」
「アイアンボアの群れ…」
「そうそう。村の東側の森でね。最近魔獣の群れなんて出てなかったのに。久しぶりに出て。稀少種もいたんだけど」
「そうでしたか……申し訳ありませんでした。その群れが村の方に行ったのは私のせいでしょう」
そういってウェブスターが深く頭を下げた。
「ん?ウェブスターさんのせい?」
「はい。私がご主人様を探している途中、アイアンボアの群れに遭遇し…私から逃げるように群れが村のほうに移動したのだと思われます」
「あ~~~~。なるほど。そうだったの」
シオルが口元に軽く笑みを浮かべ、のんびりとした調子で言った。
「あのアイアンボアのハンバーグの『けちゃっぷ』がけは美味かった」
「そうだね!美味しかったよね!また作りたい~」
「ハンバーグ?けちゃっぷ?」
ウェブスターが思い出したように、やや目を見開いた。
「ああ、あの村人達とのお祝いの席で召し上がっていた料理ですね」
「そう! また作れたら、ウェブスターさんにもぜひ食べて欲しい! 」
「有難うございます。頂きます」
ウェブスターが嬉しそうに微笑んだ。
「うん!じゃあ、そろそろ私にも狩らせてください」
私は冗談めかしながらそう言うと、シオルの前に出る。
目の前には二階へと続く階段があった。
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