12話
朝食を終え、食卓の片付けをしていると、扉を軽くたたく音が静かに響いた。
ウェブスターが丁寧に一礼しながら姿を現す。
やや恐縮した表情で、昨日の騒動を詫びてくる彼に
「気にしないで欲しい」と微笑み、むしろ驚かせてしまったことを申し訳なく思い逆に謝った。
今後はむやみに触ったりしないと約束し、
私は今日、シオルとともに魔王城へ向かうことを告げた。
ベッドの補充と、まだ訪れたことのない温泉を見に行くためだ。
執事としての責任感からか、ウェブスターは自然と同行を申し出る。
私たちはゆったりとした足取りで魔王城へ向かう準備を始めた。
シオルの転移で魔王城の門前に移動した私たちは、重厚な石造りの門を前に、今日の目的を改めて確認していた。
「では、本日は新しいベッドと……、その後は魔王領の外れにある山岳地帯に向かう、ということでよろしいでしょうか?」
「そうそう。そこに多分温泉があると思ってるの」
「温泉でございますか?」
「地下から湧き出るお湯のことらしい。ナギが行きたいと言っていたんだ」
「さようでございましたか」
「温泉がもし、沢山汲めてアイテムボックスに入れて持って帰れたら……やばいよ。」
私の興奮を隠しきれない様子にシオルとウェブスターは顔を見合わせた。
「ナギ様はアイテムボックスをお持ちなのですか?」
ウェブスターは興味深げに私に聞いてきた。
「そうそう。ベッドもアイテムボックスに入れて持って帰るよ」
「なんと」
「ウェブスターさんも何か持って帰りたい物あったら言ってね」
「有難うございます」
ウェブスターが嬉しそうに頷く。
「では行こうか」
シオルの掛け声に私たちは魔王城の門をくぐっていった。
正面の扉から長い廊下を進み、次の階層へと向かう。
更に静まり返った長い廊下を進んでいくと、以前ベッドを回収した黒塗りの木製の扉が現れた。
今回はそこを通りすぎ、別の扉に向かう。
ベッドが置かれている部屋を探すのだ。
「手分けいたしましょう。わたくしはこちらの右側の廊下を進んでみます。ベッドの大きさとかお好みとかございますか?」
「私が寝るベッドだ。何でもよい」
「なんでもいいってわけじゃないよ。シオルは背が高いから。ある程度大きいベッドじゃないと」
「かしこまりました。ご主人様用のベッドですね」
そう言って一礼するとウェブスターは右側の廊下を進んでいった。
「私たちもこちら側の廊下を探そう」
私は頷いてシオルの後に続いた。
「シオルはここに住んでたの?」
ふと疑問に思い、隣のシオルに尋ねた。
「500年程前まではこの城にいた」
「そうなの?だから案内できるんだ」
「500年間、間取りはほとんど変わっていないと思う。ナギの言う、”ある程度大きいベッド”が置かれている部屋は…おそらく客間だろう」
シオルはそう言って、静かに歩きながら廊下を指さす。
「こちら側に客間があったはずだ」
私たちは足音を響かせながら、その方向へ向かった。
長く続く廊下の奥に、明るいアイボリー色の扉がいくつも並んでいる。
シオルはその中の一つに手をかけ、ゆっくりと開けた。
そこは広々とした、落ち着いた色合いの家具が並ぶ客間だった。
ベッドがきちんと整えられて置かれているのが見え、思わず安堵の息を漏らす。
「これはどう?」
シオルに尋ねると、
「この際、数台のベッドを持っていこう」
「数台?」
「何かのきっかけで焼き払う可能性がある」
「そうだね…持っていこう」
他の部屋も見て回り、いくつか見繕ってから、アイテムボックスに収納した。
その後も、私たちは長い廊下を歩きながら、ゆっくりと魔王城を見てまわった。
薄暗い空間に、時折窓から差し込む光が斑模様を描く。
「500年前って、シオルはどんな感じだったの?」
ふと横を歩くシオルに問いかけると、彼は少しだけ驚いたようだった。
「どんな…?」
「例えば、何をして過ごしていたとか?」
彼は少し考えるように目を細めてから答えた。
「主に研究ばかりしていたな。人形に魔力を流したらどう動くかとか、ウェブスターを作ろうとし始めた時期でもある」
「研究かあ」
私はゆっくり歩く彼の背中を見つめながら呟く。
「ウェブスターさんは、“魔王”だった分身体とは雰囲気が違うよね」
「そうだな。分身体は自我を持たない。私の魔力を流して動かすだけの人形だ。だがウェブスターは、クモを媒介に人間の身体を模した人形と融合させたもので、自我を持っている」
「なるほど…」
私はその話にどこか不思議な気持ちを抱きつつ、問いかける。
「じゃあ、“魔王”は感情がなかったってこと?……だからあんな目をしてたんだ」
「目?」
シオルが振り返る。
「そう。何も感じてないような…無機質な目をしてたから。本当に魔族の王様なのかな?って思いながら戦ってた」
「そうか…。」
「あ。でも一瞬だけ。様子が変わった時があった」
「様子が変わった?」
「そう。もうどうやって攻撃したらいいのか分からなくなってた時…」
魔方陣の光の紋が一瞬揺れ、次の瞬間、まるで割れるガラスのようにヒビが走ったのだ。
あの一瞬……。
「展開されていた魔法の光にヒビが入ったあの時、”魔王”はひどく驚いていたように見えたの」
「……」
「あれ、シオルが何かやってたの?」
下から覗き込むようにシオルを見る。
シオルはじっと私の顔を見ながら、ちょっと戸惑っているようだった。
沈黙が一瞬流れ、廊下に二人の靴音だけが響く。
「そうか…いや、恐らく私が流していた魔力を断った時だ。そうか…そんな表情を…」
私はふっと微笑み、優しく彼に言った。
「500年もずっとシオルをやってたんでしょ?もしかしたらちょっと感情を持ってたのかもね」
「……そうだな。私の研究もまだまだだな」
シオルは遠く、何か懐かしいものを見つめるような眼差しで窓の外を見ていた。
「ナギ様、いくつか見て頂きたいものが…」
お辞儀しながらウェブスターが廊下の影から音もなく現れた。
「ん?」
私はシオルを顔を見合わせてウェブスターの後についていった。
扉を開けると、目の前に広がるのはまるで大聖堂のような高い柱を持つ広大な図書室だった。
天井はアーチ状に美しい梁で支えられ、壁一面に床から天井まで届く巨大な書棚が整然と並んでいる。
中央には両側に伸びる重厚な木製の登り階段があり、二階の閲覧フロアへと続いている。
広い空間の床には、ふかふかのオレンジ色のカーペットが敷かれ、窓から差し込む柔らかな光が温かな陰影を落としていた。
「わ~~~すごい!」
その壮大な空間の静けさと美しさに思わず感嘆の声をあげる。
「ウェブスター?本をどうするのだ?」
シオルは横で不思議そうにウェブスターに質問していた。
私はつい何冊か手に取ってページをめくる。
「ナギ様がお食事で苦労していらっしゃるようでしたので。野菜等の図鑑がこちらにございます」
「野菜の図鑑!!?」
思わず声が大きくなってしまった。
なるほど、そういう手があったか!と、目当ての本がどこにあるのか探し始める。
「図鑑?ナギが困っているときは私が助けるから必要ない」
シオルがちょっと憮然とした様子で言った。
「ですが、ご主人様が、たまたまいらっしゃらない時もあるでしょう」
「そんな時はない」
ウェブスターはシオルの憮然とした表情を見つめながら、静かに「……ご主人様」と呟いた。
「……どんな本だ」
シオルは仕方なく本棚に目を向ける。
「こちらの本棚に、地域別に野菜の特徴が図解で示された図鑑が何冊かございます。いかがでしょうか?」
「ちょっと色々と見てもいい?」
私がシオルとウェブスターに伺うように尋ねると二人は微笑みながら頷いた。
そこからは図鑑とのにらめっこになった。
あまり時間もないので、結局、野菜の本と料理の本、薬草の本を数冊、二人に見繕ってもらい、アイテムボックスにしまった。
他にも、ウェブスターさんから依頼された茶器セットや使われていなかったリネン類など、魔王城から持ち帰ることになった。
「では温泉とやらを見に行くか」
魔王城の重厚な扉を押し開け、シオルが確認するように私に言った。
「どうやっていくの?」
鳥のさえずりと遠くで風が葉を揺らす音が微かに聞こえる。
「一度行った事のある場所だから転移で問題ない」
「ん?転移は一度行ったことのある所しか行けないの?」
不思議に思ってそう聞くと、
「そうだ。まだ説明していなかったか?」
「聞いてないよ…」
「座標を固定して、空間と時間軸を繋ぐイメージだ。座標を固定するには行った事のある場所でないと無理だからな」
「そうなんだ~どこでも行ける訳じゃないんだね~」
思わず残念そうに言うと、
「まあ、この世界ならだいたいの場所に訪れた事があるがな」
シオルは微笑みながら言った。
「あ~~……それもそうか。人間よりはるかに長生きしてるもんね…」
(あれ?そういえば、私を追いかけてきたあの魔法は……?)
シオルが静かに掌を上にかざす。
青白い光が彼の指先から次々と溢れ出し、徐々に渦を描きだした。
足元の巨大な魔方陣から眩い光が溢れ出して。
三人の視界が白く染まった。
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