116話
少年は額の角を帽子の中に隠し、ひたすら広場を足早に抜けていく。
ありえない速度で。
それを周囲は誰も不審に思ってはいないようだった。
「気色悪いガキだな……」
ドルガンが思わず低い声を出した。
二人は少年から一定の距離を保ったまま、気配を殺して追跡をしていた。
そんな中──
自分たちよりはるか前を、同じく少年を尾行している人影を目にする。
「!」
レオンハルトがいち早く気づく。
それはゾグートと部下らしき男性だった。
「おい。まずいぞ」
ゾグートもその部下も、気配を消しきれていない。
少年が路地から地下へと続く階段を下りて行った。
その横顔の口元が……ゆっくりと吊り上がった。
(気づかれてる……!)
レオンハルトとドルガンは、同じように階段を下っていったゾグート達を急いで追った。
同じ頃。
王宮から一番近い、貧民街の近くの空き地に、馬車が数台止まっていた。
そこから騎士数名と貴族の青年、メイドたちが順に降り、最後にアリアが降り立った。
「では炊き出しを始めましょう!」
アリアの一声で、周囲に人だかりができる。
どこからともなく、「あの女性は例の聖女じゃないか?」「王女だったとか」「聖女自らの炊き出しなんて!なんて美味しそうなんだ!」そんな声がまるで周囲の人々を誘導するかのように、いくつも上がっていく。
(まるで違和感を抱かせないように、周到に配置している……)
リュートは辺りを警戒しながら、一番後ろで様子を観察していた。
兄からは無理はするな、と厳命を受けてはいるが。
今の所、一番無理をしているのは……
(ネッド)
アリアの側にピッタリと寄り添い、かいがいしく世話をしている。
だが──
その目はヴェルディを見つめていた時とは、ほど遠い色をしていた。
(無茶をしなければ良いが……)
王女の魔力因子が過去、死亡した王家の者であると証明するため、兄であるヘンデは日々奔走していた。
恐らくこの姫であろう、という特定は出来ている。
だが決定的な証拠が見つからない。
正体の露見を想定しているかのように、周到に隠蔽されている。
こうなってくると──
『あの女が死者である、ということを証明する方が楽かもしれん』
ヘンデが皇太子と手紙でやり取りをしながら、呟いた。
(死者であることを証明する……)
つまり。
人間ではないと衆目に触れさせれば良い──。
今回の炊き出しはアリアからの申し出だった。
(私も王家の一員として何かしたい、ね)
リュートは冷たい視線を隠そうともせずに、集まっている民衆に食事を配っているアリアを見つめる。
支持集めか、何か他に思惑があって外出をしたのか……。
──それとも。
リュートにそっと近寄ったメイドが、
「あの食事は決して口にしませんように」
口を動かさずに呟いた。
このメイドは第二王女にお願いして、追加で担当になってもらった女性だ。
「どういうことだ?」
「王城の料理番があれを作った後、アリア様が何かを入れる所を確認しました」
「!?」
「私は少しだけ《鑑定》が使えます」
「だが、何か……としか判明しなかった、ということか」
「そうです。逆に広く知られている物であるならば、そのような結果は出ません」
二人はせっせと民衆に食事を振舞う王女を見つめる。
「民衆はモルモットか?」
リュートの低い言葉に、メイドは
「あれが敵であるならば。我々は容赦はしません。そして徹底的に情報を利用して排除いたします」
前を向いたまま、微動だにしない。
第二王女が移動させたメイド。
(王家の影をよこしてたのか……)
リュートは空を見上げる。
(何も起こらない方が良い……しかし。今は何かが起こる事を期待しなくてはいけない……)
そしてその日。
王都の二か所で事態は起こった。
まるで示し合わせていたかのように──
ゾグートとその部下が、警戒しつつも少年の後を追って姿を消した。
すぐさまレオンハルトとドルガンも後を追う。
路地裏の奥に、ひっそりと口を開けた階段があった。
石段は古く、ところどころ欠けている。
階段は思いのほか深く、一歩一歩下る度に緊張感が増していった。
古い扉がひとつ──まるで、こちらからの視界を遮らないように開かれている。
ポツンポツンと壁際の灯りが申し訳程度に、部屋を照らしていた。
その光に浮かび上がる影が、何かを掴んでいる。
レオンハルトの目が薄暗い部屋の様子を捉えた。
後ろ姿の少年が、ゾグートの首を掴んで締め上げ、その足元には、床に倒れ込んだまま全く動かない、部下の姿があった。
少年は、その小さい手でゾグートの首を掴んだまま、ゆっくりとこちらへ横顔を向ける。
半円を描くように、笑みを浮かべたまま……それは場の温度を支配している者の姿だった。
「!」
剣聖と戦士が一斉に踏み込む。
レオンハルトの剣をよけるように少年は後方へ飛ぶと、無造作にゾグートを放り出した。
そのゾグートを慌ててドルガンがキャッチする。
「ゴホッツ!ゴホッツ!!」
「何とか生きてるな?」
ドルガンの問いに、ゾグートは頷くものの、床に倒れたまま動かない部下へと視線を送る。
「こいつは?」
「部屋に入ってすぐ、あの子に殴られてそのまま……」
空気には、鉄の匂いが濃く満ちていた。
レオンハルトは慎重に少年に近づいた。影がゆっくりと揺れる。
剣が少年の右手をかすめた瞬間、何かが触れた。
「!?」
少年の足元に、光とも影ともつかない歪みが滲み出す。
それは煙のように揺れながら、床を這うように広がっていく。
何かの合図でもあるかのように、赤い魔方陣が出現していた。
「では実験をしましょうか」
少年がためらいなく再び指を噛み切った。
その血が魔方陣へと吸収される。
「実験?」
レオンハルトが警戒しながら問いかけると、
「そうなんです。生きている人間に対して、どれぐらいあの核の効果があるのか」
少年が笑みを深めた。
「難しいんですよ。死者に対するのとは違って。拒絶反応が出るかもしれないですから」
無邪気に言葉を繋ぐ少年の、周囲の空気そのものがねじれたように見えた。
「本当は聖王で試したかったんですけど」
少年の影がふっと伸びた。
「仕方ないので。その他多数という形で実験のデータを取ることにしました」
魔方陣から強烈な光が溢れ出し、幾筋もの光の膜が立ち上がる。
それは地下室から天高く、空にその複雑な文様を映し出していた。
「まあ。とりあえず、お兄さんたちはここで死んでもらいますけど」
少年の言葉と同時に、ドルガンが見えない何かに吹っ飛ばされていた。
「ドルガン!」
レオンハルトがカバーに入る。
あのドルガンが盾を構える暇がなかった……。
そういえば、さっき自分の剣も何かが触れた。
この部屋に、少年以外の何かが──
「……いる。だが、見えない」
レオンハルトの声は低く、緊張で張りつめている。
ドルガンが身体を起こし、すぐさま盾を構えた。
その刹那、確かに何かが弾かれた。
反射的に斧を振るい、その何かに接触する。
部屋のわずかな光が揺れ、透明な触手のような影が一瞬だけ浮かび上がる。
「なんだ、ありゃあ」
少年は、ただニコニコと静かに立っている。
だが、その足元の空気だけが妙に揺れている。
まるで──
「透明な何かが床を這いまわっているのか?」
レオンハルトの呟きに、少年が手を叩いて喜んだ。
「素晴らしい!さすが剣聖さん!」
無邪気に少年は笑っている。
「これが僕のアバミネーション。アガザ」
まるでそこに何かがいるかのように、少年が透明なソレを紹介する。
「どうぞ、存分に戦って下さい。その分、この魔方陣は血を吸う度に効力が強くなるはずなので。良いデータを期待していますよ」
自分たちを完全に舐め、まるで戦えば戦うほど、自分たちの血が与えられるかのような、その発言に。
「ああ?」
レオンハルトは珍しくちょっと切れた。
地を這うような低い声を発するレオンハルトを見たドルガンは、そっとゾグートとその部下を壁際に寄せた。
「あれ?あの、ハルトおかしくない?」
「今、あいつに触れてはならん」
「え?」
彼はこの世界唯一の剣聖である。
異世界からの召喚者、勇者であるナギを除けば、剣技において勝る人間はいない。
彼には彼なりの信条が存在する。
それはどんな敵であっても、敬意をもって全力で戦う。
たとえそれが魔族であっても、同じ人間であっても。
戦いを愛するレオンハルトにとって、この場を実験のような扱いにしている少年は──
非常に嫌悪の対象になった。
レオンハルトの義手が光り、愛刀からバチッツと激しい音が響いた。
同時に彼の身体から、フワリと靄が立ち昇る。
「おや?」
少年が初めて目を丸くした。
次の瞬間──
レオンハルトの姿が消えた。




