100話
昇光録――
王暦123年。
花香る風の中にて、王子誕生の折、祝福の女神、忽然として現れ給う。
その御髪は白金にして、やわらかに波打ち、淡き光を帯びて輝けり。
まなざしはかすかに憂いを含みつつ、なお限りなき慈しみを湛え、生まれ出でし男子を見守り給う。
女神、この誕生をことのほか嘉し、祝福を授け給う。
そこに居合わせし者どもに告げて曰く――
この男子、いずれ我が伴侶となるべき者なり。
ゆめゆめ忘るることなかれ、と。
その言葉、聞きし者の心に深く刻まれ、ついに忘れ去らるることなかりき。
また後には、王子の生まれし日めぐるごとに、白き祝福、絶ゆることなく授けられしと伝えらる。
やがてこの王子、女神と契りを結び、聖王と称えられ、女神は聖王妃と崇めらるるに至れり。
王宮を離れ、白き宮に居を定め、世に数多の奇跡を顕し給いしという。
聖王、周辺諸国との諍いにより疲弊せし民を憂い、国を護らんとし、その身に宿せし神聖の力をことごとく捧げ、結界を張らんと欲す。
やがて王、深き眠りに入り、命を留めてこれに心を尽くす。
その時、静かにして確かに、国のすべてを覆う庇護の膜、生まれたり。
以後、この国は何人たりとも侵すこと能わずと伝えらる。
聖王妃、王の願いを受け入れしものの、再び触れ合うこと叶わぬを嘆き、せめて安らかに眠り給えと、自らの力をもって堅固なる棺を造り奉る。
また、国中の乙女のうちより、癒しの力を持つ者を選びて聖女となし、これを己がいとし子と呼び、王の棺を守らしむ。
かくして王は眠りにつき、国は守られ、その地に大神殿を築く。
後の世の人々、これを聖王国の始まりと語り継ぐという。
是をもって聖暦元年と為す。
聖暦2044年――
「え?シオル、ギルドカード持ってないの?」
ララベルたちと残りの調整をし、聖王国のどこから入るかを地図を見つつ相談していた時。
思わぬ問題に行き当たった。
「直接転移で入ると思っていたのだが」
不思議そうなシオルに、王宮や大神殿に訪れるのに必要であることを告げる。
ここから一番近いギルドは辺境伯領にあるギルド支部だ。
辺境伯であるライヒベルクからの一筆があれば、すぐに作成してもらえるかも?とのララベルの言葉に、シオル・ウェブスターの主従コンビと一緒に辺境伯領に向かった。
「承知しました。すぐに紹介状を書きましょう」
辺境伯の言葉にホッとしていると、
「実は勇者様を、お訪ねしなくてはいけない事があったのです。丁度良かった」
「私に?」
王都での評議会の際、エドワードが示した聖王国大神殿からの返書。
実は、それにはもう一通書簡が同封されていた。
「勇者様に、聖女エリシア様を救って欲しいとのご依頼でした」
「!」
「出来ればなるべく早めに来て頂きたいと」
「エリシアさんに何が……」
「そこまでは記されておりませんでした。ただ、教皇自らの入国許可書もございましたので」
更に、こちら側の身分証明書、また書簡には聖王国でまず訪ねて欲しい人物に至るまで記されてあった。
「至れり尽くせりだね……」
「スタンピードが終わって、王領の整備など色々と多忙な中、大変申し訳ないのですが」
ライヒベルクの恐縮そうな表情を見ながら、逆にこの色々整理している中、離れるのが申し訳ない、と思ってしまう。
「先日の誘拐騒ぎもあるから、魔族の集落にも気を配っておいて欲しいの」
私がお願いすると、辺境伯は硬い眼差しで頷いた。
方々に散っている使用人や村との連絡係を兼ねて、ウェブスターはそのまま村に残ることになった。
シオルの転移で聖王国の王都に直接飛ぶ案もあったのだが、ここで教皇の入国許可書がネックになってしまった。これを無視して王都内に飛ぶと、関所を通過していないことになってしまう。
国境ギリギリの村周辺に一度転移で飛び、わざわざ関所を通過し、聖王国に足を踏み入れるという旅程で決定し、聖王国には私とシオル、レオンハルトとドルガン四人で出発した。
聖王国は、魔王討伐の旅に出発し、まず最初に訪れた国だった。
神託の玉――そこに投影されている魔王の姿と名前を記憶するために。
その際に教皇や国王を始めとした王族と面識があったが、どちらかというとエリシアに振り回される形で日々過ごしていた為、国に関する詳しいことも、王族の一族や高位貴族なども殆ど覚えていない。
聖王国の特異性は、聖王の棺とそれによる絶対的な結界にある。
そして――
その結界に、綻びが見え始めていた。
煙の匂い。土埃。
「どういうことだ?」
ドルガンが前方の村に視線を向けたまま、低い声で疑問を零す。
国境沿いの村が、魔獣の群れに襲われていたからだ。
ここから関所までは一本道で、見通しもよく、夜の間にこの村まで足を延ばし、朝一で関所を通過する旅人も多かった。
その村がブラッドホッグの群れに襲われていた。
滞在していた冒険者がすでに好戦しており、地面には夥しい血が流れていた。
この危機的状況であるにも関わらず、関所から応援が来ない。
異様だった。
村人が幾人も犠牲になっている光景に、胸の奥があわだつような不快感が走った。
指輪の留め具をすぐさま触ると、雷光のように、一歩目から全力の加速で駆け出していた。
視界が一気に流れていく。
倒れ伏す村人と冒険者たちの姿が揺れる。
その向こうで、まだ幼い子どもが一頭のブラッドホッグに追い詰められていた。
風が裂けた。
ブラッドホッグが突進してくる。
一瞬で震える子どもを左手に抱え上げ、右手の愛刀を捧げ持つ。
まるでそこに何もいないかのように、軽やかに一閃し、ブラッドホッグは真っ二つに倒れ伏した。
刀を構え直す。
周囲にはまだ複数のブラッドホッグが残っていた。
目を赤く光らせたシオルが、結界を見上げ眉間を暗くしていたので、解析結果が思わしくないのだろう。
子どもを安全な場所へ押しやり、また風そのものになったかのように駆け出す。
何よりも速く、そして強く。
混乱と恐怖に沈んだ村の中で、長い黒髪を靡かせ、白く輝く装具を纏い黒刀を振るう。
「助かった……のか……?」
近くの村人が震える声で呟く。
その背後から、剣を携えたレオンハルトが駆け込んでくる。
「こっちは任せろ!」
彼は倒れた冒険者の前に立ち、別のブラッドホッグの注意を引きつける。
反対側では、盾を構えたドルガンが、
村人を庇いながら獣の突進を受け止めるように踏ん張っていた。
「下がれ! 巻き込まれるぞ!」
剣聖が獣の注意を引きつけ、戦士がその動きを止める。
その一瞬の隙を、勇者は逃さない。
風を裂くように駆け抜け、切り裂いていく。
子どもが呆然と彼女の背中を見つめていた。
村を蹂躙していたブラッドホッグの最後の一頭が土埃を上げ倒れ込むと、押し殺していた息が一斉に解き放たれるように、村人たちから安堵の声が漏れた。
「やった……!」
「倒したぞ!」
子どもが涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて叫ぶ。
「おねえちゃん、ありがとうっ!」
その声に、周囲の緊張が一気に崩れた。
「おおおおおっ!」
「助かったぞ!」
「ありがとう! 本当に……!」
歓声が波のように広がり、
倒れていた村人たちも、仲間に支えられながら立ち上がる。
だが。
倒れたまま動かない冒険者の身体。
守りきれなかった村人の姿。
その現実に。
冷たい水をかけられたように、私の心は静まり返っていた。
「ナギ」
後ろからシオルがゆっくり近づいてくる。
「シオル。もしかして結界がおかしいの?」
「ああ。結界に呪いが混じっている」
「呪い?」
思いもかけない言葉に目を見開く。
「呪いとは、穏やかじゃねえな」
ドルガンが斧を背負いながら、いまだ閉じられたままの関所を見つめる。
「その呪いによって魔獣が襲ってきたってことか?」
剣をしまい右手の様子を確かめつつ、レオンハルトがシオルに尋ねる。
「闇系統の呪いによって結界が機能しきれていない。おそらく国境付近は綻びだらけだ。更に呪いの匂いを嗅ぎつけて魔獣が押し寄せてきたんだろう」
「エリシアさん……無事だよね?」
私の問いに他の三人は険しい顔で沈黙していた。
誰一人として侵すこと能わぬはずの聖王国は――
いま、何かに蝕まれていた。




