10話
シオルが自分の小屋の屋根を吹き飛ばした。
それは突然のことだった。
私の小屋の中庭に面した側にある、シオルの小屋のダイニングの炊事場で、爆発音が響き渡った。
「シオル…!? 何したの?」
慌てて駆けつける。
シオルは天を仰ぎながら腕を組んで立っていた。
吹き飛んだ屋根の破片が風に舞い、周囲には何だか焦げた匂いが漂っている。
「ちょっと気に入らない虫がいたので、魔力で焼き払っただけだ。」
彼の表情はまったく気にしていない様子だった。
「虫」
「うむ。綺麗に消滅した。」
視線を屋根の破片に向けると、そこには大きく穴が開いていた。
「綺麗に屋根も消滅してるけど…」
「うむ……。また修理だな」
「え~~~~。いや、まず村長さんに謝らないと。あと材料もらえないか聞いてくる」
「私も行く」
「そうだね…シオルの借りてる家だしね」
破損した屋根を見上げながら、シオルを連れてゆっくりと村長の家へと歩き出した。
「これはまた…シオルさん、派手にやりましたな」
私たちの報告を聞き、様子を見に来た村長は苦笑いしながら屋根を見上げた。
村長に続いて村の大工も同行してくれていた。
「これ、どうせならナギさんの小屋とつなげてしまっては?」
「ん?」
大工の提案に、思わず私は目を丸くした。
「この間のお祝いの時も思ったんですけど、せっかくなので二つの小屋を一つにしたほうが部屋も広くなりますよ」
「え?なぜ繋げるの?」
「それはいい!」
村長が笑顔でうなずいた。
シオルがじっとこちらを見ている。
「え?シオル繋げて大丈夫?」
「私は元々ナギと一緒に住みたかったから問題ない」
「あ、そうだったね」
そういえば、忘れていた。
「つなげて部屋を広くするか〜」
シオルは気づいたら寝る時以外はほとんどうちに居るのだ。今さらな気もした。
二人が各小屋で寝ている部屋はそれぞれ建物の東側にあるので、中庭をつぶしてダイニングを広くするのはいいかもしれない。
……ルームシェア、みたいなもんだよね。
「お願いしてもいいですか……?」
私が遠慮がちに村長に伺うと、
村長は大工さんに向き直り、
「よし!では改装じゃ!」
と、楽しそうに声を上げた。
改装には約三日間かかった。
まず中庭と小屋の間の壁を取り払い、大工たちが地面を掘り下げ、丈夫な木の杭をしっかりと打ち込み、そこに新しい床板を張っていく。
二つの小屋が一体となり、広い空間へと生まれ変わっていった。
屋根も破損部分を中心に修繕された。
吹き飛んだ部分を補修し、傷んだ木板は新しいものに取り換えられた。
新しい屋根は、木の温かみを感じさせる仕上がりだった。
大工たちが黙々と手を動かす中、私はそっと小屋を見守った。
木の香りと金槌の音が、壊れた場所に新たな命を吹き込んでいくようだった。
三日目の夕暮れ、小屋は以前よりも暖かく、どこか心地よい空間に仕上がっていた。
夜の森は静まり返り、月明かりが木々の隙間からそっと差し込んで、異様な空気が漂っていた。
そこは村の東側、かつてアイアンボアの群れを倒した森の一角。
「なぜ、お前がここにいる?」
冷たい視線を木陰の暗闇に向け、シオルが問いかける。
「ご主人様、いきなりお姿を消されたので心配いたしました」
影の中から、低く落ち着いた声が返ってきた。
「心配?私にそのようなもの無用だろう」
「私はご主人様の執事です。500年間お仕えしてまいりました。
全く外界と交わらなかったご主人様が気になる女性ができた!とおっしゃって出ていかれたのです。普通に心配します。」
執事の声は淡々としているが、どこか人間味を感じさせる。
「ちゃんと追いかけて、こうして一緒に暮らしている」
シオルはそう言うと少し胸をはった。
「そのようですね。ですが、いきなりわたくしが放った虫に火炎弾をあてるなど……ひどいではないですか」
「覗いている虫は消すべきだからな」
シオルの言葉は鋭く冷たい。
「乱暴な。そのような事では、奥様から嫌われてしまいますよ」
執事は軽くため息をついた。
「奥様…?」
「?ご一緒に暮らしていらっしゃるじゃないですか」
「ああナギか」
シオルは静かに頷く。
「ナギ様と仰るのですね。出来ましたら一度ご挨拶をさせて頂きたいのですが。奥様のご都合の良い時に」
「挨拶?というか奥様というのはなんだ」
「?結婚したのではないのですか?……先日、お祝いをしていたではありませんか。」
「結婚?」
「村人たちがこぞって祝福し、お二人が結婚式の礼服をお召しになっていたので、てっきり」
執事の言葉にシオルの眉がぴくりと動く。
「あれは結婚式だったのか!」
「御主人様…?もしや知らずに着ていたのですか?」
執事は半ば呆れたように問いかける。
森の闇が二人を包み込み、微妙な静けさが漂っていた。
「まぁともかく…ナギに聞いてからだ。それまでは来るな」
「かしこまりました」
執事はゆっくりと上半身を前に傾け、慇懃に一礼した。
顔は老齢の執事そのもので、どこかやり手の風格を漂わせている。
彼の下方から八本の細い蜘蛛の脚がカサカサと乾いた音を立てながら伸びて、床の上を素早く這い回った。
一本一本が軽やかに触れるたびに、小さな振動とともに細かな塵が舞い上がる。
シオルがくるりと踵を返すと、それを合図に執事は静かに影の中へと戻っていった。
新しい小屋で過ごす毎日は意外と快適だった。
私が日課にしていた鍛錬は、中庭から西側の空地に場所が変わっただけで、特に困ることはなかった。
シオルは毎日決まった時間にダイニングに現れて、家事を手伝うようになっていた。
「ナギ…実は紹介したい者がいるのだが」
シオルが急に改まった声で言ってきた。
ダイニングの窓から差し込む午後の柔らかな光が、彼の綺麗な横顔を照らしている。
「ん?シオルの知り合い?」
私は鍋をかき混ぜながら、軽く首をかしげた。
「知り合いというか…以前話したことがあっただろう?500年ほど身の回りを世話していた執事だ。先日、追いかけてきてな」
シオルは窓の外を見つめながら話す。
「え!そうなの!?魔族?」
驚いて、私は鍋の手を止めて声をあげた。
「いや、魔族ではない。人形だ」
「人形……?」
首をかしげる私に、シオルは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「村の皆とお祝いをしただろう?あの様子を見ていたらしい。ナギに挨拶したいそうだ」
「へ〜よくわかんないけど、いいよ!いつでも」
「わかった。ありがとう」
シオルがちょっとホッとした顔をしていたのが印象的だった。
――このとき、もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと後悔するのは、少し先のことになる。
シオルから執事さんの話を聞いてから三日後、その日はやってきた。
玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは背筋の伸びた長身の男だった。
漆黒の燕尾服に身を包み、片手を胸に当てて深く一礼する。
完璧に磨かれた革靴が、光を反射してわずかに輝いていた。
「お初にお目にかかります、ナギ様」
低くよく通る声が、まるで舞台俳優の台詞のように響く。
「えっ、あ、はい。はじめまして?」
思わず背筋を伸ばしながら返事をする。
(人形……?)
そのとき、彼の背後で黒い何かがカサリと動いた。
一瞬、巨大な昆虫の脚のように見えたが、次の瞬間には燕尾服の裾の下にするりと引っ込んでいた。
まるで最初から存在しなかったかのように、彼は微笑を崩さない。
「私はシオル様に仕えております、執事のウェブスターと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」
「あ、はい…こちらこそ?」
(まるで人間だけど…)
じっと見つめ返すと、その視線の奥にほんのわずか、獲物を観察する肉食獣のような光が見えた気がした。
「つきましてはナギ様。一つお願いがございます」
「お願い?」
「はい。こちらでもご主人様とナギ様のお世話をさせて頂きたいのです」
「……お世話、って、私まで?」
思わず眉を上げると、ウェブスターは口元だけで微笑み、静かに頷いた。
「もちろんでございます。ナギ様はご主人様とご一緒に暮らしていらっしゃるのですから」
「……」
ちょっと考え込んでしまった。
クツクツと鍋の煮込む音が静かに響く。
「……一緒っていうか、ルームシェアなんだよねぇ…」
「るーむしぇあ?」
ウェブスターは不思議そうな表情でそう言うと、再び片手を胸に当て、ゆるく顔を傾けた。
ふと燕尾服の裾の下で黒くて細い何かがちらりと現れ、小刻みに動いて、すぐにするりと隠れた。
「何かさっきからチラチラ黒いものが…」
「気のせいでございます、ナギ様」
「気のせいだ。ナギ」
シオルとウェブスターの声が重なった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。 これからもゆるりとお付き合いいただけると嬉しいです。




