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煙草屋にて

前回のあらすじ

自転車兄弟の恐るべき計画が露呈した。

すなわち全人類抹殺。

だが計画の進捗が思うように進まないことに、ふたりは心を痛めるのだった。

「ハイライトをひとつ」

 巡査部長がそう云って、硬貨を数枚プラスチックトレーに置いた。

「はい」

 煙草屋の主人が無愛想にソフトパック煙草を巡査部長に差し出す。取引成立というわけだ。

 巡査部著は慣れた手つきでソフトパック煙草の上部フィルムを外しながら、煙草屋敷地内に設置された灰皿に歩み寄った。灰皿の前ではすでに巡査が一本目の煙草を堪能していた。でっぷりと太ったその顔は、険しい表情をたたえていた。

 マッチがひらめき、手で覆われた巡査部長の口元を照らした。紫煙がぱっと広がり、風にたなびく。巡査部長はここに至ってようやく長年愛好してきた銘柄と再会を果たしたのであった。

「しかし、メンソール煙草とはねえ……」独り言のように巡査部長が呟いた。

「メンソール煙草がどうかしましたか」巡査が合いの手を入れた。

「いやね、先ほどの御仁だよ。ちょうどこいつを切らしていたのでね、煙草を一本ねだったところ、出てきたそれが、まさかのメンソール」巡査部長が信じられないといった口調で云った。

「ははあ、それはそれは」巡査が云った。「そういったところかもしれませんな」

「なにが」

「自転車兄弟に目をつけられたのが」

「ふうむ」巡査部長が思慮深く唸った。「確かにそいつは一考の余地ありと言ったところだな。なかなか悪くない着眼点だ。しかしながらあの御仁、身なりは立派で靴の掃除も行き届いていた。あたしの観察眼を持ってして、まさかメンソール煙草が飛び出してくるとは夢にも思わなかったのだ。それを連中のような……いや、連中のような悪党だからこそ見透かせることもある、そうも考えられるとも言えると言うわけか」

「そうそう」巡査が引き取った。「ああいう手合いは案外めざといものですからな。四六時中鵜の目鷹の目で鴨を探していれば、常人には及びもつかない感覚が身についていたって不思議ではありません。……ところで、巡査部長、いかがだったのですかな?」

「なにが」

「メンソール煙草」

「うん、なんだね……別段初めて吸ったというわけでもないのでね。マア、若かりし頃に吸ったときは鼻や喉がスースーするのが気になって気になって、まっとうな人間の吸えたしろものではないと断じたものだが、この年になって改めて吸ってみるとそれほどでもないと言うかだね、いいか悪いかで言えば、やや悪いよりのどちらでもない……と言った歯切れの悪い結論に至ってしまうね、現時点では。ただ偏見であることを承知で言わせてもらえば、やはりメンソール煙草を吸っている大の男はいまいち信用できんね。軟派、好色、日和見の資質ありと看做されても仕方のないところがある」

「あたしはそこまで悪くは思いませんけどね」と巡査。「まあちっと滑稽なところがあるのは認めます。しかしおなじ煙草呑みとして、仲良くやっていかなければならんでしょう。なにしろ煙草呑みの肩身は年々狭くなる一方ですからなあ。現にあたしらは先ほどからこの灰皿の前から一歩も進めずにいる。昔は捜査の傍らどっか適当にその辺でニコチン摂取にいそしみ頭の中を整理するなど当たり前のことでしたのに」

「その点についてはあたしも異存はない」巡査部長が応じた。「確かに最近の喫煙者への風当たりの強さは目に余るものがある。あたしはエゲレスとアメルキが妙な動きをしておるのではと疑っておるのだが、そいつを差し引いてもマア、かつての我々は調子に乗りすぎていたと懺悔せねばならんところも多いにあるだろうな。なにしろひと昔前など、列車の中で、映画館で、野球場で、遊戯場で、食卓で、ありとあらゆるところに煙がもうもうと立ちこめていたのだから、そりゃ非喫煙者にとってはたまったものではなかったろう。そういった積年の恨みを考えれば、現状も甘んじて受け入れるしかあるまい。ここであたしらが反動的な態度をとってみたまえよ。たちまち自転車兄弟のような反社会性パーソナリティ障害者の仲間に入れられちまう」

「もう片足くらいは入れられちまってるように思えますがねえ」巡査がかぶりを振りながら云った。

「なんにしたってだね、あたしら警察くらいは喫煙者の印象をこれ以上悪くせんよう、努めていこうではないか」巡査部長が二本目の煙草に火をつけながら云った。

「おっ、巡査部長もう一本いきますか。では、あたしももう一本いかせていただきましょうかな」

「おいおい巡査、きみは三本目じゃないか。連続喫煙も過ぎると、胃の失調、えずき、喉の異物感等々に悩まされることになるぞ」

「心配せんでください」巡査がにっこり笑顔で云った。「あたしの親父なんかは絵に描いたようなチェーンスモーカーですけどね。今でも身体、頭ともにぴんぴんしています。ええ、病院なんかに掛かったこともありませんや。なんてったって目覚めているときは煙草を咥えてない方が珍しいって男でして。朝起きてまずすることは、スモーキン。寝床から這い出してすることは、スモーキン。顔を洗って、スモーキン。髪をとかして、スモーキン。髭を整えたって、スモーキン。歯を磨いたってのに、しつこくスモーキン。誇張なしにそんな具合でしたからねえ。煙草に強い血筋なんですな、あたしんちは」

「そりゃ心強い御仁だね」巡査部長が感心して云った。「できることならあやかりたいものだ。なにしろ健康ってのは規則正しい生活を心がけてさえすれば、確実に手に入るってものでもないからね。煙草、酒、暴食、夜更かし、いずれにも縁もゆかりもないというのにコロッと逝っちまう、なんてのは枚挙に暇のない話だ、実際のところ。それにしたって、あれじゃないか、親父さんは現状生きづらかろう。つまりだな、この御時世にそれだけひっきりなしにスパスパやってたんじゃ、外出だってままならんのではないかね」

「それが傑作の話がありまして」巡査がくつくつ笑いを噛み殺しながら云った。「親父がね、往来で誰にも文句をつけられずに煙草を吸う方法をついに編み出したと、こう言うわけですな」

「ほうほう」

「あたしは言いましたよ。親父、あたしは警官だよ。あたしの名誉や評判を傷つけるようなことは謹んでくれよ、と」

「そりゃそうだ」

「親父は、いいやそれはない、完全無欠の方法だから、おまえに迷惑は一切掛からない、とこうですよ」

「よほどの自信がおありなんだろうね」

「そうなんです、あたしは訊きましたよ。で、その方法ってのは一体なんだい、ってね。そうしたら、灰皿を持ち歩くんだ、そう言うわけです」

「ふむ?」

「そう! あたしもちょうどそんな顔をしていたと思いますよ、この男はなにを抜かしてるんだ、年も年だしついに惚けちまったかな、と」

「無理もない話だ」

「でですよ、よくよく話を訊いてみるとどうにも話が噛み合わない。灰皿を持ち歩くだなんて言われたら、あれを思い浮かべますわね、携帯用の灰皿、ビニール製のちゃちいやつ」

「マアそれ以外ないだろうね」

「ところが親父が持ち歩く灰皿ってなコレなんですよ、コレ!」

 巡査が目の前の灰皿を指差した。鈍い銀色のアルミ製、円筒状の灰皿である。

「ええっ」巡査部長が目を剥いた。

「親父が言うにはですね、煙草を吸いたくなったら道ばたに寄って、こいつを立てちまえばいい、こう言うんですよ。そうすると、あら不思議、その場所がたちまち喫煙所になると言うわけです」

「そんな馬鹿な」

「そう思いますでしょう? あたしもそう言いましたよ。そうしたら親父、百聞は一見にしかず、ついてこい、こう言うわけですな。ついて行きましたよ。どうなったと思います?」

「見当もつかんね」

「親父が適当なところに灰皿を立てますでしょ、で、煙草を吸い出しますな、そうするとね、通りすがりの人が集まってくるわけですよ、紳士淑女の皆さんがね。それで一斉にぷかぷかやり始めるわけです。いやあ驚いたのなんのって。親父の言ったとおりでした。正真正銘、喫煙所にしか見えないんですな。灰皿がそこにあるだけで。だあれも文句を言いません。煙たいそぶりすら見せません。ただ通り過ぎていくだけです。あたしはもうおかしくて、おかしくて」巡査が耐えきれなくなって笑い出した。

「確かにそれは傑作だ」巡査部長も手を叩いて笑った。「まことに傑作、いや参った参った」


 こうして巡査部長と巡査は喫煙所談義に花を咲かせ、捜査に向けて英気を養うのであった。

今回の教訓

喫煙者は身の程をわきまえるべし

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