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駅前交番にて

前回のあらすじ


第一回目であるので記載なし

 自転車兄弟の話をしよう。

 自転車兄弟は本当の兄弟ではない。血族ではない、という意味だ。いつも一緒にいるので、兄弟になった。姿形はまったく似ても似つかない。

 自転車兄弟は自転車ではない。二台の自転車ではない、という意味だ。いつも自転車に乗っているので自転車になった。交通マナーはすこぶる悪い。

 やつらはやりたい放題だ。歩道も車道も信号も、関係なしにぶっ飛ばす。ベルを打ち鳴らすのが大好きで、進行を邪魔するやつには、くらえ! チリンチリンチリンチリン! 老若男女かまいやしない。ふたり一斉に鳴らすものだから、鳴らされた方はたまらず腰抜かす。煙草のポイ捨て、ひき逃げ当て逃げ、暴行傷害、詐欺窃盗。まったくもって迷惑千万、神経症世界は大混乱。にっくきやつらは自転車兄弟。悪逆非道の限りをつくす。

 

「おまわりさん」

 昼食をがっついていた警官は箸を止めた。ちらりと声の主を眺め、手振りで状況を説明したのち、急いで残りをかっこみ、紙ナプキンで口周りを幾度か拭った。さらに手振りで状況を説明しつつ、爪楊枝で歯をせせり、茶をすすり、満足げに、ふう、と一息ついた。

「失礼。ただいま休憩中でしてな。とは言え、あんたに対応できるのは現状あたしひとりだけ。労務規則に反することにはなりますが、話を訊くぐらいなら罰はくらいますまい。で、どういったご用件で?」

「やられました」

 困り顔の紳士が、言葉を継ごうとした時だった。

「その前によろしいですかな」警官が紳士を制して云った。「もしよければ煙草を一本。切らしているのを失念していましてね。あんたを置いて買い物に出掛けるわけにもいきませんからな」

「これは気づきませんで」紳士は少し慌てて懐から煙草を取り出した。「メンソール煙草でよろしいか」

「ふむ。時勢かねぇ。あんたのような立派な紳士がメンソール煙草とは感心しません。ですが、頂きましょう。食事あとの一服。こいつに勝るものはありませんからな」

「ええ、ええ。違いありません」

 警官が煙草を咥えたのを見届け、紳士がライターを差し出した。

「いえ結構」

 警官はブックマッチを手際よく、パチンと火をつけた。二酸化硫黄の香りがあたりを漂い、ジジジと煙草の先が明滅する。警官の鼻から口から景気よく煙が噴き出した。

「あたしはガスライターは好かんのです。もっぱらこれ。マッチ。時流に逆らうことが好みと言うわけではないのですが、どうも性に合わんのです。安物ガスライターというやつは」

「こだわりがおありなんですなあ」

「マアこだわりと言うほどのこっちゃないですがね。ふむ。たまにはメンソール煙草も悪くないもんですな。軟弱者の吸うものだと思っていましたが、ふむ。なかなかどうして。ふう。これは馬鹿にできませんぞ」

「ええ、そうでしょうとも」

「さて。大変お待たせしました」云いながら、警官は満足げに煙草をもみ消し、デスクの引き出しからファイルをひっぱり出し、そこから一枚の用紙を取り出し、デスクに広げ、ボールペンの先を舐めた。「なにか問題でもありましたかな。ああいや、あたしくらいになると、あんたの顔を見れば大体のことがわかるんだ。失せ物ですな。なにかをどこかに落としちまってお困りだ。そうでしょう」

「いえ、違います」

 紳士が顔を曇らせながら云った。

「紛失物ではない……と」警官が用紙の一部にシャッとレ点を記入した。「となると、私文書偽造を発端とする事件に巻き込まれたと推察しますが、当たっていますか?」

「当たっておりません」

「略取誘拐および人身売買となんらかの関係は?」

「おそらくないと思われます」

「わかった、あれですな、痴漢に間違われたのと違いますか」

「違うのです」

「痴漢冤罪事件でもない……と」警官が用紙の一部にレ点を記入し、ボールペンの尻でごりごり後頭部を掻き、呟いた。「迷宮入りかな、これは」

「私が本日御相談にあがったのは他でもありません」意を決したように紳士が声を上げた。「財布を盗られたのです」

「いやはや」警官が目を剥いた。「紛失したのではなく、盗られたと? おかしなことをおっしゃいますな。すると、あんた。ご自分の財布が盗られる現場を、黙って指を咥えて見守っていたと。そういうわけで?」

「そういうわけではないのです」紳士はズボンの尻ポケットからハンケチを取り出し、額を二度三度叩くように拭って云った。「脅し盗られたのです。柄の悪い二人組の示威行為に晒され、自ら財布を差し出すことを余儀なくされたのです。唐突に甲から各指にかけて物騒な刺青の入った拳を目の前に突き出されて、金を出しやがれ! と、こうですよ。迷っている暇などありませんでした。少しの躊躇を見せれば、反撃のおそれありと判断され、面前の拳が私の顔面にめり込んでゆくのは必定、と言った雰囲気でしたからねえ。……むろん屈辱で打ち震えましたとも! 私にもいくばくかの蛮勇の持ち合わせがありますから。しかしながら、二人がかりでの殴打によって発生する擦り傷打撲骨折等々の負傷および心的外傷を起因とする治療通院にかかる時間的損失と私の自尊心を天秤に掛ければ、極めて妥当な判断だったと言えますまいか!」

「まあまあ落ち着いて」警官が用紙の空欄になにやら記入しながら云った。「あいわかった。財物恐喝事件発生と言ったところでしょうな。さっそく捜査に乗り出すといたしましょう」

 警官が用紙を脇に押しやり、デスクの引き出しから雑に折りたたまれた大きな紙をデスクいっぱいに広げた。地図であった。

「事件の発生現場はどのあたりですかな。ちなみに現在地の交番はこちら」

 そう云って警官が地図の一点を指で示すと、キイッと軽いブレーキ音がし、すぐさま自転車のスタンドが力強く下ろされる音が響く。

「巡査部長、ただいま戻りました」そう云いながら若い警官が巨体を揺るがしやってきた。「おや、お客さんで」

「おかえり巡査。事件発生だ。財物恐喝事件。こちらは被害者の方だ。なんでも二人組に財布をやられたそうだよ」

 巡査部長と呼ばれた警官が云った。

「そりゃまたなんとも災難でしたなあ」そう云って巡査と呼ばれた若い警官は、巡査部長の横の椅子にどかっと腰を下ろした。「で、現場は?」

「それを今から説明してもらうのだよ。さ、どうぞ」巡査部長はそう云って紳士を促した。

「ええと、このあたりです。公園を抜けて、しばらく歩いたところですから、おそらくこのあたりです」

 紳士が地図の一点でくるくると指で円を描いた。

「なるほどねえ。で、犯人どもはどちらの方向に逃走したのですかな」と巡査部長。

「こちらの方です」そう云って紳士が地図に指ですーっと線を描く。「自転車に乗って。おそろしいスピードでした」

 紳士の言葉を聞いて、巡査部長と巡査が思わずといった感じで顔を見合わせた。

「ちくしょう!」巡査が吐き捨てるように云った。「白昼堂々とはぶったまげたもんだ。やつら、調子に乗ってやがる」

「あのう、やつらとは?」紳士がおずおずと質問した。

「自転車兄弟。最低最悪の札付きですな」巡査部長が険しい顔つきで云った。「いやはやまったく。まれに見るワルでしてね。連中を取り逃がし続けているせいで、あたしらの評判は日増しに下がる一方。減俸待ったなしの切羽詰まった状況です」


 そういったやりとりがあったのち、巡査と巡査部長は、紳士に必要書類の必須項目に必要事項を記入してもらい、今日のところはお引き取り願う、と言う形になったのであった。

今回の教訓


煙草を切らすべからず

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