天使と死神57
光の手は、周囲の建物や木々をすり抜け、翼を翻し逃げる悪魔を追いかける。例え悪魔が路地に逃げ込んでも、その手が町を破壊する事はないが、光の手に触れていないにも関わらず、悪魔の黒い翼からは徐々に羽根が吸い取られ、その翼はとうとう消えてしまった。巨大な手からは細かな腕が無数に伸び、それらは悪魔の体を抱き締めるように、すっぽりと包んでいく。
アリア達は光の手を追いかけ、空からその様子を見ていた。アリアはいつものように、フウガの背中におぶさっている。フウガは神様の力のおかげで、アリアを背負って飛べるまですっかり回復したようだ。アリアの翼は、先程、神様の手と接触した事もあり、更に羽根を失っていて、使い物にならなそうだった。
「あれ?」
だが、何だか背中がむず痒くて、僅かに残る翼を動かしてみれば、バサッと感じる抵抗感。振り返り見ると、小さくなっていた翼には、失った筈の羽根が戻っており、立派な天使の翼がそこにあった。
「え、戻った…!」
「これも神様の力ですね、先程よりも体が軽くなっているように感じます」
「た…」
確かに。そう言おうとして、アリアは言葉を止めた。正直に言うと、翼が回復した時点で、自分の力で飛べると確信がある。神様の力は悪魔を追いかけている間も、今この時も、誰をも癒す力を放っているようだ。
「た?何です?」
「た、頼りになるな、さすが神様だ!でも俺はまだ怠いかなー」
「あなたは、持っている力も特殊ですからね。力を使いすぎているようですし、回復までには、時間がかかるのかもしれませんね」
疑いもせずに納得してくれたフウガに、アリアはほっと息を吐く。フウガには悪いが、アリアもちゃんと回復している、さっきまで立つのもやっとだったのが嘘みたいだ。
それでも嘘をついたのは、単に面倒になったからである。すっかり背負われるのも慣れてしまったせいか、フウガの背中は乗り心地も良く、何より楽だ。この怠け癖のついた心根は、早々変わるものではないようだ。
「悪魔はどうなったのかな」
「消滅させられたんでしょう。あの光は私達には薬でも、悪魔にとっては毒でしかありませんから」
「そうだよな…あ」
「今度はなんです」
「あれ、あそこの。コウモリ」
「え?」
「あれ、悪魔じゃないか?」
光に満ちる夜だから、それほど目を凝らさなくても見る事が出来る。巨大な手の外には、慌てふためいた様子で忙しなく飛んでいくコウモリの姿があった。
あれは野生のコウモリではない、悪魔が力を吸い取られた姿だ。
「甘いですね、逃がすとは…」
奴にどんな目に遭わされたかと、フウガは難しく眉を寄せるが、背中のアリアは呑気なものだった。
「でも、あれじゃ暫くは何も出来ないんじゃないか?」
その危機感のないぼんやりとした声に、自分がされた事を忘れたのかと、フウガは溜め息を吐いた。
「いずれは回復しますよ、まったく、悪魔はあれだけではないというのに」
よろよろと空の彼方へ、コウモリとなった悪魔が消えていくのを、数人の天使が追いかけていく。神様が悪魔を逃がしたとはいえ、今も悪魔の根城は分かっていない、放っておく訳にはいかないだろう。
「あいつは、一人なのかな」
ぽつりと呟いたアリアに、フウガはまた不思議そうに眉を寄せた。
「悪魔の数は把握していませんが、ごまんといる筈ですよ」
「そうじゃなくてさ、仲間とつるんだりしてんのかなってさ。あいつの側には誰もいないのかなって、だからあんな風にめちゃくちゃな事すんのかなってさ」
悪魔の纏う攻撃的な空気、自分が悪者にされていると声を荒げた姿を思うと、上手く気持ちが消費出来ない思いもある。
そんな風に悪魔に思いを馳せるアリアに、フウガは分かりやすく溜め息を吐いた。
「あなた、あの悪魔に何をされたか覚えてますよね?彼らが束になって来られては、困りますよ」
「そうだけど…そうだけどさ、生まれた奴に罪はないっていうか。勿論、ダメだけど、人間を襲うのは。あいつも、好きで悪魔に生まれたんじゃないし」
「…責任を取れるとしたら、それは神様ですよ。あなたが考える事ではありません」
「まぁ、そうかもだけど…」
そうフウガは諭すも、アリアは納得したようなしないような、曖昧な返事だ。
「今はそれよりも、目の前の事を考えましょう」
フウガは無理矢理にでも、アリアの思考をこちらに向かせた。まだ、やらなければならない事はあるのだ、仕事を増やすだけ増やし、町を混乱させた悪魔を擁護するなど、フウガには到底理解出来ない事だった。




