天使と死神22
「…あー、違う違う。そんな力を持ってる奴なんていないよ。神様は…ちょっと留守なだけ。その話、噂になってんの…ですか?」
この狸もどきがなんであれ、誰かを生き返らせろ、なんて言われても力になれない。アリアは確かに命を与える力を持っているが、死者を生き返らせる事はしないし、それが出来るのか試した事もない。それこそ、重大なルール違反だ。そんな事をすれば、アリアは確実に消滅させられる。
アリアがやっている事は、強制的に心を失い命を取られかけている人間に、不足した分だけの命を注ぎ足す事。アリアの力は、失った心を悪魔から取り戻してくれる。それだって、下界を見守る神様がその役割を放棄さえしなければ、悪魔が大量に人間を襲う事もなかっただろう、これは天界の不祥事、その尻拭いみたいなものだ。
なので、この力が噂にでもなっていたら大変な事になる。この狸もどきのように、噂を聞きつけ押し掛けられでもしたら、非常に困る。
「はい、新しい神様は命を与えて下さると。寿命を伸ばす事も出来るんですよね?」
狸もどきは、とてとてと側にやって来て、縋るように見つめてくる。その姿だけを見れば愛らしく、アリアは正体のあやふやな存在を前に、逃げるように視線を逸らした。視線を巡らせれば、部屋の隅に置かれていたフウガのスーツケースが目に止まった。
「無理だよ、そんなの。俺はそもそも神様じゃないし」
平静を装って話しかけながらスーツケースを確かめれば、鍵はかかっていないようだ。それにほっとして、早速スーツケースを開き、中を漁って見つけたのは、いつだったかフウガに取り上げられた煙草だった。箱の右端に、縦に青い線が入っている。中身を確認すると、白い紙が巻かれた煙草の他に、青い巻き紙の煙草が数本入っていた。
「ですが、その力をお持ちなんですよね?」
煙草を見つけて安堵したアリアだったが、めげずに追いかけてくる狸もどきに困り、外に出ようと障子戸を開けた。戸を開けると縁側があり、その斜め向こうに拝殿が見える。拝殿の前には人が手を合わせており、アリアは慌てて戸の影に隠れた。今のアリアの姿は人には見えないので隠れる必要もないのだが、本能的なもので、つい体が動いてしまった。
僅か開いた戸から、アリアは身を低くしてその人物を見つめる。学校帰りだろうか、少年は高校の制服を着ていた。何やら熱心に手を合わせている。肩に掛けた鞄には、桜色の御守りが揺れていた。
「どうしても助けて欲しい人がいるんです!」
狸もどきは、構わずアリアの背中を両方の前足で懸命に、たしたしと、撫でているのか叩いているのか分からない行為を繰り返している。
もしこの狸もどきが普通の狸もどきだったなら、必死な彼には申し訳ないが、可愛らしさが勝り、アリアはきっと、ほっこりしてしまっただろう。
だがアリアは、この狸もどきがただの妖ではないと、感じ始めている。
少年が顔を上げたのを見て、アリアは拝殿から顔を背けた。その先で、足元でこちらを懸命に見つめる狸もどきと目が合った。深い緑の瞳が宝石のように深く煌めいて、熱心にアリアを見つめている。きゅるっとした愛らしい瞳にしか見えないが、アリアはその中に畏れを感じ、狸もどきには気づかれないように、悩む素振りを見せながら、そっと視線を逸らした。
アリアは、やっぱりそうかと息を飲む。
わざとなのか、それとも何か理由があるのか分からないが、狸もどきの下に隠れた正体が、アリアを静かに圧倒する。
でも、だとしたら。アリアは考えを巡らし、それから小さく息を吐くと、アリアは敢えて胡座を掻いて座り直した。
「大事な人って?恩でも受けたのか…です?」
おかしな敬語でアリアが尋ねれば、狸もどきはパッと表情を輝かせた。
「はい…!今は遠くからしか見守れていませんが、私を救ってくれた大切な方なのです、失いたくないのです…!」
狸もどきは顔を伏せ、丸い前足を更にきゅっと丸めた。元々丸いので分かりにくいが、その丸い前足に、苦しみや悲しみを握りしめているように見える。本当に、失いたくない相手がいるのだろう。
アリアはその姿に、ふぅんと、ぼんやりと相槌を打った。狸もどきの懸命な思いに胸を打たれたとは思えない返事だったが、こちらはこちらで必死だった。狸もどきの正体に、気づいていない振りをしなければならないからだ。
少し悩んだ振りをした後、アリアはぽんと膝を打ち、内心、意を決して顔を上げた。
「分かった、いいよ」
「え?」
「丁度暇してたんだ、その人に会わせてよ」
アリアはにこりと愛らしく、精一杯の笑顔を浮かべた。




