天使と死神19
そしてアリアは、自身に失われた記憶がある事に気がついた。
自分が誰であるか、家族の事も分かるし、日常生活を送る上で問題は何もなかった。ただ、自分の外枠だけはしっかりあるのに、中身がないようなと言えば良いのか。子供の頃に遊んだ場所、学校や友人の存在、家族と過ごした日々、何故、世界管理局に配属されたのか。それらの思い出や記憶を、アリアは持っていなかった。自分が何に悩んで迷い、何に喜びを得て生きていたのか、そういった事もすっかり抜け落ちていた。
更に、自分について何か思い出そうとすると、体は拒否反応を起こした。それは頭痛だったり、恐ろしい程の睡魔だったり。アリアが仕事をしないで怠けてばかりいたのも、半分はこれが原因であった。
仕事に関しても、ただ伝言を伝えるだけ、文字を書くだけなのに何故か出来ない、仕事に関係のない事はいくらでも出来るのにだ。おかしな体質は、いくら説明しようと、誰も真面目には受け取ってくれない。ただサボりたいだけだろうと、いつだって困り顔で、呆れて溜め息を吐かれた。だから、アリアもその内に諦め、現実から逃げるようになった。
きっと自分は欠陥品で、その内、神様に消滅させられるのだろうと。人間と違って、天使や死神に転生はない。
こんな自分が転生した所で、きっと価値もない。
だったら、なまくら天使と呼ばれている方が楽で良い、アリアはそう呼ばれる事で自分を守ってもいた。何もしなければ恐怖はやってこないし、辛い事は何もない。幸い、怠けていても神様に呼び出される事もなかった。
そんな風に長すぎる年月を過ごす内、最初は身を守る為の行為だったのが、今ではしっかりと怠け癖がついてしまった。
今思えば、神様が敢えてそうさせていたのではと、アリアは思う。何も考えられず、何も出来なくさせたのは、アリアが自分の力に気づかないように、不用意にその力を使ってしまわないように、神様がまじないを掛けていたのではないかと。
それなら、力を使いそうになった時にだけストッパーを掛けてくれたら良いのに。アリアはいくら神様のした事とはいえ、そう思わずにはいられなかった。
したくても出来ない、何も考えられなくなる事は、まるで何者かに自分が支配されているようにも思えて、アリアはそれが、ただただ怖かった。だから、必死に目を閉じて、ずっと気づかない振りをしていた。
深い意識の底で、アリアは顔を上げた。
でも今は、出来ることがある。必要としてくれている人がいる。
それは、アリアがずっと望んでいたものだった。
***
「目が覚めましたか?」
フウガの声がして、アリアがぼんやりと声のした方に顔を向けると、フウガは開いていた黒い手帳を閉じた所だった。アリアは数度瞬きをすると、のそのそと体を起こした。ここは、アリア達が寝泊まりをさせて貰っている神社の一室で、アリアは布団の上で眠っていたようだ。
「…俺、寝てた?」
「まぁ、そうですね。一時間程でしょうか」
そう言うフウガの表情には安堵が滲んでおり、心配してくれていた事が伝わってくる。アリアはこそばゆさを感じ、所在なげにふわふわの髪を、わしゃわしゃと掻き混ぜた。
「えっと…何で寝てたんだろ?」
「神使殿に力を分けたのは初めてですよね?それが負担になったのかもしれません。相手は、元々神様の力を受けていましたから、何か反動があったのでしょう」
「そっか…感覚的にはいつもと同じだったけどな…あ、悪いな飯食べてない」
立ち上がろうとするアリアだったが、途端に目の前が真っ暗になった。傾く体をフウガが咄嗟に支え、そのまま布団に腰を落ち着けさせた。
「行きなり立とうとするからですよ」
「悪い…なんか変だ、体」
いや、頭だろうか。額を押さえて難しい顔を見せれば、フウガが小さく息をついた。
「食事はいつでも構いませんから。朝、食べ終えた後も具合悪そうにしてましたよね」
気づいていたのかと、アリアは目を丸くして、背中を支える手の温かさに、またむず痒い思いが生まれてくる。
「…じゃあ、もうちょっとしたらにする。悪いな、作れって言ったのに」
申し訳なさそうにアリアが言えば、フウガは拍子抜けしたようにきょとんとした。それから可笑しそうに「何を気にしてるんですか」と笑って、ぽんと軽くアリアの肩を叩いた。そのまま手帳を胸ポケットにしまって立ち上がるフウガを見て、アリアはそこで、フウガが人間の姿をしている事に気づいた。




