天使と死神10
ビルの屋上から再び夜空をドライブし、フウガが神社へ戻ると、神使達が熱心にアリアの看病をしてくれているところだった。アリアはまだ目を覚ましておらず、その表情は、いまだに苦しげで辛そうだ。
アリアの与える力は、人間の心を食い尽くそうとする悪魔の力を断ち切り、その身を削って、悪魔に奪われた命を補充する。
悪魔の力が体に根付いてしまうと、アリアの力なしではその根を途絶えさせる事は出来なかった。悪魔の力が根を張ってしまえば、人間の内側からその根を断たなくてはならない。アリアは人に命を与える事で、その根を断ち切る事ができた。
天使達と悪魔との戦いは物理的なものだ。天使は光で黒い力を弱らせ、死神はフウガのように、奪う力を使って悪魔の手を捕える事は出来るが、それらは根本的な解決とはいかない。
いくら手を捕えた所で、悪魔本体には通用しない。力を弱らせる事は出来たとしても、その存在を消滅させられるのは、神やアリアが直接手を下すかだ。
だがそれも、アリアの苦しむ姿を思えば、簡単な事ではない。
「かわりましょう。あなた方は休んで下さい」
フウガは神使の傍らに膝をつき、汗を拭うタオルを神使の手からそっと取り上げた。
「ですが…」
「私は問題ありませんから」
神使達の疲労も、目に見えている。フウガは神使達に気を遣わせないように、穏やかに微笑みを浮かべた。
「彼のお世話は私の仕事ですから、あなた方の手を煩わせたとあれば、上司に叱られてしまいます」
そう冗談めかして言えば、神使も互いに顔を見合せて、それからどこか申し訳なさそうに眉を下げた。
「それではお言葉に甘えて…」
「フウガさんもちゃんと休んで下さいね」
そう双子のような神使は丁寧にお辞儀をして、部屋を出て行った。
フウガは手にしたタオルを傍らの桶の水で一度濡らし、苦し気なアリアの額にそっとあてた。その冷たさが心地よかったのか、アリアの表情が少し和らいだ気がする。
天界の住人も、人と変わらない生活を送っている。魂は食事をとらないが、天使や死神には、食事も睡眠も、日常を過ごすのに欠かせないものだ。だがフウガは、元々が仕事人間ならぬ仕事死神だからか、多少の睡眠でも問題なく動ける体質になっていた。
何より、この任務はアリアが要だ。
自分がいくら優秀であろうとも、この仕事ばかりは、万年寝太郎のような天使の力が必要なのだ。
その為ならば、世話くらい、いくらでもする。
フウガはそう思う傍ら、悪魔の力の前では大してアリアの力になってやれない事に、もどかしい思いを感じていた。
「その苦しみを奪ってあげられたら良いんですが…、神が戻るまで、もう少し辛抱して下さい」
そう言葉にして、フウガはそんな自分自身に、少し驚いてもいた。
仕事であればするのが当たり前で、アリアが寝込むのも仕方ない事だ、少し前まではそれくらい当然のように思っていた筈なのに。
フウガは自身の胸に手を当てた。先程、ヤエサカとの会話の間でも、もやもやとしたものを感じていた。その時も、アリアの姿が頭にあった、自らを犠牲にしながらも自身の役割を全うしようとするアリアに、どうしてこんなに気分が晴れないのだろうか。アリアは、与えられた役割をこなしている、自分もそれに不満はない筈なのに。そもそも、仕事をする為に存在している自分が、何を思うところがあるというのか。
フウガは、小さく息を吐き、やがて考えるのを止めた。胸に渦巻く靄も、自分の気持ちも消化出来ていないが、今はこの答えよりも、考えなくてはならない事がある。フウガはアリアの様子を見ながらも、部屋の隅に置かれた木箱から、冊子を取り出した。
古びた紙の束を紐で綴じた物で、それはこの社の神様がつけていた日誌だという。フウガはページを捲り、それに目を通していく。神様の行方を探す手掛かりを見つける為だ。これくらいしか、今、フウガに出来る事はない。




