08 毛玉と拳銃
──それは一方的な虐殺に等しかった。
毛むくじゃらの獣は放たれた矢のような速さで村人の群れに突撃し、虎のような牙と、兎のような跳躍力、そして人間のような正確さで喉笛を噛みちぎっていった。
「70詛で新たに番犬を製造しましたが、村人たちを順調に狩ってくれているようですね。少しずつ呪詛Pが回収されていきます」
「やっぱりこの毛むくじゃら強いな」
かつて俺を苦しめた食材、もとい番犬は淡々と獲物の急所に噛み付き、対象が絶命するまで顎にチカラを込め続ける。
状況を理解し始めた村人が反撃をしても、喉を食い破られつつある村人が必死に抵抗しても、獣の肉体はビクともしない。
「俺の時もあんな感じだったのかな?」
「流石に彼らよりはマシでしたよ。アガタ様の場合は良質な武器がありましたが、村人たちの装備は良くてもクワですので。毛玉狼に対抗できる人間は少ないでしょう」
「あの生き物そういう名前なんだ」
毛むくじゃら改め、毛玉狼はその鋭い牙と殺意に満ちた身のこなしで村人を翻弄しているが、俺はどうにも今のスィンの言葉が引っかかった。
「ん? 待って。対抗できる人間が少ないってどういう事だ? あんな化け物に丸腰で勝てる人間なんか一人も居ないだろ」
「ええ、それに関しては……」
「──あっ、ジン君だ」
唐突に、イサナがぽつりと、沼タブの映像を眺めて呟いた。
「なに? 誰だって?」
「ジン君、巫女の幼馴染です。昔っから愚直な所があって、巫女のことを守る守るっていつも宣言していました。そのために熱心に修行なんかもしていましたね」
「そんな奴まで沼に叩き込んだのか? お前ほんとに凄いな……」
「お褒めに預かり光栄です! 私の信仰心はまだまだこんなものではありませんよ!」
何やら大喜びのイサナはさておき、ジン君とやらが気掛かりだ。
なにやら修行をしていたらしいが、流石に素手の村人に毛玉狼が負けるなんてこと……。
「あっ、まずいですね。毛玉狼が負傷しました」
「なんで!?」
大慌てでダンジョンの映像に視線を戻すと、そこでは案の定、ジンという青年が素手で毛玉狼を殴り飛ばしていた。
毛玉狼は床タイルをバウンドしながら弾き飛ばされ、壁に激突して吐血する。
ジンは尚も拳を構え、大声で何かを叫んでいる。
「なんだこの強すぎる人間……音声も拾ってみるか」
俺は沼タブのオプション画面から、音声の項目にチェックを付ける。端末の操作には慣れたものだ。
『──どうした! 掛かって来ないのか! イサナを洗脳して、次はこんな魔獣を仕掛けて、卑怯者め! 自分が出てきて戦え!』
「お、聞こえた」
「やっぱりジン君はうるさいなぁ〜」
幼馴染から心無い言葉を吐き捨てられているとは知らないジンは、怯える村人たちを背に、勇敢に毛玉狼に立ち向かう。
『ゴルルルッ!グガガァッ!』
手負いの毛玉狼は苦しげに咆哮すると、壁面を蹴って跳躍し、一瞬にしてジンとの距離を詰める。が……。
『遅いっ!』
ジンの人間離れした速度の横蹴りが突き刺さり、ベギベギと骨が粉砕する音を鳴らして数メートルはぶっ飛ばされる。
「あ〜!? 毛玉狼〜っ!」
「アガタ様、意外とあの番犬を気に入ってらっしゃるんですね」
スィンが理解に苦しんでそうな冷えた視線を向けてくる。
何回も殺された宿敵がこうも簡単にあしらわれると、不思議と悔しいものなんだ。
「どう致します? あと数匹ほど番犬を投入すれば勝てるかもしれませんが」
「駄目だ。これ以上は呪詛Pが赤字になる」
たしかコクレアの魔石コレクションを分解した時に1500詛ほど抽出できたのだが、色々と無駄に消費したせいか気付いたら残り650詛しか残ってない。
節約をしないと、またコクレアの私物を勝手に分解することになる。
「ホゴ村からの収入がもはや望めないとすると、新しい入口増設のために500詛は残しておきたいですね」
「それだけじゃない。今回みたいに強い獲物が掛かった時、簡単に始末できるようにポイントは多めに貯蓄しておきたいだろ」
「……やはり先々のことも考えると、ここでドカンと高価な魔獣を生産して、その子に処刑人をやって貰うというのが正解な気がします」
俺とスィンが二人して家計簿を付けるような気持ちでアレコレと悩んでいると、ふと気付く。俺たちが二人だけで相談していることに。
…………イサナが居ない。
「おい、嘘だろ、なんか静かだと思ってたら──」
『イ、イサナ! 良かった、また会えたな!』
『やあ、ジン君』
沼タブのスピーカーから、歓喜に叫ぶ青年の声と、素朴そうな村娘の声が響いてくる。
「あいつダンジョンに居るじゃないか!」
「どうやら沼に飛び込みましたね」
何を考えているんだ……!? 幼馴染の立場を利用しても、あの男を殺せるとは思えないが。
まさかジンの強さに惚れ直して裏切ったとかじゃないだろうな。
『ジン君、強くなったね』
『イサナ、一緒に村に帰ろう! 俺が君を、こんな牢獄から連れ出してあげるから!』
『そう、ありがとうジン君。じゃあ、一つだけ、お願いごとをしても良いかな?』
『あぁ! 何でも言ってくれ! そうか、今わかった! 君は悪い奴に脅されていたんだね! そして、そいつの監視を掻い潜って、俺に助けを求めに来たんだ! 大丈夫、俺なら君を助けられ──』
『死んで? ジン君』
──どぎゅ〜んっ! からん、から〜ん!
軽快に火薬が爆裂する音。金属製の弾頭が青年の胸を貫通して床に弾かれる音。
そして、役目を終えた薬莢が“拳銃”の側面から排出される音がする。
「……銃!?」
「拳銃ですね」
「あるんだ!?」
「ちゃっかりホゴ村の民家から盗んでいたのでしょう」
そういう話じゃないんだが、まぁいい。
イサナの放った銃弾は、正確すぎるほどにジンの心臓を直撃し、彼は絶望の言葉を発する事すら出来ずに崩れ落ち、事切れた。
『じゃあ残りの村人はみんな食い殺しちゃってよ、ワンちゃん♡』
『ゴルッ……! ガロロロロッ!』
イサナはひと仕事終えてサッパリとした顔で村人たちに背を向け、入れ替わるように、手負いの毛玉狼が村人に襲い掛かった。
「おぉ毛玉狼、まだ生きてたのか。流石だな」
「魔獣の強さを侮っていましたね。私たちの狩りの時は、高価な痺れ矢トラップで動きを止めてから確実にトドメを刺しましたが、真っ当に戦うとやはり強敵」
「こんなに優秀な番犬を朝メシにしたのか俺たちは。本当に勿体なかったな」
毛玉狼二号はズタボロになり口から血を流しながらも、懸命に村人を追いかけ回して首に噛み付いている。
そして一時間もしないうちに、五十人以上いた村人を殺し終え、力尽きるようにその場に座り込んだ。
【+35詛】
35詛。毛玉狼を生成するのに必要な呪詛Pの、ちょうど半分。つまりそれは、毛玉狼が死亡した時に回収できる呪詛Pの数値だ。
「……毛玉狼」
「強い子でしたね」
我が子の死。とまでは言わないが、それなりに愛着のあったペットが死んだ事実に深い悲しみが湧いてくる。
──この感情の百分の一でも村人たちに分けてあげられたら良かったのだが、生憎とあまりそういう気持ちにはなれなかった。
幼馴染でも平気で撃ち殺すサイコパスが味方に居るからだろうか?
「そういえばイサナはどうする? 出口の無いクソダンジョンに潜っちゃったけど」
「沼タブを操作すれば任意の対象を外に出すことが可能です」
そういえばそうだった。毛玉狼一号を狩った時も、その肉をコクレアに食わせるためにダンジョンから死骸を回収したんだった。
俺は沼タブに表示されているイサナをタップして脱出を選択する。それに呼応して、ファムドンナ沼の水面がボゴボゴと蠢き、沼からイサナが這い出してきた。
「巫女が只今戻りました! 沼神様!」
「お前はまず色々と言うことがあるだろ」
「はい! やけに強い幼馴染、しっかり殺っておきました!」
「違う、ホゴ村をめちゃくちゃにした事だ! お前のせいで、あの村への投資が無駄になった。村人が居ないんだからな、祈る者も、贄を捧げる者も居ないぞ」
確かに生け贄は欲しかったが、それは別に虫やら小動物で十分だった。なんなら祈りを込めた石ころとかでも最初は良かった。
まさか初っ端から人間捧げてくるなんて思わないだろう。たしかに大量に呪詛Pは回収できたが、それに掛かった費用を考えるとトントンだ。
そして追加収入はもう見込めない。詰みだ。
「本当にどうするんだ? お前のせいで詰んだぞ」
「み、巫女はただ、沼神様に仇なす逆賊を……!」
「おや、主に言い訳とは従者失格ですね。貴女はもはや巫女でもメイドでもありません。恥を知りなさい」
どの口が何を言っているのやら、上から目線で好き勝手に説教するスィンを追い払い、俺は震えるイサナの肩に手を置く。
彼女はびくりと身体を跳ねさせ、顔を俯かせながら、か細く声を漏らした。
「こ、ここで死んでお詫びします……」
「いや死ぬならダンジョンの中で死んでくれた方が利益になるんだけど、別に死ななくて良い。代わりにイサナにはやって欲しいことが──」
「何ッでもしますっ!!!」
返事が早くてデカい。本当に何でもやってくれそうで安心した。
「じゃあイサナ、お前、ちょっと都会まで布教活動に行ってくれ。沼の発展に役立つ獲物を釣ってくるまで帰るな」
「勿論です! 喜んで!」
とてつもなく大きな返事だった。
ジンくん…そんな……(涙
魔獣を圧倒できる腕っぷしも、銃の前では無力に等しく。幼馴染への熱い想いも、信仰の前では無意味なものです。
彼はあの一瞬で人生の全てを否定され、台無しにされたのでした。
ちなみにジンくん死亡時の回収ポイントは45詛でした。