スワンプ・スワップ
『──目覚めよ生命。我が沼より湧き出でよ。』
耳にへばりつくような声が聞こえる。
『──感情を形成し、自己を確立せよ。』
魂を捏ねくり回すような感覚に包まれる。
『──瞼を上げよ。新たな世界に定着せよ。』
言われた通りに、閉じた目を開く。
すると、そこには。
「実験成功! おはようございま〜す!」
パンパンッ! 小さな火薬の弾ける音、ご機嫌な拍手、そして笑顔で出迎えてくるローブ姿の長身女性がいた。
「……ここは?」
俺は周囲を見渡し、ここが全く見覚えのない、壁も床も木製で建てられた古びた小屋である事を認識する。
そして自分の記憶を遡り、この場所で目覚めた経緯を推察する……が、何も分からない。
その疑問には、俺の前で未だに手を叩いて歓喜に酔いしれている女性が答えてくれるようだった。
「キミは一度、死にました!」
「なるほど」
「そして私が蘇らせました!」
「ありがとうございました」
特に疑う理由も無かったので俺は頷いた。言われてみれば死んだような気もする。
あぁ思い出した。たしか最後の記憶では、俺は自宅に居て、そして、外は酷い土砂降りで落雷があった気がする。
「俺の死因って雷に打たれた事ですか?」
「知りません! ていうかキミは何処の誰ですか! 自己紹介をお願いします!」
「失礼しました……」
どうやら俺のことを知っていて蘇生させてくれた訳ではないらしい。実験とか言っていたし、きっと誰でも良かったのだろう。
偶然その実験体に俺を選んでくれた上、無事に生き返らせてくれた事に感謝しながら、俺は自分の胸に手を当て、落ち着いて口を開く。
「俺の名前はヒトカベアガタ。人の首に、山阿の阿、形態の形で、人首阿形です。年齢は二十二。性別は男。職業は強いて言うなら……多分、無職でした」
「情報が多い! もっと簡潔に!」
「別に多くはないですし、自己紹介で情報が多くて何が悪いんですか」
「簡潔に!」
「もう全部話しちゃいましたよ」
これよりも簡潔な自己紹介が思い付かない自分が悪いのか、それとも目の前の女性の知能がアレなのか。
しかし恩人には恩義で答えるべく、俺は頭を捻った。
「……好きな食べ物は生魚です」
「いいね! キミのことが分かってきた!」
「恐縮です」
指をパチンと鳴らし、彼女は取り出した紙切れに短くメモを取る。
恐らくだが、俺の好物以外の項目は一切書き留められていないと思われる。あと、いつの間にかタメ口を使われている。
「次は私の自己紹介かな?」
「そうだと助かります」
「まずは私が何者なのかキミの視点から推察してみてくれる?」
「そんな殺生な」
マリモ未満の対人経験と女性耐性を誇る自分には少々酷な作業だが、俺は真っ直ぐに彼女を観察して情報を集積する。
その外見は可愛らしく温厚そうだが、不思議と威圧感のある美人だ。
まず目を引くのは穏やかな翡翠色の毛髪。かなり伸ばし放題にされているものの、本人の長身細身の体躯と合わさってむしろシュッとした印象を受ける。
そう、次に特筆すべきは身長。とにかく胴と脚が長い。俺よりも10センチは高いのではなかろうか。数値にすると180後半は間違いないだろう。
腕や腰は折れそうなほど細く、華奢な印象は拭えないが、とにかく恵まれた体格と自信に満ちた表情からは相当の力強さも感じる。
他に言うことがあるとすれば、顔の作りがとにかく異彩だ。繊細な耽美さと、冷淡なまでの可憐さ、つまりは、ある種の造物的な美しさを想わせる。
それらの情報を総合すると……。
「モデルとかですか?」
「何かなソレ?」
「なんでもありません」
違ったようだ。じゃあもう分からない。早く答えを教えて欲しい。
そんな俺の願いが、あからさまな表情から通じたのか、彼女は平均よりはありそうな胸を張って、まつ毛の伸びた瞼を閉じて高らかに声を上げた。
「じゃあ答え合わせしよっか! 私の正体は“もでる”ではなく沼地のお姫様でした! このファムドンナ沼を統べる天才呪術師にして特A級思想犯! 高貴にして陳腐なるコクレア・ウリートリカとは私である! よしなに!」
「ちょっと情報が多くてよく分からないです」
「彼氏募集中!」
「今もっと分からなくなりました」
姫なの? 沼地とは? 犯罪者? そんなことを質問しても答えてくれる気配が無いので、俺はもっと直接的に、現状を理解できそうな質問をぶつける事にした。
「地球って知ってますか?」
「こう、丸いヤツだよね? 地属性の球体でさ、握り心地が好きかな私は」
「地球を知らない人ってそういう知ったかぶりをするんですね」
やはりここは地球ではない。もしくは地動説を知らないくらい未開の土地だ。
……なんで言語が通じてるんだ? いや、どうせ誰も答えてくれない事柄に疑問を持つのはやめよう。思考の無駄遣いだ。ただでさえ混乱してるのに。
「これだけは聞いておきたいんですが、なんで俺を生き返らせてくれたんですか?」
「実験の為だけど? 私、ちょっと滅ぼしたい国があって。その前準備にキミが必要なんだ」
「そうですか。これだけは聞かなきゃ良かったです」
面倒臭いことに巻き込まれそうだ。
「じゃあ手伝ってくれるね? 取り敢えず、キミには沼の管理とかをやって貰うから。断ったら沼に沈めて混ぜ込むからね」
面倒臭いことを任されたようだ。
おまけ
コクレア・ウリートリカのご尊顔