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六話

お姉さまがいつも付けているオレンジのようなすっきりとした香水の匂いがふわりと一瞬強くなった。

そう感じた瞬間、私の手が少し体温の低いお姉さまの手に包まれていた。


落ち着かなきゃいけないって思っていたのに、顔を上げて優しくしてくれるお姉さまの顔を見ると、また涙を止めることができなくなってしまった。昨日の夜聞いてしまったことが、頭の中に再びよみがえってきた。


お姉さまがくれたハンカチをぎゅっと目に当てていると、横から心配そうな声で「立てる?」とお姉さまが聞いてくれた。

首をブンブンと縦に振ると、お姉さまは私の背にそっと手を当て、こう言ってくれた。


「何が理由かは分からないけど、それでは午後の授業を受けるのは難しいでしょう。歩けそうなら医務室に行きましょう」


確かに午前の授業もあのことばかりを考えてしまって、先生の話が全く頭に入ってこなかった。私はもう一度首を縦に振ることで、お姉さまに医務室に行きますと伝えた。



お姉さまに支えられて私は初めて医務室にやってきた。部屋にいた先生にお姉さまがてきぱきと私がここに来た理由を伝えてくれていた。


医務室の先生に言われた通りにベッドで横になっていると、カーテンの向こうでお姉さまが私に付き添うために授業に遅れても構わないかを先生に聞いてくれていた。その優しさに再び溢れてきた涙を、私は掛け布団にぐりぐりと顔を押し付けることで拭った。


「ロゼッタ嬢は妹思いだな。君なら一回ぐらい授業を抜けたところでそう影響はないだろう。いいですよ、妹さんに付いていてあげなさい。

私は君とフェリア嬢の欠席を担当教師に伝えに行くよ。しばらく部屋を離れるが、フェリア嬢のことは任せても構わないかな?」


「はい、先生。お手数をおかけいたしますがお願いいたします。妹は私が見ておきます」


「うん、じゃあ頼むよ。もし他の生徒が来たらしばらく待つようにだけ伝えてくれ」


「はい、分かりました」



バタンと医務室の先生が部屋を出ていく音がした後に、お姉さまがカーテンを開けてベッドの横のイスに座ってくれた。


「調子はどう?少しは落ち着けたかしら?」


「お、お姉さま……授業があったのに、ここに残ってくれてありがとうございますっ」


「私のことはいいのよ。ああ、また目元を擦ったのね。赤くなってるわ」


私の目を見てそう言ってくれるお姉さまの顔を見ながら、私はどうするべきなのかを必死に考えていた。自分に何かができればよかった。でも私が考えたところで、どうしていいかが全く分からなかった。


こんな話をお姉さまに聞かせたくはない。けれど馬鹿な私では何もできそうになかった。


悔しさに新しい涙をにじませながら、私は意を決してお姉さまに『あのこと』を話すことにした。



「お姉さま、こんなことをお姉さまに聞かせたくないのですが、私っ、私どうしたらいいのかが分からないんです。

何もできなくてごめんなさい。こんなことをお姉さまご本人に言うことしかできなくてごめんなさい」


そう謝りながら、私は昨日の夜聞いてしまった話をお姉さまに話し始めた。




昨日私はお姉さまからの課題を終えた後に、少しお腹が空いたので深夜にこっそりとキッチンに行った。前にお姉さまが教えてくれた料理長のお菓子を少しいただきに行ったのだ。


深夜のお屋敷はお昼間とは違って、何だか秘密基地みたいでワクワクした。そんな馬鹿なことを考えていた私は、真っ直ぐ部屋に戻らず、そろそろと屋敷を探検しながら遠回りをして部屋に帰ることにした。


しんとした廊下を歩いていると、一つの部屋からうっすらと明かりが漏れていた。そこはお父さまとお母さまのお部屋だった。

二人に起きていることがバレないようにそーっと横を通り過ぎようとしたそのとき、二人の部屋の中から声が聞こえてきた。


「ねぇあなた、いつになったらあの娘から相続権を取り上げてくれるの?もうすぐあの子も学園を卒業して、正式に成人として扱われるようになるわ」


「そうだな、そろそろ頃合いだな。ロゼッタには相続を放棄するよう役所に届けさせようか」


「あの強情な娘が素直に応じるかしら?」


「何、断るなら執事長と料理長の息子たちの雇用を切るとちらつかせればいいさ。さすがに父親たちは地位が既にあったので首にはできなかったが、あんな若造たちなら何かしら理由を付けて首にできる」


「そんなことで大丈夫かしら」


「問題ないさ。あの子の唯一の味方を見捨てられはしないさ」



聞こえてきた両親の言葉に、私はその場に凍りついてしまった。

両親がお姉さまに相続権を放棄させる、つまりこの家を継がないとさせる理由。それは考えるまでもなく私だった。彼らは私を跡継ぎにさせるために、あんなことをしようとしているのだ。


足に力が入らなくなり、倒れそうになりながらも何とか自分の部屋まで戻った。頭の中はいっぱいだったが、貰ってきたフィナンシェも食べておかなければ明日侍女に見つかるとうるさいと思ったため、とりあえずそれを機械的に口に入れた。


バターのいい香りがするのに、すごくおいしいのに涙がとめどなくポロポロと出てきた。

自分のせいで両親がお姉さまにとんでもないことをしてしまう。お姉さまは何も悪くないのに、またああして両親に嫌なことをされてしまう。強くて、優しいお姉さまはきっと両親のあのひどい提案を受け入れてしまう。


どうすればこんなひどいことを回避できるか懸命に考えた。両親は私がどんなに頼み込んでも『これは可愛い貴女のためなのよ』と言って意見を変えることはないだろう。

そのためそれ以外の案を必死に考えたが、両親を説得できる案は浮かんでこなかった。私は家を継ぐのは一番歳上の子供であると決まっていることは知っていたが、相続についてそれ以外のことは何も知らなかった。知識のない私の頭をどれだけ動かしても、浮かんでくる案など何もなかった。


何もできない情けない私は、ただグズグズと部屋の中で一人泣くことしかできなかった。

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