三話
「それがずっと怖かったんです」
そう言ってポロポロと涙を流す妹を私は驚きと共に見つめていた。
私から見たフェリアはいつだって両親に、屋敷の人たちに大事にされ、何でも与えられ、どんなワガママでも何でも許される存在だった。彼女もそれに答えるように自由に振る舞っていて、その生活は不安など何もない、幸せに満ちているのだと思っていた。
それは私が幼い頃に諦めた、どう足掻いても手に入らない『愛される』という立場なんだと思っていた。
けれど、今目の前にいるフェリアは自分は可愛いだけの空っぽの人形のようだと泣いていた。勉学を許されないこと、間違いを叱責されないことを怖いと泣いていた。
なんと傲慢なと思う心も確かにあった。私が欲しくても手に入れられなかったものをあんなに持っているのに、さらに欲しがるのかと醜くも嫉妬を感じている自分がいた。
けれど、それと同時にその不安や恐怖がよく理解できる自分もいた。
相手が求める理想像を勝手に投影され、その本体である本当の私が何を感じ、どう思っているかを見てもらえない怖さ。『本当の自分』を認められない辛さ。
それは私もよく知っている感情だった。
私が厳しく躾けられ、勉学も叩き込まれているのには訳があった。それは父や義母に嫌がらせとして強いられているからでもなく、ましてや自ら望んでやっているからでもなかった。
私が膨大な努力を強いられ、『優等生のロゼッタ』でいる理由。それは私の母方の祖母にあった。
祖母は優秀であった私の母にとても誇りを持っていた。祖母の期待に応え、学園でも優秀な成績を残した母は、祖母の自慢の娘であった。
そんな娘が結婚をし、子供を産み、娘に似た孫娘を可愛がる。幸せに過ごしていた祖母だが、その幸せはある日急に断たれることとなった。
祖母の幸福の源であった母が事故で死んだのだ。
祖母はそれは深く悲しんだ。母親をなくした子供である私が心配するほど憔悴していた。しかし祖父と私が寄り添うことで時間と共に徐々に笑顔も見せるようになっていった。
母の死を緩やかに乗り越えるはずであった祖母だが、その道は途中で途絶えることとなった。
その理由となったのが、義母とフェリアだった。
母の死から一年後、父は義母と私と一つしか年の変わらないフェリアを連れてきた。母の存命中に産まれていた異母妹と、政略結婚の母とは違い父が明らかに大事に扱う義母。彼女たちを見て祖母は怒り狂った。
もちろん彼女たちに直接その怒りを向けることもあった。しかしそれだけでは収まりきらず、その怒りは形を変えて私にも向けられることとなった。
『お前は母に似て聡明なのよ。そう、そうでなければいけないわ。絶対にそうよ。あんな下品な女たちに絶対お前が、私の娘が劣るはずがないわ』
祖母はまるで呪詛のように私に繰り返しそう言い聞かせてきた。
そしてその言葉を現実とするため、私の側に自らが選んだ監視役の侍女を置き、年齢にそぐわない家庭教師をたくさん付け、私を『自慢の娘と同じ優秀な孫娘』にしようとしてきたのだ。
私にも昔は年相応に遊びたい気持ちがあった。父や祖父母に甘えたかった。少しぐらいのワガママを許されたかった。
けれど祖母は決してそれを許してはくれなかった。遊ぶ時間などほとんどなく、日々祖母の選んだ厳しい家庭教師と勉強漬けの日々となった。
元より政略結婚の相手との間の娘である私にそれほどの興味がなかった父は、私の教育費用が浮くとばかりにそれを容認、いやむしろ歓迎していた。義母は机に縛り付けられている私をときおり睨むことはあっても口を出してくることはなかった。
『自慢の娘が産んだ、娘と同じように優等な孫娘』であることだけを求められる寂しさ。
母よりも優秀な成績を修めても褒められることも認められることもなく、「あんな顔だけの女が私の娘に勝るはずがないのよ」と祖母の義母への対抗心のためだけに更なる努力を強要される悲しさ。
本当の私を少しも見てもらえない怖さ。
私たち姉妹の立場は全く違う。けれど自分という意思を持つ一人の人間を見てもらえない悲しさ、寂しさは似ているのではないかと、そのとき私はふと思った。
だからなのかもしれない。
その理由が同情なのか、同族意識なのか確かなことは分からなかった。
けれども、私は気付けばフェリアにこう言っていた。
「昼休み、30分だけならいいわよ」
「ほえっ?」
貴族令嬢とは思えない奇声と間抜けな表情を向けてくるフェリアに私はこう言葉を重ねた。
「勉強、学園の休み時間なら少しぐらい見てあげてもいいわよ」