二話
「わ、私、どうしても学園の教本が欲しかったんです!!」
思いきってそう叫ぶと、目の前にいたお姉さまはポカンとした表情をした。
それはそうだろう。夜中に勝手に部屋に忍び込んだ仲のよくない母親が違う妹がそんなことを言えば、あの頭のいいお姉さまだってきっとびっくりするだろう。
しかし私にはもうこれしか手段がなかった。だから私はお姉さまにもっと嫌われる覚悟でこう言葉を続けた。
「馬鹿が勉強しても知れてるのは分かってます。けど、私ちゃんと勉強をしたいんですっ。
で、でもお母さまたちは私には必要ないってさせてくれないんです。そんなことより美しく着飾ることを覚えなさいとか言って認めてくれないんです。
私馬鹿だけど、でも勉強しないと馬鹿なままなのは分かります。けれど教本すら学校から帰ると取り上げられちゃうんです。
だからお姉さまのお部屋なら、去年お姉さまが使ってた本があるかもしれないって思ってここに勝手に入りました。お姉さまの本を勝手に借りるつもりでした!本当にごめんなさい!!」
そこまで言い切ると、私はお姉さまの返事も待たずがばりと頭を下げた。すごく怒られるとばかり思っていたのに、お姉さまは私に何も言ってこなかった。
二十秒ぐらい頭を下げたままにしていたけど、それでもお姉さまからの反応がなかった。なので私はそろそろと頭を上げてお姉さまの様子をうかがった。
目の前に立っていたお姉さまはどこか不機嫌そうな顔をしていた。自分の部屋に夜中に忍び込んだ人間がいたのだから、そうなるのは当然だと思った。
お返事がもらえるまで緊張しながらチラチラとお姉さまの様子を見ていると、しばらく考えるような仕草をされた後にお姉さまはこうおっしゃった。
「……貴女、勉強がしたいの?」
返事がもらえたことにホッとした私は、お姉さまの質問にしっかりと答えた。
「はい、したいです」
「貴女、勉強が苦手だからしてないんじゃないの?」
「苦手ですが、苦手なままではよくないと思っています。けど勉強する方法が分からなくて、せめて教本があればって思ったんです」
「だから教本欲しさに私の部屋に侵入したと」
「うう、本当にごめんなさい!」
再び頭を下げると、お姉さまは額に手を当てて考え込むポーズをされた。ああ、私の言うことが無茶苦茶すぎてきっと呆れられているんだわ。そう思っているとお姉さまがお部屋にあるソファセットを指差してこうおっしゃった。
「とりあえず詳しい話を聞くわ。フェリア、そこに座りなさい」
お姉さまは私にソファをすすめてくれた上に、お部屋に持ってきていたミルクティを備え付けのカップに注いでくれて半分こをしてくれた。ミルクたっぷりのミルクティも、一緒に出してくれたサクサクのクッキーも美味しくて、私は怒られている立場にも関わらず「美味しいです、お姉さま!」と思わず笑顔で伝えてしまった。
気分を悪くされたかもしれないのに、お姉さまは「そう」とだけ静かに答えてくれた。
お茶とお菓子をいただいた後に、私はお姉さまに促されてお姉さまのお部屋に侵入した理由を詳しく話し出した。
「私も学園に入るまでは勉強なんてしなくていいっていうお父さまとお母さまの言葉を信じていました。お茶会に出ても皆にこやかにお話してくれるし、私には必要ないって思ってたんです。
けど学園に入学すると、順位とか点数とかはっきりしたもので自分がどれだけできていないかを思い知らされました。同い年の皆はもっとしっかりしてて、私みたいに物を知らないのにのんきにしてる子なんていませんでした。
そこで不安になってお母さまに相談しました。でもお母さまは『可愛い貴女には不要よ』と言うばかりで取り合ってくれませんでした。
でも学園で生活していればそれが本当に要らないものじゃないことぐらいは分かりました。焦って何度もお母さまにお願いしました。けれど言えば言うほどお母さまは機嫌を悪くして、最後には家では教本すら取り上げられてしまうようになってしまいました。
でも諦めきれなくて、ぐるぐる考えていたときに、つい優秀なお姉さまなら一学年下の教本なんて使ってないんじゃないかって思ってしまったんです。
無断で他人の物を持ち出すのは悪いことです。分かっていました。けど、他にいい方法が思い付かなくて……って言い訳ですね。
お姉さま、本当にごめんなさい」
そこまで言うと私は改めてお姉さまに大きく頭を下げた。
お姉さまはそんな私をしばらく無言で見つめた後、こんな言葉をかけてくれた。
「貴女の事情は分かったわ。でもどういう理由があれど、悪いと思っていたなら尚更私の部屋に勝手に入るべきではなかったわね、フェリア。反省なさい。
まぁ私たちの関係性からすると難しかったでしょうが、貴女は事前に私に相談すべきだったと思うわ。私はきちんとした理由があれば貴女の相談を無下には断らないわ」
お姉さまの言葉を聞いて、私は再びぼろぼろと泣き出してしまった。抑えないとと思ったけど涙が止まらなかった。
そんな私を見てお姉さまが「これぐらいで泣かないでくれる?」と呆れたように言っていた。けれど、涙を止めることはできなかった。
だって、私は嬉しかったのだ。
嬉しくて、信じられなくて、ついつい涙を流してしまったのだ。
すんすんと鼻を鳴らしながらも、私はお姉さまにこう伝えた。
「お姉さまは私の悪いところをちゃんと悪いって叱ってくださるんですね。
私、お父さまもお母さまも私が何を言ってもニコニコと叱ってくれないことがずっと不安だったんです。
赤点を取ったって言っても、とんでもなく高いものを意味もなくねだっても、誰も私を叱ってくれないの、怖かったんです。
だって、叱ってくれないって私が間違ったままでいいって思われてるってことですよね?ダメなままでいいって思われてるってことですよね?
私が何をしても『貴女は可愛くあればいいの』としか言われないんです。私はそんなこと望んでない、ううん、むしろそんな人間になりたくないんです。
でも皆可愛いだけのお人形のように空っぽの私を望んでいるんです。変わろうとすら、させてくれなかったんです。
それがずっと怖かったんです」
こんなこと聞かされてもお姉さまは困るだけだとは理解していた。けれど、私は泣きながらずっと心にあった不安をつい吐き出してしまっていた。