一話
アンブルジア伯爵家の姉妹はどちらも父親の髪と瞳の色を受け継いでいる。柔らかな茶色の髪にブルーの瞳を持っている。
しかし二人が似ているかというと、それは全くそうではなかった。むしろ彼女たちは正反対であった。
姉ロゼッタは伯爵の前妻の娘で、優秀と名高かった彼女の母親に似て非常に教養高い女性であった。貴族が通う学園では常に首席で、今年の最優秀卒業生は彼女だと言われている。
勉学が得意な一方、ロゼッタは社交的とは言い難い性格をしていた。それもあってか父親の後妻とはそりが合わないようで、家では虐待されているとまでは言わないが冷遇されていた。
必要なものは最低限与えられる。食事も家族と同じものを食べる。しかしその場で賑やかに語らわれる団欒にロゼッタが招かれることはなかった。
ロゼッタはただただ父親と義母と義妹が楽しく食事をしているのを離れた席から無言で見守るだけだった。
妹フェリアは伯爵の後妻の娘で、白百合によく例えられていた母親の美貌を受け継いだ華やかな娘であった。学園でも多くの男子生徒が彼女の美しさに見とれ、学年末にあるダンスパーティーでは彼女にエスコートを申し込む男子生徒が後を絶たなかった。
そんな美しいフェリアだが、教養はからっきしであった。彼女は幼い頃から両親にたっぷりと愛され、蝶よ花よと育てられてきた。少しでも苦手なこと、やりたくないことがあれば「器量のいい貴女にはこんなもの不要よ」という言葉で許され、甘やかされて育ってきた。
そのためフェリアはよく言えば人懐っこく、社交的で天真爛漫、悪く言えば少し幼稚でワガママと周囲からは見られていた。
そんな二人であったため、同じ家に住み、同じ学園に一学年差で通っているがお互い会話をすることはほぼなかった。
色彩だけは似ているが、その実はまるで他人のような姉妹、それがロゼッタとフェリアだった。
「お父さまったらひどーい!フェリア、これでも一生懸命頑張ったのよ?」
食卓の席にいつもの聞くに耐えない舌ったらずな発音が響いていた。
漏れ聞こえてくる会話を聞くに、フェリアがまた赤点を取ったようだった。それにも関わらず、三人の会話はそのトーンを落とすことなく楽しげに続いていた。
「すまんなフェリア、お前のがんばりはきちんと認めているよ。何、テストの点など社交界には関係ないさ。お前がにこりと可愛く微笑めば全て解決するよ」
「そうよ、淑女に必要なのは無愛想なガリ勉なんかじゃないわ。貴女のような誰からも愛される愛らしさよ」
低俗な会話をしつつ、私に当て擦るのも忘れない。ご苦労なことだわと思いながら、私は音も立てずカトラリーを置き、静かに夕食の席を立った。
今更あんな会話一つに傷付きなどしないが、面倒なのには変わりがなかった。いい加減自室で食べさせてもらいたいが、私に仲の良さを見せつけたい義母がそれを許してくれなかった。
義母は「家族なんですもの、食卓は共に囲みましょう?」なんて白々しいセリフを吐き、私を必ずダイニングに来るようにさせるのだった。それを断ろうものなら父に「あの女に似て冷血な娘だ!」とひどく罵倒された。
ならばあの私をただ無視する食卓のどこに温かさがあるのかと問うてやりたいが、それをしても激昂されるだけなのは目に見えていた。
そのため諦めて毎日この意味のない家族ごっこに付き合っていた。
ストレスしかたまらない夕食を終え自室に戻ると、そこで私を待っていた専属侍女が今日のこれからの勉強スケジュールを無機質に告げた。今日もベッドに入れるのは日付を越えてからになりそうだ。そう思いながら私は机についた。
結局今日のノルマを終え、身支度をすませて監視のようについていた侍女が下がったのはやはり日付を越える辺りだった。
いつもなら大人しくベッドに入るのだがその日は妙に目が冴えていた。そのため、私はそっと部屋を抜け出し、キッチンへと向かうことにした。
この屋敷の使用人は基本的に義母の手下だった。彼らは私の味方にはなってくれない。
しかし代々我が家に仕えてくれている家系の出である執事長と料理長だけは首を切ることができなかったのか、彼らだけは母が存命の頃から仕えてくれていた。
そんな彼らはこの屋敷で唯一私を冷遇しない人たちだった。
そのためキッチンは私がたまに息抜きで忍び込む場所の一つであった。この時間では料理長ももう休んでいるだろうが、彼はこうして深夜に息抜きに現れる私のためにいつも日持ちする焼き菓子を戸棚に隠してくれていた。
こんな時間だが、今日は何だか疲れていたのでミルクティーでもたっぷりいれて、自室でこっそり深夜の間食をしよう。そう思った私は勝手知ったるキッチンでミルクを温め始めた。
湯気を立てる大きめのマグカップとクッキーの入った小さなかごを持って私は人気のない深夜の廊下を歩いていた。夜の屋敷は皆に平等に静かで暗く、昼間よりも何だか私は好きであった。
階段を上がり、自室に入ろうとしたそのとき、自室のドアが少し開いていて、そこから薄い明かりが漏れていることに気がついた。ガサゴソと何かを探すような音も静かな廊下に伝わってきていた。
今までも自室から物が失せることは何度かあった。きっとこうして誰かが人の部屋に勝手に入り込んで部屋を漁っていたのだろうとは思っていたが、現場に居合わせるのはこれが初めてだった。
どうせ義母にでも指示された使用人の仕業だろうが、私がその人を現行犯で突き出したところで、また義母に『使用人に濡れ衣を被せ、家の調和を乱す』などと騒がれ、結局私が悪者にされるだけだろう。
できるならば見て見ぬふりをしてしまいたかったが、自室を通らなければ寝室には戻れない。
そのため、私はため息を吐いてから、わざと音を立てて自室のドアを開けた。
ドアが開く音に気付いたのか、侵入者は驚き、怯えた顔でこちらを振り返った。
てっきり態度の悪いメイドのうちの誰かだろうと思っていたのだが、そこにいたのは予想外の人物だった。
そこにいた侵入者は、異母妹のフェリアだった。
なぜ彼女がここに、と思いながらも彼女が漁っていたものに目をやった。そこには今日終わらせたばかりの課題や、参考書や教本が乱雑に積まれていた。
「ち、違うのお姉さま!これは、これには理由があって……!」
いつもの耳に障る甲高い声できゃんきゃん騒ぐ女を無視して、私はまずは手に持っていたカップとかごをテーブルに置いた。この女のためにミルクティーとせっかくの料理長のクッキーをダメにするなんて勿体ないことはできなかったからだ。
しかし落ち着いた行動とは裏腹に、腸が煮えくり返るとはこのことか、というぐらい腹は立っていた。初めて知ったが、どうやら私は怒りが度を超えると却って冷静になるタイプのようだった。
荷物を置いてから、これほどの憎々しい感情を持っていてさえ美しく見える女を静かに見据えた。未だもごもごと何か言い訳を言おうとする女に私は怒りを隠さぬままこう告げた。
「教本や参考書を奪って、私から勉学さえ取り上げるようお前の母に言われたの?私の唯一の取り柄さえ奪って、仲良し家族皆で私を嘲り笑うつもりだったのかしら?」
目の前の女は私の言葉に目をこぼれんばかりに見開き、驚いた様子を見せていた。これが演技でできていたならこの子の評価をただの馬鹿から少し上げなければならないわねと私が思っていると、フェリアは目からぽたぽたと涙を流し始めた。
名女優は泣き落としもお手のものか、と思いながら冷え冷えとした視線を送っていると、フェリアは私に泣きながらこう言ってきた。
「ぐすっ……ご、ごめんなさいお姉さまぁ。わ、私っ、こんなことをしてっ、ひぐっ、いけないことは、分かっていたんですぅっ。
で、でも、わたしっ、どうしても、どうしても欲しかったんです」
鼻水まで出さん勢いで泣きじゃくりながらではあったが、フェリアは私の目をしっかりと見つめてきた。いつぶりか思い出せないぐらい久しぶりに、半分血を分けた妹と同じ色の瞳を真っ直ぐに合わせた。
しばらくそうして無言のにらみ合いのようなものをした。
その後に彼女が覚悟を決めたようにして言った言葉は、私が全く予想していなかったものだった。
「わ、私、どうしても学園の教本が欲しかったんです!!」