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もうひとつの仕事

 午後8時。

 結局店の片付けは終わらないまま閉店時間を迎えてしまった。

 よくよく本棚を確認してみるとほとんどまともな順番には並んでいなく、結局床に積み重なった本だけではなく本棚にある本も整理が必要になってしまったのだ。


 今朝冬夜が話していた通り、今日店にきたお客はたったの2人で、そのうちの1人は何も買わずに帰ってしまった。

 採算度外視で店をやっているとは言っていたものの、やはり実際に全く売れない光景を目にすると廉は少し不安になる。

 しかし店主である冬夜本人は全く気にしていないのか、7時を過ぎてからはネットでピザのメニューとにらめっこをしていた。


「さて! あと30分もしないうちに我が家にピザが届くからね! さっさと帰ろう子鹿君!」


 廉の背中をバシバシと叩くとあっという間に冬夜は照明を消し、店の外に出る。いきなり店内が暗くなったことに少し驚きながら廉も後に続いた。


「タクシーがそろそろ⋯⋯っとあれかな!」


 数メートル先からこちらへ向かう一台の黄色いタクシーが見えた。

 無邪気にタクシーに手を振る28歳を横目に廉はぼんやりと今日のことを振り返っていた。


 今朝店内の様子を見た時には、今日は一日中本の整理で終わるのかと思っていたが、意外にもレジの使い方や締め作業なども教えてもらっていた。

 なんでも別の仕事の方で近々店を空けるかもしれないとのことで、早めに一通りの作業は教えておきたかったのだという。

 正直締め作業に関してはまだ一人でこなすのには不安な部分があるものの、あと2回くらいやれば問題ないだろうと廉は考えていた。


 冬夜はタクシーに乗り行き先を告げるとスマホを取り出し誰かに電話をし始める。



「あっリロイー? これからちょっと頼みたいことがあるんだけどー⋯⋯えっ? 何? ⋯⋯まあそんなこと言わずに君だけが頼りなんだからー本当に本当に君にしか頼めなくて困り果てているんだ」

 この人他の人にもこんな感じなのか。

 

「本当!? ありがとう! 感謝するよ! 実は澪理ちゃんからの頼みなんだけど、ちょっと張り込んでほしいらしくてさ。局長の娘に恩を売っておくのも悪くないだろう? それじゃあ詳細はメールで! アデュー」


「別の仕事ですか?」


「うん」


 食い気味な上にやけにあっさりとした返事に廉は少しだけ聞くのを迷ったものの、質問を続けることにした。


「冬夜さんって何の仕事をしてるんですか?」

 

 一瞬。

 会話は途切れ、わずかに空気が変わるのを感じた。

 

 まずいことを聞いてしまったのだろうか。廉は瞬時にそう思った。

 確かに思い返してみれば、今日一日の中で別の仕事について話すタイミングはいくらでもあったはずだ。あえて話さなかったのだとすれば、やはりあまり聞かれたくないことなのだろう。


 しかし後悔をしながら何か言おうと焦っている廉とは裏腹に冬夜はケロッとした表情で答えた。

「万屋だよ。ヨーローズーヤ! いけてるだろう?」


 ふふっと満足げに笑う冬夜を見て廉は少し安心した。

 しかし冬夜が口にした万屋という職業について、廉はあまり知識を持ち合わせていなかった。そういう職業があるのは知っていたが、周りでは見たことがないしいまいちピンとこない。


「万屋って何でも屋みたいな感じですよね?」


「そうそう! お金さえもらえれば何でもあれーな仕事だよ」


「何でもって何でも⋯⋯?」


「うん、何でも。悪そうでいけてるでしょ?」


 再び満足げに笑う冬夜。


 一瞬お金さえ払えばどんなに非道なこともやってのけるのかと思ったが、どうやらただ単に廉をからかっているらしい。

 

「それはよくわからないです」


 そう廉が答えると、冬夜はははっと楽しそうな声をあげた。


 結局万屋のイメージはあまり掴めなかったものの、何だかよくわからない仕事をしているのもこの人らしいな、と思い廉はふと窓の外を見た。

 

 空はすっかり暗くなったものの、街には人が溢れビルの明かりやネオンの看板がいたるところで光っている。土曜日の夜8時過ぎ。皆これからが本番といったところだろうか。若者や中年グループが皆楽しそうな顔をして街を歩いている。

 廉の地元では夜になると人出は少なくなり、元々そう騒がしくもない街がさらに静けさを増していたが、ここは日中よりもどこか活気付いた雰囲気さえ感じられる。


 人通りの多い通りを抜けると、一気に高級住宅街のようなひっそりとした通りに入った。

 廉はよくこの辺りで友人と遊んでいたが、この通りは初めて通る道だ。


 廉がぼうっと外の景色を眺めているうちに目的地に着いたのか、タクシーが停車した。


 そそくさと支払いを済ませた冬夜に向かってお礼を言うと、廉は目の前のマンションを見上げる。

 コンクリート打ちっ放しの洗練されたマンションは、まさに都会の大人のための住処と言えるようなものだった。


「いい感じでしょ? さ、こっちこっち」


 手招きしながら冬夜はエントランスに向かう。入り口で指紋認証を済ませると、エレベーターへと進んでいった。

 

 うちとは大違いだな、と感心しながら廉も後に続きエレベーターへと乗り込む。

 

 3階へ到着すると、エレベーターから降りて左手へ進み、2つめのドアの前で冬夜は止まった。

 ドアの横には指紋認証装置と番号パネルが設置されている。勿論ドアに備え付けの鍵もあるのでセキュリティは万全といったところだろう。


 指紋認証、暗証番号の入力、そして鍵の施錠まで慣れた手つきで行うと冬夜は恭しくドアを開けて見せた。


「さ、子鹿君。わが城へようこそ」


 会って間もない人の自宅へ上がることに少し緊張しながら、廉は冬夜の自宅へ上がり込む。

 マンションにしては少し長めの廊下には左右と正面合わせて4つの扉があった。


「正面の扉がリビングだから」


 そう言われ正面の扉を開けるとシンプルで洗練された広々とした空間が姿を現した。


 部屋の中央には濃いグレーのゆったりとした高級そうなソファが置かれ、目の前には低いガラスのテーブルが置かれている。

 部屋の右側にはやや広めのキッチンがあり、作業台の反対側には背の高い椅子が3つ並べられている。まるでバーの様な雰囲気だ。


 想像以上におしゃれな雰囲気に圧倒されていたものの、廉はふとあることを思い出す。


 でも冬夜さんって整理整頓できない人だよな⋯⋯。


 しかし目の前に広がる空間は、整理整頓のできない人間が住んでいるとは思えない光景だ。


「冬夜さん部屋は綺麗なんですね」


「10日1回くらいの頻度で清掃に来てもらってるからね。まあここはそんなに物も多くないし、散らかるっていってもクローゼットのある部屋くらいだけど」


 さぁ座って座ってと言いながら冬夜は廉をソファへ促すと、そのままキッチンへ行き飲み物を準備し始めた。


 廉が何気無く窓の外を見ると、そこには中庭の様な景色が広がっていた。部屋の明かりが窓に反射して見えづらいものの、中央には噴水が置かれている。まるでちょっとしたリゾートホテルの様だ。


「ピザと一緒にコーラ頼んだからひとまずお茶でも飲んでておくれ」


 そう言うと僕にお茶の入ったグラスを渡す。


「てかコーラ飲めるよね?」


「はい」


 そう廉が答えると冬夜は良かったーと呟きビールを飲んだ。

 1日中ほとんど読書しかしていなかった割に、まるで重労働後の一杯のような飲みっぷりだ。


 それから10分もしないうちにインターフォンが鳴ると、注文していたピザが家に届いた。



「ピザってさ、何でこんなにも人をハッピーにさせるんだろうね。箱を開けた瞬間目に入る艶やかなチーズのビジュアルなんてもう美しいの一言だよ」


 どうやらピザが好物なのか、冬夜はいつになくテンションの高い声で語っている。確かにそう言われてみれば、大きなピザ生地一面に広がるとろけたチーズは艶やかに輝いており、美しいと言えなくもない。

 細身な冬夜がピザをこんなに好きだなんて意外だな、と思いつつ廉はピザに手を伸ばす。


「冬夜さんっていつから店をやってるんですか?」


 廉は今日1日古書店で働いてみて、店内の状態に関してはひどいありさまだったものの、店の作り自体は比較的綺麗で新しそうだなと思っていた。


「ちょうど去年の9月ごろかな。1年ちょっと前にまとまったお金が入ってね。それでせっかくならオープンしちゃおうと思ってさ」


 後先考えずに開いちゃったんだよねーとヘラヘラと笑いながら言う冬夜。


「利益の算段もついてないし、片付けもできないのにその判断はある意味すごいっていうかなんて言うか」


「おや、もしかして褒められてる?」


 どうしてそうなるんだ。

 心の中で冬夜にツッコミを入れると廉はコーラを手に取った。


「でもさー、こういうのはタイミングだから。いけるって思った時に進まないと、欲しいものなんてぜーんぶ掴めないままなんだよ。わかるかい? 子鹿君」


 相変わらずヘラヘラとした口調だったが、どこか説得力のある言葉だ。

 珍しくまともなことを言うんだな、と廉が少し感心していると


「ね、なんか今の発言さ、経験豊富な大人からのアドバイスって感じだったよね? かっこよかったでしょ? でしょ?」


 といつもの調子で冬夜は廉に同意を求める。


 その様子を見て、廉は密かにさっき感心したことを後悔するのだった。


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