怪しい古書店
「気になるかい? 青年」
声の主の方向に顔を向けると、椅子に座った男がサングラスを外し僕を見つめていた。
20代後半といったところだろうか。中性的で整った顔立ちのその男はどこか人を惹きつける艶やかな雰囲気を醸し出している。
その独特の雰囲気に飲み込まれる様にその場に立ち尽くしていると、男はさらに続けた。
「それともただ見てただけ?」
男の声にハッとすると廉は慌てて喋り出した。
「丁度バイトを探していたので、ちょっと気になるなーなんて⋯⋯」
はははと誤魔化す様に笑う廉を見て男はニコリと笑う。
「うん、決まり! 採用ね」
「は?」
「早いとこ人を見つけたかったんだけど、ほらこの辺りってそこまで人が多くないから全然希望者が見つからなくてね。途方に暮れながら本を片手にティータイムをしていたらこんな誠実そうな青年がやってきてバイトをしたいだなんてもーこれは天からの贈り物だね。ギフトだよ! なんて素晴らしい日だろう。やっぱり僕の日頃の行いの⋯⋯」
「いや、まだ話を聞いてみようかと思っただけで、働くと言ったわけでは⋯⋯」
弾丸のごとく喋り続ける男の言葉を遮ると廉は思考を巡らせる。
目の前にいる男はもしかしてこの店の店長か何かなのだろうか。
ただの店員であれば今この場で採用かなんて決められる訳がないし、店長という立場であれば店前で謎のティータイムを繰り広げることも可能と言えば可能であろう。勿論一般的にはまずありえない行動ではあるが。
廉は今までの人生経験によるデータから目の前の男とは関わらない方が良いという決断を下し、一歩後ずさりをする。
「他に気になっているバイト先もあるんで、また来⋯⋯」
言い終えない内に男は廉の腕を掴むと軽快な足取りで店へと連れ込んだ。
ブラウンを基調とした洋風な店内は、ヨーロッパの小さな書店を思わせる様な小洒落た雰囲気だ。
中でも目を引いたのが、レジ周辺がまるで書斎の様になっていることだった。木製のヨーロピアンなデザインの机にゆったりとしたリクライニングチェア。その後ろには棚がふたつあり、ひとつには恐らく売り物ではないと思われる本が並べられている。もうひとつには観葉植物や小さなアートなどが飾られていた。
フロアに置いてある本も洋書が多いのだろうか。この店のどこを取っても廉が想像していた街の古書店とは大分イメージが違っていた。
しかし小洒落た雰囲気とは裏腹に、至るところに本は積み重なり、店内にはいくつもの本の山が見事に築かれている。これではちゃんと営業しているのかどうかも怪しいぐらいだ。
廉は呆気にとられながらその場に立ち尽くしていると男は木製の机の引き出しから何かを取り出し近づいてくる。
「はい。これ僕の名刺。この店の店長の如月冬夜です。僕のことは冬夜で良いから! これからよろしくね」
如月冬夜と名乗る男は笑顔で名刺を差し出してくる。
ーーこの人、全く人の話聞いてないな。
そう思いながら廉は差し出された名刺に視線を移す。
もちろんこのままダッシュで店から逃げ出しても良かったものの、律儀に名刺を差し出している相手を無視して逃げる程非常識なつもりもない。
とりあえず名刺を受け取ると廉は言葉を選びつつ目の前の男に話しかける。
「あの、名刺までいただいておいてアレなんですけど、まだ働くと決めたわけではなくてですね。もう一度家に帰って考えてみようかなと思っているんですけれど」
「おや、何か不満でも?」
不思議そうな顔で冬夜は廉を見つめる。
「そういうわけじゃないんですけど⋯⋯」
それを聞くと冬夜は顎に手を当てながらうーんと大げさに考える素振りをする。
「こんな大して人も来ない古書店の店番をするだけで時給1200円なんて、なかなかない話だと思うけどなぁ。夜の8時には店を閉めるから帰りも遅くならないし、正直仕事といってもほとんど店で座っているだけっていうかなり好待遇な仕事だと思うけど」
改めて言葉にされるとその待遇の良さに心が揺れる。確かにこの人の言う通り、こんなに良条件のバイトなんてなかなか見つからないだろう。
迷っている廉を見透かすかの様に冬夜はさらに付け加える。
「今ここで働くことを決めてくれたら追加で遊遊時間のプレミアム優待券もあげよう。1年間ダーツもビリヤードもボーリングもカラオケもやり放題だよ」
冬夜はどこからかゴールドの紙を取り出すと廉の目の前に突きつけた。
遊遊時間のプレミアム優待券⋯⋯。魅力的すぎる⋯⋯。
「⋯⋯わかりました」
結局、廉はこのバイトを引き受けることにした。
冬夜は一風変わった男であるものの、何か直接的に自分に害を及ぼす様な人物には思えない。
それならば、変わった人間と働いてみるのも社会経験の一つになるし、何より滅多にない好条件を逃す方が損であると判断したのだ。
その判断が自分の人生を大きく変えてしまうとは露知らず。
廉の言葉に冬夜は一瞬ニヤリと笑うと机の端に腰掛けた。
「よし、決まり! そういえば君、名前は? 学生?」
「鹿田廉です。東城大学に通ってます」
「あぁ、あそこね! 家はここの近所?」
「はい。ここから5分ちょっとのところに住んでます」
なるほど、と呟くと冬夜は机の上に置いてある卓上カレンダーを見ながら問いかける。
「それで子鹿君、明日って働けたりするかな?」
子鹿君って何なんだよ、と思いつつもこの変人相手にこの程度のことでツッコミを入れていたらこの先もたない気がして受け流すことにした。これも社会経験だ。
「明日なら空いてます」
それを聞くと冬夜は満足そうにうんうん、と頷くと、じゃあ明日10時ごろにねと言いながら僕の肩をぽんっと叩いた。
店の外に出ると、まだ夕暮れではないもののさっきより空が暗くなっていた。
めまぐるしい展開にどっと疲れを感じつつも廉は小さな期待を胸に家への道を急いだ。