密かな尊敬
店の近くの中華料理屋でサクッと夕飯を済ませ、廉と冬夜はリロイのバーに向かった。
「さーて今日は何を飲もうかなー」
冬夜は上機嫌な様子でバーへの階段を降りる。
「さっき既にビール飲んでましたよね」
「いや、あれはノーカウントだよ。餃子にビールは切っても切り離せないものだからね。今日のカウントはここから!」
謎の持論を展開しながら冬夜はバーの扉を開ける。
するとそこには先客が2名、カウンターに座っていた。
「あれ、冬夜と廉じゃん! 偶然」
先客の一人であるリョウがこちらを見て手を振る。
廉はぺこりとお辞儀をすると店内に入った。
「偶然は偶然だけど、リロイ言ってなかったの? 僕らが来るって」
そう言いながら冬夜はリョウの隣に座る。
「リョウ達が来たからすっかり忘れてたよ」
「なんか僕ら忘れられてたらしいよー子鹿君。ひどくない?」
冬夜が不満げな声をあげていると、リョウの影から女性がひょっこりと顔を出す。
「先輩、お久しぶりです!」
黒髪のショートカットの女性、大帝碧はハキハキとした声で冬夜に話しかけた。
「おや、碧ちゃん! 久しぶりだね。前に会ったのは確か⋯⋯」
「去年の年末のパーティーのときですよ! リョウとはよく会ってるんですけど、先輩やリロイさんとはそれが最後なので、4ヶ月ぶりになります」
「もうそんなに経ったんだ。この歳になるの時の流れが早くて。あ、そうそう、僕の隣に座ってるのはうちの新入りの子鹿君」
冬夜は急な流れで廉を紹介する。
「鹿田廉です。宜しくお願いします!」
廉は女性に向かって頭を下げる。
「廉君ね、よろしく! 私は冬夜さんの後輩で、リョウの先輩の大帝碧。」
どこかで聞いたことある名前だな。よくよく見れば顔も見たことがある気がする。でも東京の知り合いは大学と万屋の人たちくらいしかいないし⋯⋯。
廉は自分の記憶を辿りながらじっと碧を見つめる。
「一番大事なとこ抜けてるけど、碧ちゃんは大帝財閥のお嬢様だからね。変なことしちゃだめだよ」
「大帝財閥って、あの大帝財閥ですか?」
「うん、あの」
「えー! それってもうとんでもないお方じゃないですか」
廉は思いもよらぬ事実に目を白黒させる。知り合いの小さなバーで、日本を代表する財閥のご令嬢と出くわすなど、廉は思ってもいなかった。
「やだなー、とんでもないお方って、そんな大した人間じゃないから」
碧は気さくに笑う。
碧の正体を知った直後の廉の緊張具合はかなりのものだったが、碧のラフな雰囲気に少しずつその緊張も和らいでいった。
「リロイ。⋯⋯念のため確認しておくけど、僕ら邪魔じゃないよね?」
冬夜は急に声を潜めて尋ねる。
「ねえ、聞こえてるから。ボクらが一緒にいると毎回それ言うけどさあ、たまには別のネタ仕込んだら?」
リョウは呆れた表情で冬夜を見る。今日も相変わらずの塩対応だ。
「とりあえず僕はアイラモルトのロックだね」
冬夜はリョウの言葉を気にする様子もなく、オーダーをする。
「アイラモルト? 冬夜が?」
意外そうな声で聞き返すリロイ。よほど珍しいことなのか、リロイはグラスを拭く手を完全に止めている。
「ん? 何?」
「いや、冬夜はてっきりアイラモルトは嫌いかと思ってたから」
「嫌いではないよ。たまにはそういうのもアリかと思って。さ、子鹿君も頼んで頼んで」
そう言って廉の肩を叩く。
「じゃあ炭酸水で」
了解、と呟くとリロイは冷凍庫から氷を取り出す。そしてフォークのような形をしたアイスピックを持ち、氷の角を削り始めた。リズムよく小刻みに削ることで、氷の角はどんどん削られていく。
「そういえば、リョウ日曜日空いてる?」
碧はリョウに尋ねる。
「今週なら空いてるよー」
「日曜日に早坂三喜雄監督の誕生日パーティがあって、喜寿と重なってるからいつもより盛大にやるらしくてさ。元々友達と行く予定だったんだけど、その子が来れなくなっちゃったんだよね。あ、そうだ! 良かったら皆さんもどうですか?」
碧が冬夜たちに向かって尋ねる。
早坂監督といえば海外でも数多くの賞を受賞した、日本を代表する名監督だ。今年の夏にはハリウッド俳優と日本の俳優のダブル主演の映画が公開されるということで、メディアでも話題となっていた。
廉自身もいくつかお気に入りの作品があり、年に数回は早坂監督の映画を見ていた。
「早坂監督かあ。彼の撮る作品は映像が本当に綺麗で素晴らしいよね。ぜひお会いしたいけど、生憎日曜日は仕事があってね。ちなみにリロイも」
「冬夜、聞いてないぞ」
氷を削る手を止めリロイが答える。
「そりゃあ今初めて言ったもん」
深いため息をつくと再びリロイは氷を削り始める。リロイの削っている氷は既に角はなくなり、冷凍庫から取り出した時の四角い氷とは思えないほど、球体に近づいていた。
「廉君はどうかな?」
「せっかくの機会だし、行ってきたら? 子鹿君」
「でも、そんな有名な人の誕生日パーティーに、僕なんかが行って大丈夫なんですか?」
廉は心配そうに答える。
「大丈夫大丈夫ー。うちの父が昔から監督と仲が良くて、私もよく遊んでもらってたから、親戚のおじさんみたいなもんなんだよね。だから連絡しておけば全然問題ないよ」
「じゃあ、ぜひお願いします!」
そう言った瞬間、脳裏に課題の山が横切ったが、こんな滅多にないチャンスを課題ごときで潰すわけにはいかない。
まあ頑張れば何とかなるだろう、と廉は自分に言い聞かせた。
「そういえば廉とはミーティング以来話したことなかったよね。冬夜、ちょっとチェンジ」
リョウはコツコツと指でカウンターを叩く。
「もー相変わらず人使いが荒いんだから。僕、年上なんですけど」
文句を言いながらも冬夜は席を立つと廉に向かって自分の座っていた席を指差す。
廉は一瞬戸惑ったものの、言われた通り冬夜と席を交換することにした。
「ていうかこの前大変だったんだよね? リロイから聞いたよ」
廉が席に座るとリョウは心配そうな顔で尋ねる。
「まあ、結構⋯⋯。でも運が悪かったというか、何というか」
あははと苦笑いする廉。
「冬夜から無理矢理危ない仕事任されたりしても断った方が良いよ。たまにそういう人を試すみたいなところあるから」
「リョウ君、この距離で悪口言うの? 勘弁してよー」
すかさず冬夜が口を挟む。
「だって事実じゃん。まあ多少はね、一応オーナーだし分からないでもないけどさ。でも廉ってまだ18歳とかでしょ? だからあんまり無茶なことさせるなってハナシ」
「はい、お待たせ」
リョウが言い終わったのと同時に、リロイは冬夜と廉が注文したドリンクを出す。
ありがとうございます、と廉は言い目の前に出されたグラスに手をかける。
「あのねえ、僕だって立派な大人なんだからそんな無茶させるなんてことしーまーせーんー」
冬夜は不機嫌そうにそう言うと、ウイスキーを一口飲む。
「無茶振りさせられるんですか?」
廉は古書店での冬夜との会話をふと思い出し、リョウに尋ねる。
「うん。人使い荒いからね、この人は」
ここ最近、うっすらと感じ取ってはいたが、どうやら冬夜は二面性があるらしい。基本的にはヘラヘラモードだが、万屋関連となるとどこかいつもとは違う顔がちらつくな、と廉は思っていた。
そしてリョウの言葉から察するに、自分が何気なく感じ取っていたものは間違いではなかったのだと確信する。
「そうなんですか」
「だけどその無茶振りが、結果からするといつも最善の采配になってるんだよね。そこが尊敬するべきところでもあり腹立たしいところでもあるんだよねー」
「あっはは。リョウってなんだかんだ冬夜さんのことしっかり尊敬してるよね」
リョウの言葉を聞いた碧が笑う。
「リョウ君がそんなに褒めてくれるなんて、今日は酒が進んじゃうなー。限界突破できちゃうなー」
さっきまでの不機嫌な表情とは打って変わって、嬉しそうな顔で冬夜はウイスキーを飲む。
「ま、トータルの尊敬度でいったらリロイの方が全然上だけどね」




