意外な大物
静かな夜だ。
人通りも明かりも少ないこの道は、より一層夜の静けさを際立たせている。しかしこの場には静けさと共に異様な緊張感が漂っていた。
男はわずかな間こちらを見ていたが、ちらりと女性の歩いている方向を見ると、そのまま女性とは真逆の方に走り出した。
「廉、お前はここで冬夜に連絡を」
それだけ言うとリロイはスーツのジャケットを脱ぎ捨て、車を降りる。
「待っ⋯⋯」
廉は待ってと言おうとしたものの、リロイは気にとめる素振りも見せずすぐに男を追いかけて行った。
「連絡はするけどあいつナイフ持ってたのにどうすんだよ⋯⋯」
焦りながらそう呟くと、廉はすぐに車を降り冬夜に電話をする。車内にいろと言われたが、そこからではリロイの様子は見えない。
廉は曲がり角に隠れ、様子を伺うことにした。
「もっしもーし」
「しっ! 静かにしてください」
ハイテンションで電話に出る冬夜に小声で怒る廉。
すると丁度そのタイミングでリロイ声の声が聞こえる。
「おい、待てっ」
男とリロイの距離はかなり縮まっており、リロイは逃げる男の肩に手を伸ばしていた。
リロイの手が肩に触れるか触れないかのところで、男はくるりと体を半回転させ、ナイフを振り上げリロイに襲いかかる。
しかしナイフがリロイへと刺さることはなく、リロイはひらりとそれをかわす。
廉はその華麗な身のこなしに驚いたが、男もまた瞬時に間合いを取り体制を立て直すと再びリロイへと向かい、今度は首元を狙う。その動きはただの不審者の動きではなかった。
「おーい、子鹿くーん」
電話口から冬夜の声がする。
「今例の男が現れて、でもそいつナイフを持ってて、リロイさんが⋯⋯」
「刺されたの?」
冬夜の話すトーンは全く変わらない。
不謹慎な冗談に廉が絶句しているとリロイは男の攻撃をギリギリのところでかわし、男の腕を掴んでいた。そしてそのまま男の腕を捻りあげる。男はナイフを落とし、一瞬動きが止まる。
しかし瞬時に男はリロイの横腹目掛けて蹴りを入れ、リロイの腕を振りほどいた。
その衝撃で男のキャップは地面に落ち、男の顔が露わになる。
ブロンドの短髪に色素の薄いブルーの瞳。どうやら日本人ではないらしい。
男の蹴りをまともにくらったリロイは体制を崩したがギリギリのところで踏みとどまり一歩後ろへと下がる。男の一撃が強烈だったのか、横腹を手で押さえ、肩で息をしているように見える。
「刺されてないけど危ないんです!」
廉がそう答えた瞬間、低い男の声が通りに響き渡った。
「おいおい、ちょっと様子を見にくればこれか。騒ぎは起こすなと言ったはずだろうマルク」
低くずっしりとした声だ。
その声の主はリロイ達の後方の路地からゆっくりと歩いてくる。やけに体格が良い男だ。スーツの下には派手な赤いシャツを仕込んでおり、明らかに堅気ではない雰囲気である。その男の後ろには、部下と思われる男達が2人並んでいる。
「この街で派手に騒ぐのはなぁ、俺だけで良いんだよ」
男はそう言い放つと、リロイに目を向ける。
「誰だかわかんねえが、お前もこんな男に巻き込まれて運が悪かったなあ。」
そう言い終わると今度はリロイを襲った男の方に話しかける。
「⋯⋯運が悪いといえば、残念ながら奴らはもうこの辺りにはいないみたいだ」
「おい、いないってどういうことだ。無駄足踏んだってことかよ!」
マルクと呼ばれた男がスーツ姿の男に向かって声をあげる。
「ああその通りだ。だが次の拠点の大体の目星はついてる。それにしてもお前、キャンキャン吠えるのは勝手だが、自分の立場を忘れた訳じゃあないよな?」
スーツ姿の男は酷く冷たい視線をマルクに向ける。まるで蛇のような鋭い目つきだ。
するとマルクは舌打ちをし、観念したかのようにそれ以上何も言わなくなった。
「鶴賀田久信⋯⋯。なんであんたがここに出てくる」
「それに答える義理はねえなあ。お前らが何でやりあってたのかも興味はねえ。だが」
そう言うとスーツの男は懐から銃を取り出すと、ゆっくりとリロイに銃口を向ける。
その瞬間、
「撃つな!」
廉は無意識にそう叫んでいた。その言葉にその場にいた全員が廉に視線を移す。
勝算はない。それどころか何をするかも考えていない。ただこのまま何もしなければ、目の前でリロイが撃たれてしまうかもしれない。そう考えるとどうしようもない絶望感と恐怖がこみ上げてくる。
気づくと無我夢中で廉はリロイの元へと走っていた。
「あの馬鹿っ、来るな!」
リロイは廉に向かって叫ぶ。
するとスーツの男は廉に興味がないのか、再びリロイに視線を戻すとゆっくりと口を開いた。
「⋯⋯だが、この場はこれで幕引きにしてくれねえか。お前が誰だか知らねえが、もうこの辺りで会うこともないだろう。お前がこれ以上余計なことをしなければ、コイツも俺も何もしない。だが、それが出来ないってんなら、分かるよな?」
廉はその言葉を聞き、足を止める。
どうやらすぐに不用意に撃つつもりはないらしい。リロイが銃を向けられている状況は変わりないものの、それがわかっただけでも廉は少し安心した。
「⋯⋯わかった、それで問題ない」
リロイは納得したのか、短くそう答えると両手を肩の辺りまで上げ、降参のポーズをしてみせる。
するとスーツの男はリロイに向けていた銃を下ろし懐へとしまう。
「物分かりの良い兄ちゃんだな。あそこのガキにも無鉄砲に突っ込ん来たら無駄死にするだけだって教えておいてやんな」
スーツの男は部下と思わしき男に目配せをすると、再び歩いて着た道へと戻って行く。
それを追うようにしてマルクも歩き出した。
廉は去っていく男たちの背中を見つめながら呆然としていると、リロイが恐ろしい剣幕でこちらに向かって来るのに気づく。
「お前、車にいろって言っただろうが。死ぬかもしれなかったんだぞ」
「でも⋯⋯」
「でもじゃない。廉が俺を助けようとしてくれたのは分かる。けど何の考えもなしに突っ込んできたら、それこそあの男の言う通り無駄死にだ。下手すれば男を刺激して2人とも殺される可能性もある。感情だけで動けば必要のない犠牲を生むんだ。それはちゃんと頭に入れておいてほしい。⋯⋯わかったか?」
そう言われ、廉は自分の取った行動がいかに愚かなことだったのか理解をした。
「すみません⋯⋯」
廉がポツリと呟くと、リロイはため息き廉の頭をぽんっと叩いた。
「わかればよろしい。⋯⋯さて、依頼人にどう話すか考えないとだな」
リロイは停めていた車に向かって歩き出す。
「子鹿くーん」
手に握っていたスマホから冬夜の声が聞こえた。
すっかり忘れていた冬夜の存在に、廉はハッとして立ち止まる。
「もしもし」
「なんかゴタゴタしてたみたいだけど、大丈夫だったー?」
「とりあえずは⋯⋯」
「リロイ死んでないー?」
実に能天気な声だ。
「死んでませんよ」
そう答えると廉も足早に車へと戻るのだった。
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