依頼人
「先日ご連絡した、関川茉里です」
昼食を食べ終え少ししたところで、さっきのストーカー被害の件の依頼人が店に訪れた。
20代中間といったところだろうか。ふんわりとした茶色のロングヘアーが特徴的な、穏やかな雰囲気の女性だった。
「ストーカー被害について、詳しく教えてもらえますか?」
リロイはコーヒーを置きながら落ち着いた声で尋ねる。廉は初めてリロイを見た時からまさに落ち着いた大人という印象を持っていたが、いざ仕事となるとリロイは更に大人びて見えた。
「もしかしたら勘違いかもしれないし、被害に合っている、と断言していいのかどうか、ちょっと微妙なところなんですけど」
女性はそう前置きをするとここ最近の異変について話し始めた。
どうやら10日程前から、仕事帰りに家の前の道を歩いていると後ろから誰かに尾行されている気配を感じるというのだった。一度だけ後ろを振り返った時に男の姿を見かけたものの、距離もそこそこ離れていたそうで正確な容姿などは分からなかったという。実際に直接的な被害にはあっていないことや、異性間のトラブルも身に覚えがないため、気のせいかなと思いつつも念のため依頼に踏み切ったという話であった。
「確証もないのに大げさかなとも思ったのですが、今丁度会社が繁忙期で、しばらくは残業で帰宅時間が遅くなる日が続くので、ご相談させていただきました」
「いえいえ。何かあってからでは遅いので、ご連絡をいただけて良かったです」
リロイが優しく微笑むと、女性は少し照れた様にありがとうございます、と呟いた。
「確かにこの通りはちょっと暗いねー。夜一人で女性が歩いているとなると、狙われやすい気もする」
冬夜はタブレットで現場周辺の画像を見ながら呟く。
タブレットに表示された写真を見ると、街灯はあるものの店などはなく、確かに冬夜の言う通り夜に女性が一人で歩くのは少し危ないかもしれないなと廉は思った。
「この辺りは一人暮らし用のマンションが多くて、一人で歩いている女性もよく見かけるので、もしかしたら私だけじゃなくて他の人も被害に遭われてるかもしれないです」
やはり直接的に何らかの被害にあったという訳ではないせいか、女性は少し遠慮がちに話している様に見える。
「なるほど⋯⋯。それは由々しき事態だ。でも安心してください、うちに依頼してくれたからにはこのぼく⋯⋯」
「それではしばらくはこの辺りに張り込んで、不審者の特定を急ぎますね」
真面目なのかふざけているのか分からない冬夜の言葉を何食わぬ顔で遮るリロイ。
「ありがとうございます」
リロイの言葉にホッとしたのか、安堵した様な表情で女性はお礼を言うと、差し出されたコーヒーを一口飲んだ。
「何かあれば先ほどお渡しした名刺の番号にいつでもご連絡ください」
女性は机の端に置いていた名刺に目をやる。
同じく廉も名刺を見ながら名刺かっこいいなあ、とぼんやり考えていた。
依頼人の女性が帰ると冬夜とリロイ、廉の三人はそれぞれいつ張り込みをするのかを話し合っていた。
「とりあえず金曜と土曜は冬夜、任せたよ」
「はーい任せてー」
冬夜はアイスコーヒーを飲みながら軽い返事をする。まるでどちらがオーナーなのか間違えそうな光景だ。
廉に関しては学生ということもあり、古書店の出勤日と同じ日に張り込むことになった。
関川さんの帰宅予定時間が大体10時頃なので、店を閉めてからでも余裕で間に合う。そのため廉は古書店でのバイトを終えてから現地へ向かう流れとなった。
実際に依頼人に会い、こうして任務の計画を立てることで廉は自分が万屋ZEROの一員になったことを少しずつ実感していた。
今までに無い高揚感が廉を包む。
高校を卒業して4月から始まった都会での大学生活は、廉が思い描いていたものよりも遥かに楽しいものであった。東京という街は夜になっても人で溢れ、キラキラとしている。この1ヶ月もしない間にこの街で廉が目にしたものはどれも新鮮で、自分がこの街の一員になれたのかと思うと、それだけでどこか嬉しかった。
しかし今、廉の心はそれ以上に高ぶっていた。万屋ZEROの一員になれたこと、そっしてこの街には自分の知らない日常とはかけ離れた世界があり、その世界に入り込めるのではないかという期待。その非日常な世界は平凡続きの廉の人生だからこそ、強い魅力を放っていた。
「さてと、僕はこれから大事な用事があるからここで失礼するよ」
冬夜はごちそうさま、と言いながらグラスをカウンターに置くと店の出口に向かって歩き出す。
大事な用事ってなんだろう、と廉が考えていると、横からリロイが質問を投げかけた。
「また、会うのか?」
リロイはどこか険しい表情をしている。
「うん」
「あの連中にあんまり深入りするのは⋯⋯」
「心配ないよ。人付き合いも大事な仕事だからね。特にこの世界で生きていくには」
不安そうに声をかけるリロイの言葉を遮る冬夜。その言葉はいつもの軽い雰囲気とは違い、これ以上は何も言わせないと念を押している様にも聞こえた。
リロイもその意図を察したのか、諦めたかの様にため息をつくとそれ以上は何も言わずにグラスを洗い始めた。
そのまま冬夜もじゃあねーと言って店を出て行ってしまった。
なんとなく気まずい雰囲気に廉がソワソワとしていると、リロイはそれに気づいたのか、いつもの落ち着いた声で廉に話しかけた。
「この仕事をやってると、まあいろんな人との関わりが出来るからさ。特に冬夜はオーナーなだけあって顔も広い。それは自体は悪いことじゃないんだけどね」
曖昧な表現ではあったが、廉はリロイの言わんとしていることを理解した。
「心配、ですよね」
リロイはそれを聞き少し考えると、グラスを洗う手を止め、ゆっくりと話し始めた。
「まあね。でもあいつは俺なんかよりも遥かに先を見越してるし、あいつの決めることはいつも最善だから、心配しても意味なんかないんだけどさ」
リロイの言葉に廉は少し驚いた。その言葉は廉が思っている冬夜のイメージとはかけ離れたものであったからだ。
廉の冬夜に対するイメージといえば今のところ、片付けの苦手な変人、といったところだ。
しかし、しっかり者の完璧タイプといった感じのリロイにここまで言わせるとは、一体冬夜は何者なのだろうか。
「冬夜さんって、そんなにすごい人なんですか?」
ど直球な質問がツボにはまったのか、リロイは今までの落ち着いた雰囲気とは打って変わって腹を抱えて笑いだした。
そんなにおかしいことを言ったのだろうか、と廉が不安に思っていると、リロイはごめんごめん、と言ってから廉の質問に答えた。
「うん、あいつはすごいよ。すごいと思う。普段はあんなだから分からないと思うけど、一緒にいたらそのうち廉も分かるんじゃないかな」
そう語るリロイの表情はどこか嬉しそうだった。