羅について新発見
分我羅人について色々考えてきましたが、
ここにきて新発見です。羅の意味について
「密なつながり」としてきましたが、これ
「include=全体の一部として含む」が
ピッタリきませんか!そうすれば分我羅人
自体で双方向の解釈が成立ちます。
「分我」は「人」を含み、「人」は「分我」
を含む。「分=この世界」は当然、人を含み
ます。そして「人」が「分」に染まったのが
「我」ですから、これも「人」を含みます。
そして「人」は全ての人間、個人の起点、
それぞれから「間や個」という「限り」を
外した存在ですから、「我」を含みます。
ところで「人」が「この世界=分」を含ん
だりしますかね?含みますよね。「人」が
「分」を含んだ結果が「我」ですから。
「含む」というよりは「受け入れる」かな。
人は「分我」を受け入れてしまうのですよ、
たとえ自滅の道だとしても。もし「人」が
絶対的な存在で「我」を支配していたら、
おそらく人類の進化はなかったでしょう。
我に付き合ってしまう存在、忘れてしまう
程の存在だから、我は自己の充実を求め、
千差万別の個人の環境、条件を乗り越える
進化を遂げられた。そして「我」は自己を
守ることで、同時に「人」を守ってきた。
さらに双方向の解釈で「人」も「存在する
意志」で「我」を支え、守ってきた。私や
君や誰かが破滅を選んでも、「その人」は
付き合ってくれるだろうが、「その人」の
本当の意志、本心は「無条件にただ存在し
続けること」だ。そして「我」の本心も
「その人」を守ること。その人を守り、
その人に守られる。「その人」を大事に想う
とき、同時に「その人」からも大事に想われ
ている。「人」を思い出し、「人」の想いを
知り、「人」と共に在り続けること。この
世界のあらゆる条件を越えて。
我と人に優劣はなく、互いを含み守りあう
双方向の関係なのです。
色即是空、空即是色。「色」は様々な感覚や
知識、煩悩として、「空」は「色」から解脱
した状態だとすると何かこう、そういう解釈
かなぁ?と。あと「同行二人」。お大師様は
仏様の意味だろうから、仏性と共に生きる
という解釈で間違いっちゃいないと思うんだ
けどな~ぁ。