SLAP07
最近、またあの夢を見るようになった。
焼けた、黒焦げの顔に眼だけが異様に白く光っている、その眼でオレを見るな。
お前はもう死んだ、そう、死んだんだ…すまん助けてやれなくて。
やがてあいつはその焼け焦げた身体をガクガクと震わせながらこっちに向かってくる、そう、これは夢だ、いつもの悪い、夢だ。
オレはあいつを撃つ、真っ黒の皮膚から真っ赤な血が噴出す、顔面に開いた穴から噴出す血を意にもせず、あいつはオレに向かってくる、そこで、弾切れだ。
あいつの手がオレに届く、と言うところで眼が覚める。
悪い、夢だ、助けられなかったのは・・・でも、オレはお前を撃ったりしてないぞ。
午前中に僕ちゃんと買い物に出た。
大きめのショッピングモールに入っているディスカウントストアだ、最近はこんなところにも弾が売っている。
モールの中には数日前に寄港した豪華客船を歓迎するポスターがあちこちに貼られていた、歓迎レセプションは終わっていたが、サヨナラパーティーは明後日だ、参加費払って皆で暑気払いにでも行くか、ビール飲めそうだし。
「そういえば、なんか外国人が多いですね」
「客船で来たお金持ちだ、なんか奢ってくれるかな」
「それはないでしょう」
「エイゴワカリマセーン」
僕ちゃんがケラケラ笑っているうちに店についた。
いつものようにMHIのエラダマをケース買いしようとしていたら、僕ちゃんが驚いたように呼びかけた。
「ボス、これすごく安い」
指している方を見ると無造作にビニール袋にバラバラ入れられた弾丸があった。
「プライベートブランドのリロード弾か、こんなの使えないぞ」
「いやでもこの値段は魅力でしょ」
「いざってってときに弾が出ないのはごめんだね、オレはいらない」
「だってほら、エラダマもあるし」
棚には目立つPOPで、激安!!9mmパラベラム練習用、と書かれたラウンドノーズと、New!あなたの強い味方!!UHMIE!!エラダマも安い!!!、とある、!をいくつ着ける気だ。
これは射撃場などで撃ち殻の空薬きょうを安く買い取り、アルバイトや内職にリロード作業をやらせた再生弾薬だ、当然品質なんて期待できない。
よく見ると他の口径の弾薬も同じように並んでいる。
「なんつーか、世も末だな」
「商売道具だから安いのは魅力ですよ」
「逆だ、商売道具だからこそ良い物を買っとけ」
オレはMizuno Heavy Indastoryの箱を取った、自動的にハニーの顔が頭に浮かんだが、今はどうでもいい。
その横に、今ではすっかり数が減った実弾があったので思わず手に取った。
僕ちゃんは例のビニール袋に入った9mmのエラダマを持っている、それはやめとけって言ってるだろ、お前なあ・・・。
説教してやろうと思ったが、実弾を見て驚いたように話しかけてきたので、気勢が削がれてしまった。
「わあ実弾!珍しいですね、今時、こっちを買う人なんているんですか?」
「・・・もともとはこれしかなかった、人殺しの道具だからな」
オレは、例の悪い夢を思い出した。
「こんなもの、無い方がいい」
聞いているのかいないのか、奴は試射レンジに行ってしまった、そんなものまで揃っているとは。
「結局、買っちゃったんですか」
「なんかな、必要な気がしてさ、使わないとは思うんだが」
「使うか使わないか判らないなら、こっちのリサイクルの弾でもよかったんじゃないんですか」
「お前こそ結局そっちを買ったのか、絶対トラブルぞ」
「大丈夫ですよ、さっきワンマガジン試射しましたけど、特に問題なかったです」
「それぐらいでジャムるようなら本気でダメだ」
立体駐車場は込み合っていて、ずいぶんと離れたところに止める羽目になったので、オレたちはショッピングカートを押していた、キャスターが調子悪いのか、ガラガラと音がする、その音に混じって、悲鳴と思われるものが少し離れた場所から聞こえた。
オレたちは一瞬顔を見合わせた、そして走った。
ジャンキー特有の焦点の合わない目をした男と、それに驚いたのか立ちすくんでいる男女が眼に飛び込んできた、ヤバイな。
「足を止めろ!」
オレは僕ちゃんを振り返り怒鳴った、奴はだいぶ遅れている、見るとガラガラとショッピングカートを押して来ていた。
遅えんだよ、何やってんだ!
それでも僕ちゃんはなんとか銃を出していた、こいつの銃なら足を狙うくらい大丈夫だろう、オレはカップルの方に走った。
9ミリの鋭い銃声が、駐車場の壁や天井に反射して、さらにやかましく聞こえた、ジャンキーは足首を撃たれ、崩れるように転んだ・・・なんだ?何か違和感がある。
オレは立ちすくんでいるカップルに声をかけた、外国人か、例の船でやってきたのか?とんでもないところに来ちまったな。
オレは店の入り口を指した。
「言葉わかる?あそこまで走って!絶対振り向いたり止まらないで!」
理解出来たのか出来ないのか、二人はジャンキーを凝視したままだった、そっちを見ると何事もなかったように立ち上がっている、やはり何か変だ、まさか・・・。
二人を店の入口の方へ間に押しやろうとしている間に、ジャンキーは目の前まで迫っていた。
「ボス、何やってるんですか!」
僕ちゃんが珍しく大きな声を出して連射した、1発目は肩に、2発目は首にヒットしてジャンキーは後ろに吹き飛ぶように倒れた。
「大丈夫ですか?」
オレは、その問いに答えず、倒れたジャンキーを見ていた、カップルも同じだった、奴は倒れた姿勢から、普通の人間では考えられない動きで立ち上がった、これは!
「何これ?ゾンビ?」
「いいから、実弾あるか?」
僕ちゃんは律儀に押してきたカートを指した。
「さっき買ったのが、でも何に・・・まさか実弾で撃つ気ですか」
ジャンキーは妙な方向に曲がった首をゴキゴキ言わせながらこちらに向かって来た、これは、間違いない、アレだ、また出回っているのか!
「お前、そのカートを押して、そのまま向こうのドアに行け」
オレは駐車場の端にある大きな搬入用の扉を指した、こいつを買い物客が大勢いる店の中に入れるわけにはいかない。
「判りました、ボスは?」
「囮さ、お前もな」
僕ちゃんは頷くとガラガラと音を立てながらカートを押して移動を始めた、だんだん、度胸がついて来たじゃないか。
店の中から出てくる人たちに、危ないから出るな、と怒鳴りながら、オレも僕ちゃんの後を追った、ジャンキーはフラフラと着いて来た、なんとか誘導出来そうだ。
搬入扉までもう少し、というところで、別のフロアから降りてきた車が走ってきた、ジャンキーはそれに気がついて車の方に向かった、ヤバイ・・・ところが余所見をしていたのか、車は減速せず、奴を跳ね飛ばした。
さすがに停止した車から運転手が降りて来ようとした。
「だ、大丈夫ですか?」
オレは運転手を車に押し込みながら奴を見ていた、おそらく、すぐに立ち上がって来る。
はたして奴は何事もなかったように、ゆらゆらと立ち上がってこちらに向かって来た。
「行って、ココは危険です」
運転手は異様な光景に驚いていたが、促されると走り去って行った。
よく見ると今の事故で、片足が妙な方向に曲がっていたが、歩いている間に元に戻っていく、異常な回復力…これはRADSだ。
搬入扉の向こうは、トラックのプラットホームだった、1メートル程の段差があって、荷台から荷物がそのまま降ろせるようなっているあれだ。
オレは作業員たちに逃げろ!と怒鳴りながら、荷台を空けているトラックを探した、その間に僕ちゃんが、注意を引く為の射撃を続けた。
「ボス、こいつ、何で当たってもすぐ立つんですか」
「そういう奴だからだ」
「何それ」
「だから、好きなだけ撃て!」
「言われなくても」
連射していたが、発射音が安定せず、弾道も安定していないようだ、装填作業がいい加減だった証拠だ、だからやめとけと言ったんだ。
荷物を降ろし終わり、後ろの扉を開けたままの車があった、ちょうどいい、しかも箱型の冷凍車だ、指差して怒鳴った。
「あの車に追い込む、お前は運転席に行け」
僕ちゃんはガラガラ押していたショッピングカートをオレにパスして、プラットホームの下に走った。
カートの中身は、例の腐れ弾と、オレの実弾だ、冷凍車の前まで来たオレは、わざとカートを横転させた、弾みで袋が破れ、9ミリパラベラム弾300発がザラザラと転がった。
オレは箱入りの実弾を掴んでジャンキーに叫んだ。
「お前!熱があるんだろ!」
実際、奴の顔は赤黒く充血していて、焦点の合わない目は赤く燃えているように見えた。
奴は薄ら笑いのような意味のわからない表情のまま、こちらに向かって来た、そして目論見どおり、転がった弾丸に乗って足を取られ、倒れた。
「そこで頭を冷やせ」
オレは倒れている尻を蹴飛ばした、9ミリパラベラム弾はゴロゴロと奴を冷凍車の荷室に押し込んだ。
「車を前に出せ!」
運転席の僕ちゃんに怒鳴ると、しっかりと1メートルだけ前進した、おれは暴れるジャンキーにあかんべーをしながら冷凍室の扉を閉めた。
助手席に乗ると、僕ちゃんが妙な顔をしていた。
「僕の弾をばら撒いたでしょ」
「どうせ捨てるしかない、役に立ってよかったな、あんな腐れ弾」
「・・・どうします、コレ」
運転席の後をガンガンと叩いている、まだ奴は凍ってはいないようだ。
「このまま連行しよう」
僕ちゃんは冷凍トラックを発進させた、ふと外に目をやると、先ほどのカップルがプラットフォームからこちらを見ていた、結局逃げなかったんだな。
赤毛の女と、腕に骸骨と絡みつく蛇のタトゥーが入った男だった、さっきは気が付かなかったが、何か普通ではない雰囲気を漂わせていた。
オレは自分の銃を抜いてシリンダーを開けた、RADSジャンキー相手ではエラダマなんか何もならない、6発ともホローポイントの実弾に入れ替えた。
「・・・それだと有効なんですか」
「わからん、少なくともエラダマよりは効くだろう」
後がおとなしくなった、と思った瞬間だった、運転席のキャビンから冷凍室内を見る為の小さな点検窓が吹き飛んで、そこから奴の手が伸びて来た。
見えないはずだが、その手は正確に運転している僕ちゃんの首を掴んだ。
「げ!冷たい・・・苦しい・・・」
ハンドルが乱れて車が激しく揺れた、オレは伸びている腕の隙間に銃口を突っ込んでトリガーを引いた。
実弾らしく乾いた銃声が狭い運転席に響いた、エラダマは弾力があるので、銃声が少し鈍くなる。
2発めで腕は力が抜け、だらんと下がった、それに合せてブレーキをかけたので、ジャンキーは冷凍室の最後部に弾かれた。
点検窓から覗くと、動きはなかったが死んではいない、やはりな。
警察署に報奨金の専用受付窓口が出来たのは正しい判断だ、今回のように化け物が運ばれて来たら、道を尋ねたり落し物を届けたりする善良な市民には刺激が強すぎる。
受付の姉ちゃんは顔なじみだ、オレが行くと愛想笑いをしてくれたが、今日はそれに付き合えない。
「RADSの中毒者だ、そんなのがいるってことは、佐敷が来てるだろう、呼んでくれ」
「何ですか?ラズベリー?挿し木?」
「ボス!動き出しました」
僕ちゃんが冷凍車の横で叫んだ、荷室がボコボコと内側から叩かれて膨らんでいた、そう長くは持たない、おれは実弾の入った銃を抜いた。
荷室の扉に隙間が出来て、内側から指が出てきた、こじ開けようとしている、隙間はどんどん広くなって、ついには頭と肩が出てきた。
こんなところで実弾を撃ったらいろいろと面倒だな、と思いながら狙いを合わせた瞬間、黒いボディアーマーを着た男達が数名現れた。
男達はサスマタのような棒の先に電極がついた武器をジャンキーの身体に押し当て、タイミングを合せて手元のスイッチを押した。
銃声とは違う衝撃音がしてジャンキーの動きが止まった、接触していた冷凍車のボディからも火花が散って、焦げた臭いが立ち込めた。
「いい道具が出来ただろう」
いつの間にか、オレたちの傍に来ていた男、いや、佐敷が言った。
「道具より、アレが出回ってるほうが問題だ、お前何やってたんだ」
「久しぶりだってのに、面白くない物言いだな」
こいつは、ぜんぜん変わってない、この不愉快さはなんだ。
「だからこうやって根絶のために出張ってきてるんだよ」
動物、いや猛獣用の檻のようなコンテナにジャンキーを収容した男達は佐敷に敬礼してどこかに行ってしまった。
「お前は、どうなんだ、今も正義ごっこか」
「ろくに機能しない官憲は当てにならないからな」
「賞金稼ぎは正義の味方ってか」
ハラハラしながら見ていた僕ちゃんがなんとか口を挟んできた。
「・・・あの、お知り合いですか」
「そうだ、ウンザリするくらいの知り合いだよ」
「君は、こいつの仲間か?」
「仲間というか、部下みたいなもので・・・」
「そうか、それは、気をつけたほうがいいぞ」
この男は・・・思い出した、次に会ったらただじゃ置かないと決めていたんだ。
「お前、それ以上言うとただじゃ置かねえぞ」
さすがの佐敷もそれ以上は言い淀んだ、悪趣味な冗談だ。
「帰るか」
「そうですね」
ハニーも待ってるだろうし、飯も食ってない。
「シノ、賞金の申請はしないのか?おまえらの収入源だろ?」
「僕、行って来ます・・・シノ?」
その場の空気から逃げるように僕ちゃんは受付に向かった。
「若い奴を連れまわすのは懲りたんじゃないのか」
佐敷の表情はよくわからない、今も昔もだ。
「そのつもりだったんだがな、いつまでも昔のことに拘っていたら、あいつの為にもならんだろう」
あいつ、今でも夢に出てくる、黒焦げになって死んだ、あいつだ。
「そうだな、俺はもうこのクソみたいな薬物の相手しかできないが、お前は違う」
なんだ、それを望んで志願したんじゃないのか?
「・・・今回のは、別な制服組は絡んでないのか?」
「それはない、防衛省も自衛隊も、RADSのデータを破棄した」
「前の事案の証拠を消し去るためにだろ」
佐敷は冷たい目でオレを睨んだ。
「一度出回ったものは回収できても、そのコピーを作られたら同じことだ、今回のやつはおそらく2、3世代も進んでる」
「・・・どこかで研究してるやつがいるってことだな、出所はわかってるのか?」
佐敷は苦い顔で頷いた、これだけはっきり感情が出ているということは、奴も相当嫌っているのだろう。
「まだ不明だ、当てはないこともないが・・・」
「ボス、あの、佐敷って人は何者ですか」
帰りの車の中で僕ちゃんが聞いて来た。
「防衛省と警察から金を貰ってるやつだ」
「・・・よくわかりません」
「知らなくてもいい」
余計なことに首を突っ込むと、お前だって・・・。
それから数日の間に、RADSジャンキーの仕業と思われる事件が立て続けに起こった。
オレたちが遭遇した2件以外にもあちこちで銃弾が効かないジャンキーが暴れていて、同業者の中には対応を誤って大怪我をしたやつもいる、こんな異常事態になったのに死人が出なかったのは奇跡に近い。
「今日から、実弾を準備しておいてくれ、弾は用意した」
オレは事務所の隅に積み上げた実弾の箱を指して言った、ハニーも僕ちゃんも複雑な表情をしていた。
「ボス、私は人を傷つけることはしたくないです」
「・・・僕も・・・でもあれはエラダマじゃ対処できないかも」
昨日のことを思い出したのか、僕ちゃんは心底嫌そうに顔をしかめた。
オレ達の前に現れたのはやはり、簡単には倒れないジャンキーだった。
相当数のエラダマをぶち込んだがすぐに立ち上がって来た。
オレはハニーをすぐ横のビルの屋上に行かせ、対物ライフルでマンホールの蓋を吹き飛ばすよう指示した。
分厚い鉄板で出来たそれが、砕けて出来た穴に誘い込む為に、オレはわざとゆっくり奴に近づいた。
フラフラと寄って来る姿は醜悪だった、あと一歩で落ちるところで立ち止まるのは、それを理解しているのだろうか、昔見たヤツとは違うな…。
ふとすぐ近くの路地から視線を感じた、チラッと見ると、逃げ遅れたのか野次馬なのか、こっちを見ている男女が居た。
…?こいつら見たことあるぞ。
おれは、薄暗い路地にいるそいつらが、例のショッピングセンターで逃げ遅れていたカップルだと気が付いた、赤毛と髑髏のタトゥー…。
「ボス!」
僕ちゃんの声に我に返らなければ、危なくジャンキーに捕まるところだった。
オレは僕ちゃんの射線から逃げて言った。
「撃ち落とせ!」
僕ちゃんの射撃は正確だ、倒すことは出来なくても、転ばす事は出来る。
足を撃たれた奴は頭からマンホールに落ちて行った。
「どうします?」
「簡単には上がってこないだろ、上がってきたらまた撃ち落とす」
言っている間に奴の頭が闇の中から浮かび上がってきた、オレ達は真上から奴を撃ち落とした。
オレは、例の男女が居た路地を見た、二人はすでにそこに居なかった。
…あれは一体何者だ?
「あとはこちらで引き受ける」
声がした方を見ると、佐敷が部下を連れていた。
そうだな、後片付けは、こいつらに任せよう。
「君たちは優しいねえ」
本音だったが、少し嫌味でもあった、君たちが見たくもない血や汚物にまみれたものは、すぐそこにあるんだよ。
「安心しろ、実弾の数発ぐらいでは死にはしない」
「・・・あれは何なんですか、RADSって?」
やはり、説明する必要があるんだな、面白くもない話だ。
R.A.D.S.ラッドとかラッズとか、ラズと呼んでいる、何の略かは知らん。
アドレナリンと言うホルモンがある、脳内で生成されて、交感神経に作用し、闘争本能や筋肉を刺激して、恐怖を忘れさせ、普段では出せない力を発揮させる、そして傷の痛みをも忘れさせてくれる。
兵士が戦場で、このホルモンに支配されていたら、それはそれは強いだろう、だから各国の軍隊などで研究されている。
それは脳内のアドレナリンの分泌を制御する研究から、合成したものを投与するという方向に変わり、さらには作用がもっと強い薬剤の研究へと発展した。
そして最初のRADSが作られ、研究が続くうちに新たな作用が発見された、傷の急速な回復だ。
それはどこの軍隊にとっても夢のような、「死なない兵士」に近づくことだった。
並の人間では出せない怪力を持ち、文字通り恐れを知らず、多少の負傷はたちどころに治ってしまう兵隊だ、無敵と言っていいだろう。
11世代目で、作用としてはほぼ完成したと言われているが、副作用が酷かった。
闘争本能のみが異常に肥大し、理性は吹き飛び、指示や命令に従わず、ただ破壊の限りを尽くすのだ。
12世代目からは、この副作用の克服が研究の主眼となった、同盟国を通じ防衛省内に齎されたのもこの頃だった。
省内に専門の研究部署が置かれ、RADS13が合成された。
これには、わずかだが大きな進歩があった、効果が現れる前に与えられた命令には、多少のブレはあっても従うのだ。
しかし、明確な意思疎通が出来ない動物実験では、完全な検証が出来ない。
そして事件が起こった、研究者の一部が暴走し、薬物の闇ルートにRADS13を横流しした。
自衛隊がスーパーソルジャーを作る為の薬品を横流しして、実証実験をするなんて誰が信じるものか。
信じるのは、それを実際に見たやつだけだ。
密売には「命令を出してから服用させる」条件をつけて、その効果を見るはずだった。
だが、約束は履行されるはずもなく、結果は「死なない暴漢」が暴れただけだった。
たった数錠のRADS13で、一般市民六十四名が死傷、ジャンキー四人、警官十一人が死亡した。
「ボスはなぜ、そんなことを知っているんですか」
ハニーが聞いた、まあ、当然の疑問だろう。
「その事件の担当刑事が四名いた、うち二名は死んだ、残ったのは佐敷とオレだけだ。」
「ボスは刑事だったんですか!」
「もう昔の話だ」
「佐敷さんは警察に残ったということですか?」
正確には警察に残ったのではない、それは、あいつ自身が望んだことだ。
RADS13は横流しされた全数が回収されたわけではなかった、事件でその全数が消費されたわけでもない。
消えたRADS13は、第三国の研究機関に高額で引き取られたという根拠のない情報が出たが、確かめようがなかった。
佐敷は、陸上自衛隊内部に組織されていた特殊な部隊から刑事課に派遣されて来た、警察が証拠を押さえる前に、身内の不祥事をもみ消すのが任務だった。
当然、同じ相手を追っていながら、目的が違うオレたちには軋轢があった、そして犠牲が出てしまった。
・・・結果は、散々だったが、一応事件は終息した、オレたちは血を流してジャンキーをすべて始末した。
その後、省庁間の調整があり、今後のRADSに対する警戒と情報収集、そして散発的に発生する中毒者に対処する為の専属調査官として、佐敷が残された。
奴は今も警察と防衛省の両方に所属しているはずだ。
事件の性質から、表沙汰に出来ないことが多く、殉職した仲間たちのことも特別視されなかった。
オレは連中に対する処遇の不満から上と衝突を繰り返し、無情感に押されて警察を辞めた。
「それ以上の情報漏洩はやめてもらいたい」
佐敷だ、こいつは、いつもこうやって突然現れる、なぜここにいるんだ。
「なんでここがわかったんだ」
「チラシ配ったりしてりゃ調べるも何もないだろう」
それはそうだが、いつも突然なんだよ、こいつは。
「自分は佐敷良輔と申します、身分については彼から説明があったと思います」
奴は武官らしい姿勢を正した自己紹介をした。
「僕は、白土です、白土健です、ここの所属です」
僕ちゃんはシラトのタケルだったか、聞いていたがもう忘れていた、いつまでも僕ちゃんと呼ぶのも気の毒だな・・・次からタケルと呼んでやるか。
「水野碧と申します、ご挨拶が送れて申し訳ありません」
「ほう、あの水野重工の?」
「はい、水野康二郎は父です」
僕ちゃん、いやタケルは驚いていた、そんな世界的な企業の社長令嬢が身内にいたとは知らなかったからな・・・ハニーの名前はミドリだったな、これも忘れていた。
なるほどなあ、タケルにミドリか・・・佐敷を含めた3人がオレをじっと見ていた。
「・・・ボスは名乗らないのですか?」
「そういえば、僕、ボスの名前を聞いてない」
・・・そうだよ、言ってない、いや言いたくない、名前を教えて、情が移ったりしたら、また誰かが急に消えたりしたときにキツくなるじゃないか。
「おまえ、ボスなんて呼ばれているのか」
「うるせえ、オレはここのボスだ」
「まるでガキだな、あの頃とぜんぜん変わらない、ガキ大将のままだ」
佐敷は僅かに笑っているようだった、うるせえな、お前は、刑事課に馴染めなかったのを誰が助けてやったんだよ。
「シノ、おまえ相変わらず臆病だな」
相変わらず、核心を突く、さすが軍人か。
「臆病?ボスが?」
「シノ?ボスの名前ですか?」
二人が口々に言った・・・うるさい、誰のせいで臆病になったと思ってる・・・そうだ、もう奴らはおれの仲間、家族、充分に情も移っちまった、今はこいつらを失うことが怖くて仕方ない。
こうなってしまっては、名前を伏せたところで意味はないな・・・でも、今更、なんだか照れるな。
「・・・オレは、篠村達郎だ、そしてこのS.L.A.P.のボスだ」
佐敷が何の用もなくここに来るわけがない、用件は薄々察しがつくが、ろくなことではないだろう。
「今日は依頼があって来た、RADSを持ち込んだ組織が逃亡を図っている、我々ではこれを抑えきれない可能性がある、そこで協力して欲しい」
「応援とか呼べないのかよ」
「無論要請はした、だが間に合わん、今夜そこの埠頭から某国籍の客船が出港する、許可はすでに出ていて、取り消しは不可能だった、あと3時間後だ」
あれか、そうか今日はサヨナラパーティーの日だ。
「嫌だね、オレはもう仲間をあんな化け物に向かわせる気はないよ」
「数年ぶりに現れた本物のRADSだ、ここで逃がせばまた闇の中に消える、それが何を意味するか」
・・・本当の意味でRADSが完成すれば、それは世界の軍事バランスすら崩しかねない、それ以前にテロリストに渡ったりすれば、世界中の治安が危機に陥る可能性もある。
ここで取り逃がせば即座にそんな事態になるかといえば、それはないだろう、だがそれに一歩近づくことは確実だ。
「令状を取って踏み込めばいいだろう」
「証拠がない、だから警察組織としては動けない、そして自分は自衛官なので、行動に慎重さが求められている」
「・・・コウモリめ、明るいところは飛べないか」
二つの組織に板ばさみなのはわかる、だが世界の危機かもしれないのに、官僚主義か、まったく。
「・・・もう一つ、手は打ったが、間に合うか微妙だ」
佐敷は直立不動の姿勢を取り、ゆっくりと言った。
「民間人の正当防衛、緊急避難は当然の権利だ、それに偶然出会った我々が手を貸すのは、人道的行動として認められるだろう」
「・・・要するにオレたちをダシにして踏み込もうってわけか」
ハニーもタケルも、正義感に燃えるような眼でそれを聞いている、まるでかつての刑事課にいた若い奴みたいだ、だがオレたちはそれを・・・。
「我々の装備は、RADS中毒者を取り押える事に特化している、中毒者が出てきた場合は我々で対処する、万一の場合でも、実際に奴らを相手にした君たちなら対処できるだろう」
なるほど一見合理的だ、立場が変わればオレも同じように言うだろう、だが何かがYESと答えることを拒否していた。
「・・・オレは、あいつを焼いたおまえをまだ許していない、信じてもいない、何かあったときに、またオレの部下を焼くんじゃないのか」
あの事件のとき、応援でやってきた若い刑事がいた、正義感に燃えて、すぐ感情的になるバカだったが、任務優先で孤立しがちな佐敷を気遣いする優しいやつだった。
地元の祭りがあった夜、オレたちはRADS13のジャンキーを路地に追い詰めた、だが取り押さえる手段がなかった。
被害を広げない為に射殺する許可は出ていたが、銃弾の効かない相手をどうやって射殺するというのだ。
幸運なことに、その路地には露店が出ていて、大量のプロパンガスのボンベがあった、オレたちは距離を取りそのガスを撃ってジャンキーを焼くつもりだった。
ところが逃げ遅れた子供がいて、奴に捕まりそうなった、正義感の塊だったあいつは、自ら飛び込んで行き、子供を助けたが、自分が組付かれてしまった。
・・・時間がなかった、封鎖されている路地はもうすぐ終わり、そこを出られるともう一般市民が大勢いる通りだった、犠牲者が多数になるのは目に見えている、だからあいつは自分ごと撃てと言った。
オレは、撃てなかった・・・佐敷が、撃った、赤黒い、光と火球が路地を包み、轟音でしばらく耳が聞こえなかった。
後には二つの黒こげの死体があった・・・が、ジャンキーはまだ動いた、ガクガクと焦げた身体を震わせて立ち上がった、オレは怒声を発しながら、トリガーを引き続けた、頭だけを狙って。
真っ黒な球体が割れて原型が無くなった頃、奴はようやく動かなくなった。
「済まなかった・・・」
佐敷は頭を垂れていた、こいつが頭を下げるのを見たのは2度目だ。
そうだ、あのときにこいつが撃たなければ、犠牲者は1人で済まなかったかもしれない、それは、わかっている。
わかっている、が、今度はハニーやタケルをそんな目に合わせないで済むと、誰が保障してくれるんだ。
それを見透かしていたように二人が言った。
「ボス、心配してくれてありがとう」
「私たちは大丈夫、自分の身は自分で守ります」
・・・おい、おまえらがそう言ったら、オレはなんと言って断ればいいんだ、全く調子が狂う。
「今回のRADSは16世代と思われる、分析の結果、いくつかの組成に変化があった」
移動中に佐敷から説明があった。
「目撃者や対処した医師の観察によると、効果が若干、弱くなっているようだ」
それはオレも思っていた、かつての事件のときと比べると、凶暴性がいくぶん減っている気がした、副作用を抑えようとした結果、そうなったのかもしれない。
「作用する時間も僅かだが短くなっていると思われる」
「マイルドRADSか」
それはほんの少しだが、希望的な情報だった。
出港まであと一時間半、RADSを押えれば日本国内の法律で裁けるが、洋上に出てしまうと、国境までに追いつけるかわからない。
船への攻撃は、国際問題になりかねないので出来ない、船員はおそらく何も知らないだろう、一般客ももちろん無関係だ、問題なのは一部の客だけだ。
サヨナラパーティーは予想していたより賑やかだった。
たまに寄港する豪華客船だから、皆が浮かれていた、旅行客も、見送る住民も、そして、おそらく悪党も、一連の実験を終えてほくそ笑んでいるだろう。
国際交流の麗句に乗って、ろくな身体検査もせず参加費さえ支払えばだれでも会場に入れる、出港一時間前までは、船内の見学も可能だ。
オレたちは佐敷がどこからか調達してきたジャズバンドの扮装で会場に潜り込んだ。
タケルやオレの拳銃はともかく、楽器のケースに入れた佐敷の89式小銃や、ハニーのデカブツさえ見落としたのには笑いそうになった。
佐敷と部下たちはさっそく船内に進入した、オレたちは乗込むところで酔っ払いに絡まれてしまった。
「おーバンドマン、景気いいのをいっちょやってよ」
「今はちょっと船の方でやらないといけないんで」
「そう言わずに、ちょっとやってよ」
「いやー仕事だから行かないわけには・・・」
「おじさん、私のはいちばん大きな音が出るから、出港のときにね」
ハニーが酔っ払いに満面の笑みで答えた。
「そうかそうか」
「最後にドーンと一発やりますから」
「よーし、待ってるぞ」
出遅れて乗船すると、佐敷たちの姿はもう無かった、しかし、聞いていた通り、客室の最上階にあるスイートに向かっているはずだ、オレたちも急げ。
途中、船員かガードマンかわからないが、なにやら引きとめようと叫んでいる男たちが現れた。
「エイゴワカリマセーン!」
ハニーの気合一閃、ハイキックと突きでノックアウトされた。
「姉さんすげえ!」
廊下の内装すら変わって、スイートルームはすぐそこだった、オレたちが突入しようとした瞬間、佐敷と部下たちが飛び出してきた。
「データと残りのRADSは回収した、早く逃げろ」
佐敷はジュラルミンのアタッシュケースを抱えていた。
「なんだ、もう終わりか」
「違う、やつらの一人が証拠隠滅のためにRADSのカプセルを大量に飲み込んだ」
オレたちは来た道を逆進しながら怒鳴るように会話していた。
「あんなに大量に飲んじまったら何が起こるかわからんぞ」
「そりゃマズイ」
背後から、人間のものとは思えない雄叫びが聞こえた、うわあ、最悪だ!ヤバイ!
振り返ると興奮した獣のような男が壁や手摺を破壊しながら迫って来ていた、佐敷は部下に押えるよう指示した。
部下たちは例の電撃サスマタを野獣に押し付けた。
おそらくジュラルミン製と思われるバーが激しく撓っていた、部下たちはタイミングを合わせスイッチを押した。
激しい電撃音がして、見ていたオレたちの髪の毛も逆立った、野獣は一瞬動きを止めた。
その時、野獣の腕にオレはタトゥーがあるのに気が付いた、骸骨と蛇、あれは、ショッピングセンターにいたあのカップルの片割れだ。
オーバードーズの野獣には一瞬しか効果がなかった、すぐに復活してサスマタのバーを掴み、へし折った。
「だめだ、撃て撃て」
オレたちは実弾の装填された銃を構えた。
「ほんとに死なないんですよね」
オレはそれに答えず射撃を開始した、こいつらがRADをばら撒いて、最初から観察していやがったのか、初弾は野獣の喉元に命中し、貫通した。
野獣は僅かに仰け反り、動きが鈍った、が出血する傷口は見る見るうちに塞がっていった、逆再生の映像のような滑稽さと不自然さがあったが、現実だった。
「気持ち悪い」
ハニーのその言葉に反応したかのように、野獣はそっちに向かって行った。
オレたちは反撃しながら、狭い通路を後退していた、ここはどこだ。
ドアを開けると、厨房だった、あったあったガスボンベだ、こいつを使って焼いてしまおう。
だが、佐敷に止められた。
「こんなところを燃やしたら、国際問題になるぞ」
「国際問題よりオレたちの生存問題だ」
不満は無視され、佐敷は厨房の隅を指差した。
「あの冷蔵庫に押し込めよう」
見ると3畳程のウォークイン冷蔵庫があった、そうか、昔、恐竜だか怪獣だかを閉じ込める映画を見たぞ。
佐敷が囮になって冷蔵庫の前に立った。
「おまえ、熱があるんじゃないのか!」
あー、オレが言った台詞と同じだ、パクるなよ。
オレたちは調理台の横に身を伏せ、這うように冷蔵庫に近づいていた、途中でタケルが豆が大量に入った袋を見つけた。
「ボス、豆」
「なんだ、腹減ってるのか」
「違う違う、ほらこの間のあれ」
あれか、面白そうだ。
野獣は佐敷に掴みかかろうとしていた、オレは怒鳴った。
「佐敷、冷蔵庫を開けろ!」
ドアが開いた瞬間、タケルが豆をぶちまけた、作戦通り野獣は足を取られた、だが佐敷も、オレも転んだ。
「撒き過ぎだバカ」
佐敷はドアに掴まってなんとか立ち上がったが、オレと野獣はゴロゴロと冷蔵庫の中に転がって行った。
外に出ようとバタバタしたが、豆に足を取られて転がるばかりで進まない、それは野獣も同じだったが、怪力で豆を叩き潰しこちらに迫ってきた、ちくしょう、足首を掴まれた!
その時、佐敷がオレの手を引いてくれた、同時にタケルとハニーが奴に実弾を浴びせ、力が緩んだ、オレはもう一方の足で奴の顔面を蹴り、脱出に成功した。
ドアを閉めた佐敷が息をついて言った。
「そこで頭を冷やしてろ」
またパクリかよ。
さて、さっさと下船しよう、オレたちは厨房からレストランと思われるテーブルが並んだ部屋に出た、さすがに豪華な調度品に目が行った。
「こんな船で一度旅してみたいね」
そう言った瞬間、テーブルの上のワイングラスが砕け散った、銃撃だ。
レストランの入り口から、拳銃を持った男達がこちらに向けて撃っている、先頭に立って指示を出しているのはもう一人の片割れ、赤毛の女だった。
「やつらだ!」
佐敷が言った、そうだ、RADSを飲みこんだ野獣だけじゃない、あの赤毛も現場に居た、ずっとデータを集めていたんだ。
「ボス、ここは?」
ハニーが弾倉を指しながら聞いた。
「エラダマだな!国際問題にならんで済む」
全員が頷いて、弾倉を交換した、こういうときオートマチックはいいな、真っ先に反撃したのはタケルだった。
佐敷の89式小銃もマガジンに青いテープが巻かれていた、エラダマの印だろう、奴は3点バースト射撃で敵を牽制していた。
ここは多勢に無勢で、切り抜けられそうだ、敵は次々と×のスタンプを受けて倒れた。
楽勝だ・・・そう思ったとき、赤毛の姿が見えないことに気が付いた。
嫌な感じで振り向くと、赤毛は回り込んでタケルの背後に迫っていた。
「タケル!後ろ!」
タケルは振り向き、トリガーを引いた・・・が、それは不発だった!
あのバカ、まだ腐れ弾を使っていたのか!
女は、残忍な微笑みを浮かべてタケルの顔を狙っていた、後ずさりする足が震えている、ちくしょう、オレの仲間を、家族を殺されてたまるか!
オレは奴に飛びついた、銃声は二回。
赤毛の狙いは外れ、奴の弾はタケルに当たらなかった。
変わりに至近距離からオレのエラダマを顔面に食らった奴はテーブルを倒しながら後ろに吹っ飛んだ。
「タケル、大丈夫か」
声をかけたタケルはおれの方を見ながら泣きそうになっていた。
「・・・ボス」
ハニーがすっ飛んできた、また、こっちも泣きそうな顔をしている。
「ボス!しっかりしてください」
なんだこいつら?
ハニーが上着を脱いでオレの左肩に押し付けた、ん?なんだ?
左肩がやけに熱いと思ったら激しく出血していた…なんだ、外れたと思ったがここに当たったか。
その時、出港を知らせる汽笛が鳴った、オレは佐敷に支えられ、ハニーに傷口を押さえてもらいながらタラップを降りた。
地に足がついている感覚が薄らいで、気がついたら港の救護所の簡易ベッドに寝かされていた。
医師や看護婦が輸血がどうのと言っているが、間に合うものか。
ハニーとタケルの顔が目の前にあった、二人とも目に涙を貯めている、泣くなかっこ悪い。
「・・・タケル、おまえに当たらなくて本当に良かった…もう腐れ弾使うなよ」
タケルは大きく頷いていた、よかった、これでもうあんな弾を買うことはないだろう。
「・・・ハニー、お父さん会いに行けよ」
「ボス、そんなことどうでもいいから、しっかりして!」
「こういうときは、別の呼び方がいいな・・・」
そこで音が聞こえなくなった、やがて真っ暗になった。
ボスが、ボスが、死んでしまう、名前を聞いたばかりなのに、まだチームは始まったばかりなのに・・・。
私とタケルくんは必死に呼びかけていたが、次第に反応が少なくなって来ていた。
大切な人を失うのは、もうイヤだ、それなのに父に会えなんて、私の心配なんて要らないから、お願いだから、ねえ、ボス!
私たちがボスに必死で呼びかけていると、船を見送る人々が悲鳴のような声が聞こえた。
船上を見るとあの野獣のような薬物中毒者がデッキに出てきたところだった、冷蔵庫を破壊したんだ。
でも、もう船は港からゆっくり離れ始めており、錨の巻き上げが始まっていた。
船の上でいくら暴れても、ここに来れるはずもない、だからそんなことはどうでもいい、それよりボスが・・・。
その時、また見送りの人々からどよめきのような悲鳴のような声が上った。
あの野獣が船のデッキからこちらに向かって跳躍するのが見えた、普通の人間では到底無理だが、それは私たちのいる救護テントの前に地響きを立てて着地した。
人々が逃げたので、私たちと野獣の間には誰もいなくなった、私はこみ上げて来た怒りに身体が熱くなった。
楽器のケースから対物ライフルを取り出し、弾倉を取り付けた、弾頭はUHMIE、開発部に無理を言って造らせたものだ。
「よくも、ボスを、私の大切な人を!」
汽笛がまた鳴って、見送りの花火が上った、でも、それよりも大きな音で、私のライフルは特製の弾頭を発射した。
野獣の胸あたりに大きな黒い花が咲いたように巨大なX型の帯が出来た、UHMIEが開き、貫通しなかった分の運動エネルギーはそのまま身体を後ろに吹き飛ばした。
ちょうどそのタイミングで、巻き上がってきた錨が海上に出てきた、野獣は吹き飛ばされ、空を飛んで、錨のフックに突き刺さった。
「・・・すげえな、やっぱり姉ちゃんのがいちばんだった」
見ると、乗船時に声をかけてきた酔っ払いだった。
輸血はまだ届かないの?
私は浮かんでくる絶望を無視するのに必死だった。
「まだ、一つだけ手段がある」
振り返ると、佐敷さんだった、その手には例のカプセルがあった。
そうか、この薬物には傷を急激に治す作用がある!
「…だが、ああなる可能性も否定できない」
彼は錨に刺さったまま、まだ暴れている野獣を見ながら言った。
「そうなったら僕が止めます」
タケルくんが力強く言った、私も同じ思いだった、彼は黙ってカプセルを私に差し出した。
ボスの口を開け、カプセルを入れたが、もう飲み込む力も意思もなかった。
「ボス、飲んでよ、お願いだよ」
私は、傍にあった水を口に含んだ、お願い、ボス。
…口移しで流し込んだ水とともに、なんとかカプセルも体内に入った、ボス、帰って来て!
・・・オレは、冷たい油のようなものに包まれていた。
いや、そんなものはないのか、ただ単に身体が重く、力が入らないだけか?でもこの浮いているような感覚は妙だな。
全てが、ゆっくり、重く、だるい、が、不愉快でもない、ふわりふわりと水中を漂うような感覚。
オレはゆっくりと沈んでいた、きっと沈み切ったところが終点だな。
穏やかな気分だった、これはなんだろう、このままでいい、そんな気分だった。
・・・だが不意に、腹の奥から熱い感覚が広がり始めた、何だこりゃ、身体が熱い。
同時にふつふつと不快感がこみ上げて来た、これは、何だ?オレは何に怒っているんだ?
やがて不快感と怒りは限界を超えていた、何でもいい、誰でもいい、次に会ったものをぶっ壊してやる、そう思ったときに、どこかに足が着いた。
遠くから黒い人影が近づいてくるのが見えた、誰だ、誰でもいい、ぶっ殺してやる・・・。
人影は一歩ごとに、ぱらぱらと炭化した皮膚を剥がしながら近づいてきた、あいつか!いつもいつも人の夢に出てきやがって!
そして目の前にやってきたときにはすっかり黒い皮膚は剥がれ落ち、奴は昔のように手を振っていた、どうでもいい、どうせ殺す。
オレは奴の首に手を伸ばし、絞めようとした、が、絞めても絞めてもするすると手は抜け、効果がなかった。
「シノさん、ひさしぶり」
奴は自分を殺そうとしている相手にだと言うのに、ニコニコ笑いながら話しかけてきた。
それは、あの刑事部屋にいたときと同じ笑顔だった。
「まだ忘れないでいてくれるなんて、うれしいなあ」
オレは拍子抜けしてしまい、笑っている奴の顔をもう一度見た、それから不快感が治まってくるのを感じた。
そうだ、こいつに謝らないといけない、怒りはすーっと消えて行った。
「・・・あのときはすまなかった、許してくれ」
「許すも何も、俺から撃ってくれって頼んだんですよ」
奴は穏やかな笑顔のまま首を横に振った。
「俺は、みんなの役に立てて本当によかった、そう思っているんです、ほら、あの子供」
奴が身を呈して助けた子供のことか、もう子供とは呼べない、どこか学校で真剣に学んでいる少年の姿だ、奴が見ているイメージがオレにも見えた。
「俺みたいな立派な人になりたい、とか言って、警察官を目指しているんですよ」
・・・ここにいれば何でも判るんだな。
「佐敷さんね、誰にも何も言わなかったけど、俺の家族のために出来る限りのことをしてくれたんです、おかげでみんな不自由なく暮らしてる」
佐敷が役人たちに掛け合って奴の家族の生活を保障する約束を取り付けていた、あの面倒な仕事を続けているのはその交換条件だということが、手に取るように判った。
・・・ああ、ここにいたら何でも判る…そうだ、ハニーやタケルのことも判るだろう、ならオレはここに残っていればいいな。
「ダメですよ、シノさん」
奴は少し強い口調で言った、そして上の方を指差した。
「あなたは、まだやることがあるでしょう、ほら」
オレはその指す方向を見た、そこから眩しくはないが暖かい光が差していた。
「みんな待っています」
姉さんはボスに付っきりだった、僕はいたたまれなくなって横を向いた、船が岸を離れ、少しづつ小さくなっていくようだった。
・・・悔しいな、データや薬物は回収できても、ボスをこんな目に合わせたあの野獣や赤毛の女はこのまま逃げてしまうのか。
船は港の防波堤に近づいていた、あれを超えると、公海だ、もう逃げられてしまう。
・・・どこからかバタバタと空気を叩く音がした、見ると水平線を切り裂くようにヘリコプターがこちらに向かって来た、そしてサーチライトを焚いて客船の上をホバリングしはじめた。
「来たか」
佐敷さんが呟いた。
「こちらは日本国海上自衛隊です、貴船の乗員の一部は、わが国の人命、及び財産の侵害の疑いがあり、直ちに停船を命じます」
スピーカーからは停船命令が発せられた。
水平線には護衛艦らしきグレーの船がこちらに向かって来ているのが見えた。
「間に合ったな、防衛大臣、やるじゃないか・・・」
佐敷さんは空しく少し笑った、もう一つの手とはこれだったのか。
「海上警備行動、総理の命令なしで自衛隊が出せる最上の手段だ、名前の通り海の上でしか使えないが・・・あと少し、少しだけ早く来てくれれば・・・」
客船はエンジンを止めて、停船した、ヘリコプターが見守るなか、接近してきた護衛艦が接舷した。
血液が届いて、輸血を開始するためにボスの様子を見た医師が、悲鳴に近い声を出した。
「傷が!閉じ始めている!」
私はボスの顔を覗き込んだ、輸血が始まったからか、血色は見る見るうちに良くなってきた、ああ、ボス!
私はボスの顔を撫でた、その瞬間ボスは目を開けた、そして、怒りの表情で右手を伸ばし、私の喉を掴んだ、首を絞めるなら、それでもいい、今は帰って来てくれただけでも。
私はボスの手に自分の手を重ねた。
「・・・ボス、怒ってるの?ごめんね、痛かったよね、私を殺せば気が晴れる?」
息が苦しかったが、しばらくするとその手からは力が抜けて、重ねた私の手を握り返した。
私はその手を掴んだまま頬に当てた、涙がぽろぽろと流れて、ボスの顔に落ちた。
傍に来たタケルくんも同じだった。
ボスは僅かに微笑んで、穏やかな表情で目を閉じた。
医師が奇跡だと叫んでいた。
腕を吊っていたが、オレはすっかり回復していた、もうすぐこれも取れるだろう。
心配していたRADSの副作用も、今回は被らなくて済んだようだ。
佐敷は何も言わずこの町から去った、もう、ここには奴の追っているものはない・・・あいつはどこかであの化け物を追っかけているんだろう。
しかし、いつかまた、あいつとは会うことになるだろうな、オレはそう思った。
「ボスー!まだ出れないんですか」
「このままじゃ来月赤字ですよ、仕事しないと!」
「うるさいな、ケガ人をあてにしてないでおまえら働けよ」
まあ、そんなことだろうな、オレは腕の布を外して放り投げた。