変わらない日常
昨日夜…寝落ちしてました謝。
ナフル皇国南軍将軍ゲオルグの朝は早い。
鶏がなく頃には軽く支度を済ませ(と言っても顔を洗って前髪をオールバックに流す程度だ)、まだ少し肌寒い空気を感じながらも城に隣接する軍の訓練場にむかう。そこで鍛錬を重ねることは、彼が軍に入ってからずっと変わらない朝の日課であった。
ただ一人、丸いグランドの中心で無心に剣を振るう男。
朝焼けの空に白い息、男の荒い呼吸の音が静寂の中にある。
ゲオルグの手に収められた剣は体格に合わせて作られた特注品で、平均的なものと比べると三倍もの重さなった。そんな一般的な成人男性ですら振るうことが出来るかわからない代物を、ゲオルグは動作を一寸も狂わすことなく使いこなす。彼の尋常でない力量を剣一本からですら見てとれた。
先代の南軍将軍が役を退きその後釜にゲオルグが据えられたのは三年前。
「も〜あとは若い子たちでなんとかしてよ〜。私は愛しいハニーと年金暮らしウハウハッな老後を楽しむんだから!じゃ、あとは頼んだよ、ゲオルグくん。」
という私情丸出しの理由で先代が退役したのは一部では有名な話だ。将軍という南軍トップの位につき実務が減っても、ゲオルグは鍛錬を怠ることはなかった。剣を振るうと頭がクリアになり、嫌な思い煩いも忘れられる。彼は、根っからの軍人気質なのだ。
日課で決めているメニューをこなし、備え付けられたシャワーで汗をながす。着ていたシャツは汗で肌に張り付き、彼の鍛えられた強靭な筋肉を際立たせている。
ゲオルグは雰囲気は熊のようで恐れられてはいたが、決して見目が悪いわけではない。彫りの深い顔に、均等についた筋肉。そんな訳で、顔はいいのにそのオーラ故声すらかけられない男にランドは、「つくづく残念なお方ですね、閣下は。」と言う事が習慣になっていた。ゲオルグと一戦交えたものは彼の剣筋のまっすぐさに惹かれ誤解を解く者がほとんどであったが、「熊将軍」の二つ名が浸透してしまっていては今更簡単にイメージを変えられるものではない。新兵卒には必ず目が合うと小さな悲鳴をあげられるし、それ以前に皆目を合わせないよう視線を彷徨わすことに必死なように見えた。
さっぱり汗を流した後は、城内の執務室に入りどかっと椅子に腰を下ろす。中将時代は軍舎に部屋があったが、将となってからは王族や貴族らとのやりとりが増えるため城内の将軍この部屋に移動になった。次に片付けるものは、机にこれでもかと乗せられている書類の山。ゲオルグは片手には硬いパンを持ち、それを口に入れながら一枚一枚ものすごいスピードで書類をみていく。ここ数年、ナフル皇国は他国との大きな揉め事はなかったが、国内の事件や災害等の鎮圧も国軍の担いであるため戦争がないからと言って別段将軍の仕事が少なくなることはなかった。また最近中毒性のある薬物が街を出回っているらしく、部下に命じた調査報告やら民衆からの被害届などもそれにプラスされていた。
「おはようございます将軍閣下。」
「ああ。」
入り口から聞こえた爽やかな声の主には目もくれずゲオルグはパンを口の中で噛みながら返事をした。ゲオルグのこんな態度はいつもの事だ。むしろゲオルグがおはよう、などと朝から返事をしたら明日は嵐になりそうだと声の主ランド将軍補佐官は想像して身震いした。ゲオルグが将軍の位を譲り受けた際、同時にその時中将補佐官だったランドも昇進した。ランドにその才があったのも事実だが、皆が熊将軍と常に共に仕事ができるねはお前しかいないと力説されたのも一つの事実で、二人の昇格は特に反発の声もなく終わったのだった。
「昨日は、よく寝られましたか?」
「ああ、おかげ様でな。」
「それは嫌味ですか、閣下…。
では夜も、何事もなく?」
「ああ、何も変わりない。」
ランドはゲオルグからの返答を聞くと、特にそれに返事はせずに自分の席に腰掛けた。ゲオルグの机とは違い、ランドの机の上は綺麗に整理されている。さて、と引き出しを開けファイルを取りだそうとしたランドの前にゲオルグの机の上にあった筈の書類の山がばさり、と置かれた。その山の高さをみてランドはため息をつく。
「部署ごとに振り分けてはある。午前中には届くように運び屋に持っていけ。」
運び屋とは、広い城内と軍舎の中専用の郵便屋さんのような役職のことだ。
「全く…いいですか?何度も言いますが、私にも私のペースがですね…」
補佐は別に貴方の使いっ走りではないんですから…と日頃のゲオルグの人使いの荒さを述べようとしたランドであったが、
「俺は会議に行く。後は任せた。」
ゲオルグは全く聞いていなかった。
「ちょ!閣下!」
「お前が出勤したということは、もうすぐ朝の会議の時間だろう。」
ほら、とゲオルグが壁にかけられた時計に向かって顎を動かしてみせた。確かに、時計の二本の針は会議開始10分前を指している。
「って、部下を時計扱いしないでくださいっ!」
「そう、怒るな。
俺だって、行きたくて行く訳じゃない。
毎日変わらない報告をするだけの会議などな。」
そう独り言の様に返したゲオルグの目は、ランドも時計も見ていない。
ー彼の目は、どこか遠くを見ていた。
「全て変わりなし、か。」
今朝の面々の報告を聞いたアルベルトは、淡々とした口調で部屋に言葉を吐いた。
城の一室では、錚々たるメンバーが円卓のテーブルを囲んでいた。上から皇帝アルベルト、宰相のサーロスに北軍将軍のヘルメスそして南軍将軍ゲオルグと続き、貴族院と内政部の代表者達だ。
「ただ、少し気になるのは…例の薬だな。」
ゲオルグも数日前に出回っている薬の話を会議で報告したのだが、ヘルメスの治める北の地域にも被害が出始めているらしい。被害人数はまだ十人ほどだが、街の間で噂が立ち始めちょっとした騒ぎになっていると言うのだ。
ゲオルグとヘルメスは仲が良いと言う訳ではないが、同じ軍に入り将まで登りつめた者同士通じるところはあった。ゲオルグからみても、北軍将軍は信頼できる数少ない者の一人である。ヘルメスは貴族の出の為貫禄があり、爵位は賜っているが元は商家出のゲオルグとは違ったカリスマ性を秘めていた。騒ぎが国中に広まりつつある騒ぎに関し宰相は南北で共同に捜査と鎮圧をするように指示し、二人はそれに同時に頷いた。
「南が調べた資料と第二部隊を送る。」
会議が終わったあと、ゲオルグとヘルメスは少し部屋に残り打ち合わせをする。ヘルメスに対しても口調は特に改めず、用件だけを簡潔に述べる。
「わかった。私の方も一部隊だそう。 全く、ゲオルグ殿も苦労が絶えんな。」
「それが、軍人の定めだ。」
家を継ぐ道から逃げ軍に入ったあの日から、もう決まっていたのかも知れない。ヘルメスはそうだな、と意味有りげな軽い笑いをした。彼も彼なりに苦労多き道を歩んできたはずだ。早く解決して酒でも飲もう、と手を振りながら廊下を歩いて行く北軍将軍の背を見ながらゲオルグは少し寂しげな色を瞳に浮かべた。
朝は硬い腹持ちするパン一つだった分、昼は三人前分の量の定食をゲオルグはペロリと平らげた。もちろん、デザートまでしっかりと。軍舎の食堂に数年前、新しいデザート担当の調理人が入ってからゲオルグはすっかり甘党と化していた。その料理人の作るケーキが美味いのなんの。
満腹感に満たされたゲオルグは、朝一と比べると朗らかな顔をしていたが、午後の視察に来られた南軍兵側にとっては変わらずに恐ろしい強面上司に見えた。
「ランド、あの兵は小回りが利くな。」
「ああ、アドニスですね。敵の懐に入り込まれて彼に勝てるものは中々いませんよ。」
さすが閣下よく見ていらっしゃる、と視察に付き添っていたランドは感嘆した。
ゲオルグは上の人間であるが、しっかり部下の一人一人を見て回っていた。彼は軍に入ってからは力量を認められてすぐに昇進したが、下っ端時代がなかったわけではない。仕事面に関して、軍人として、ゲオルグは良く出来た男であった。だが、そこは「つくづく残念な男」がついてまわる。ゲオルグが来れば士気は上がるが、反面一部緊張に耐えきれないものも出る。そういう兵ほど何か失敗をしてゲオルグ自らに叱責を受けので、悪循環はなかなかおさまらなかった。
週に二、三度は街に巡回に出たりもするが、この日その予定はなかった。視察を終えまた執務室に戻り、一人溜まってきていた書類を確認する。先ほど話した北軍との合同捜査の案件での第二部隊への辞令なども通達しなくてはならない。文官になった覚えはなかったが、これでは変わりないなと内心苦笑した。
どのくらい刻が過ぎただろうか、窓の外を見るとすっかり日は沈み夜が来ていた。ゲオルグは時計を一度見ると席を立ち食堂へ向かう。夕食も昼食と同じくらいの量のご飯をしっかりと食べ、長き夜に備えをした。
執務室にも軍舎にも向かわず、ゲオルグは城内の王族の居住エリアへと向かっていた。
軍舎とは違い美しく輝く廊下をどかどかと歩いていたが、一つの扉の前で足を止め、
ーコンコン。
と静かにノックをした。
「ー交代だ。」
低音の太い声が、部屋の中に待機していた兵士に一日の終わりを告げる。
ー夜はまだまだ長かった。
次話もよろしくお願いします。